暗雲兆す?習近平の一人旅(4) ― 本物の罠はどれか
- 2016年 4月 23日
- 評論・紹介・意見
- 中国田畑光永習近平
新・管見中国9
このシリーズでは、まだはっきりとした姿は見えないものの、歴代の前任者以上に権力を集中しつつある習近平体制にも、ここへきてなにやら不穏なものが漂い始めたことを紹介し、習近平の独裁体制なるものがたんに毛沢東の模倣というわけではなく、習の置かれた状況に迫られたやむをえない選択であることを指摘した。そして前回はその状況について香港の時事評論員が挙げるところの彼が直面する5つの罠を検討した。
その5つの罠とは「中所得の罠」「タキツスの罠」「ツキディディスの罠」「西側化と分裂の罠」「個人崇拝の罠」であるが、これを紹介したのはいかにも中国人らしい見方だからである。そしてきざっぽく言わせてもらえば、こういう「罠」を並べるところに実は中国にとって本当の罠があると思う。
ここに並べられた罠にはそれぞれ説得力がある。しかし、考えてみれば別段珍しいものではない。そこが問題なのだ。
「中所得の罠」とは低開発国が一定の成長を遂げたところで人件費の上昇などによって成長エンジンを失い停滞の淵に沈むことで、多くの先例がある。そして「開発独裁」という言葉があったように、初期の成長は強権的な指導者によって実現されることが多かった。アジアの近隣でも韓国のパクチョンヒ、台湾の蒋経国、シンガポールのリークアンユー、インドネシアのスハルトなど。
強権体制から民主化へ舵を切るのはどこでもかなりの難事業である。その過程で大衆運動とそれへの弾圧とか、軍によるクーデターとか、政治が混乱するのはよく見聞した。強権に国民が満足しなくなり、そのもとでの発展を信頼しなくなるからである。これを「タキツスの罠」というらしい(私自身は初めて聞いた命名である)。
一方、国際関係では発展する国が大国であれば当然既存の国際関係に変化を起こすから摩擦を生む。21世紀の今日、大国同士の戦争が起こるのかどうか予測はできないが、摩擦が緊張を生むことは避けられない。中国の南シナ海における領土主張や島嶼の軍事利用に太平洋を隔てた米国が神経をいらだたせていることはまさに「ツキディディスの罠」の現代版である。
「西側化と分裂の罠」「個人崇拝の罠」は中国にとっては古くて新しい脅威である。改革・開放に踏み出して以来、外の世界を見た国民が一党独裁に疑念を持ち、民主化を求める気持ちを抱くのは当然であり、それを押さえつけるのは中国共産党にとって常に手を抜けない力仕事であるし、さればといって文化大革命時代の個人崇拝が再現することも目にしたくない光景であろう。
こう見てくると、確かに挙げられた5つの罠は今の中国が直面する難題であることは間違いない。ではそれを並べることがなぜ問題か。本当の問題が抜け落ちているからだ。この5つの罠だけならば、どれもよくある話か経験済みの課題であるから、乗り越えることは不可能ではないはずだ。
しかし、今、中国が直面しているのはそれ以上の問題である。それは何か?「中国」という問題である。わかりやすく言えば、改革・開放路線に足を踏み出して40年弱、これまで順調と見えた発展がここで挫折するとすれば、それは中国だからではないか、ということである。
話を具体的にしよう。今、中国経済が直面している最大の問題は生産設備の過剰である。特にひどい鉄鋼では実需は年せいぜい7億トン程度であるのに、生産能力は12億トン分もある。さすがにそれを全部稼働させることはできず、昨年の粗鋼生産量は8億トン強であった。世界の生産量が16億トンほどだったから、中国はそのおよそ半分を1国でつくったわけである。
8億トンにしたところで、需要を上回る分が1億トンもある。それだけで日本の1年分の生産量を上回る。その1億トンを安値で輸出するから世界中で摩擦を起こしている。世界最大のタタ製鉄(インド)が英国の製鋼所を閉めるという騒ぎとなっている。
なんでこんなバカなことが起こったのか?直接的には2008年のリーマンショックの後、実はその直前から中国の景気は下降ぎみだったから、政府が4兆元(当時の為替レートで日本円60兆円弱、現在では70兆円弱)という公共事業の大盤振る舞いをやった。あのショックの中でこの措置は世界的に大いにもてはやされた。指導部は当時、中国は果断な政策で世界の経済を救ったと得意の鼻をうごめかせたものであった。
今の結果から見れば、なんたるばかげた振る舞いであったろうか。生産能力の3分の1(12億トンのうちの4億トン)も遊ばせて、それでもなお世界中に1億トンもの安い鉄をばらまいて、自分の首と他人の首の両方を絞めることになろうとは。
しかし、中国においてはこれは必然であった。中央から地方に至る各層の共産党官僚は自らの昇進と自らの懐のために、先を争って設備投資に走っただけだからである。よその省から鉄を買って、相手を儲けさせるより、自分のところで使う鉄は自分たちで作りたいと皆が考えたからである。
予算で締めることはできなかったのか?できない。4兆元といっても、これは日本の予算で言う国庫から出る「真水」であって、実際はその何倍もの投資が行われ、それは銀行の融資、あるいは地方政府に代わって金融債権を発行する機関(「融資平台」と呼ばれた)を作って、民間の資金を集めたからである。
それにしても、需要見通しを考えなかったのか?考えなかった。なんにでも使える鉄をつくって、余って困るなどということは地方のお役人の大多数には想像もつかなかったろう。それにかりに需要見通しを考えたにしても、自分たちの鉄をつくらなければとりあえず自分たちの成績が下がる上に、よその省から買うことでよその奴らを助けることになる。そんな馬鹿なことができるか、となる。
鉄だけではない。石炭やセメント、ガラスといった建材も同様である。そして各地に人の住まない空きマンションが林立して「鬼城」(幽霊都市といった意味のもはや古くなった新語)となっている。中国共産党は今でも「社会主義」の看板を降ろしてはいないが、社会主義のシンボルであるはずの計画性などは雲散霧消し、党員幹部が「それぞれの能力と地位に応じて」懐を肥やしているだけである。
今、中国の指導部は成長鈍化を「新常態」として国民に慣れさせると同時に、そうなった原因を世界経済の「下行圧力」に押し付けているが、ここまで来ればすこし目の見える中国人には「必然の結果」であることははっきりしているはずだ。腐敗追及の中からあぶりだされてきた大虎、小虎もこの必然の産物である。けれど、それを直視することは中国人にとってはつらいだろう。現状はまさに中国そのものであるからだ。せっかく「偉大な総設計師」(鄧小平)によって開かれた改革・開放政策30年の輝かしい成果があっという間に自分たちの手の中で崩れ去ろうとしているのだから。「中所得の罠」とか「何とかの罠」といった既成の概念で現状を解釈しようとするのは、真実から目をそらせたいからではないのか、というのが「5つの罠」論を読んだ私の印象である。
今年から始まる第13次5か年計画ではっきりしているのは、鉄鋼、石炭の過剰設備廃棄から生まれる180万人の失業者その他、これまでの成績第一主義、生産第一主義で積み重なったアンバランスを何とかするために(これを「供給側改革」と呼ぶ)1000億元(1兆7000億円)の支出を用意しているということである。
中国人でないわれわれから見れば、出口は1つしかないように見える。それは国民に真実を知らせ、国民の監視の目を行き届かせ、国を運営する人間を国民に選ばせることだ。鄧小平が改革・開放に踏み切った当時はそれでも民主化への胎動もないではなかった。それが途中、1989年の「6・4天安門事件」という悲劇をはさんで、今では民主化という言葉さえ死語に近くなってしまった。
習近平自身が国営通信社、党機関紙、国営中央テレビに乗り込んで、メディアは共産党のものである(つまり総書記である習のものである)、と宣言してはばからない。こんなことは今まで聞いたことがない。これでは権力の中枢でなにが起きているのか、ほんの一握りの人間しか知ることができず、その外側では時々線香花火のように目に入る「公開質問状」といった煙のようなもので動向を想像するしかない。
「両会」の季節に何か起こるかと書き始めた「暗雲兆す?習近平の一人旅」であったが、線香花火は線香花火で終わったようで、焔にひろがることはなさそうである。それよりも最近降って沸いたように暴露されたパナマ文書は中国の指導層をさぞ警戒させていることだろう。今や同じ穴のむじな同士、互いに非をあげつらっている場合ではないと彼らが「集団的自衛権」を発動して、なりを潜める可能性が大きい。「習近平の一人旅」は何事もなく続くのかもしれない。(160410)
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〔opinion6050:160423〕
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