青山森人の東チモールだより 第323号(2016年4月23日)
- 2016年 4月 24日
- 評論・紹介・意見
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国防軍幹部たちの反発
オーストラリア、ダブル選挙へ
日本でも最近よく両院のダブル選挙が「あるやなしや」で話題になりますが(熊本・大分の地震による被害をみればそれどころではないだろう)、オーストラリアでは7月2日(土)に上院下院のダブル解散・選挙が実施される見込みとなりました。
去年9月オーストラリアのアボット首相(当時)率いる保守連合政権の支持率が低下し、その政治手法をめぐって政権内から不評を買ったアボット首相が党首選で敗れ、マルコム=ターンブル現首相にとってかわられました。しかしそのターンブル首相も支持率が低下するようになり、この4月18日、オーストラリア上院は労働関連二法案のうちの一つがオーストラリア上院を通過できなくなったことをうけて、来る5月に両院が解散され、7月2日にダブル選挙が実施される見込みとなったのです。労働関連二法案とはABCC(オーストラリア建設委員会)再興法案と登録団体法のことで、このたび上院で否決されたのは前者です。これらは労働組合を監督するための法案で、政府にとっては生産性を上げるための法案であり、ターンブル首相は、この法案が通らなければ両院ダブル解散・選挙になり、選挙日は7月2日になるだろうと3月の時点で明言していたのです。
党内のごたごた、選挙日の宣言、これは前の労働党政権で起こったことであり、結局、労働党は総選挙で敗退しました。このことからターンブル首相は同じ過ちをおかしていると論じる報道もあり、また4月18日の時点で非公式ながら事実上75日間の長期選挙戦に突入したと述べる記事もあります。なお、与野党の支持率は接近しており、選挙は接戦になると報じられています。
オーストラリア政局を日本からみれば、オーストラリアが次期潜水艦の共同開発事業にかんしてどの国を相手国として選ぶのかが非常に気になります。オーストラリア史上最大といわれる防衛装備品調達事業に日本が参入すれば、日本は武器輸出大国の仲間入りすることになってしまいます。4月20~21日にオーストラリアの主要メディアは日本が除外されドイツとフランスに絞られた模様だと報じていますが、最終決定は解散をにらんで今月中にもされます。
また東チモールからオーストラリア政局をみれば、チモール海の領海画定交渉を断固として拒否する保守連合政権に代わって、東チモールと海の線引き交渉をしてもいいという立場を表明している野党・労働党がもし政権をとれば領海問題が解決に向かうという可能性がでてきたといえます。
政府の提案を大統領がうけたのに…
さて、話題を東チモール国内に移します。大統領と政府の対立のきっかけとなった国防軍司令官の任命問題について、4月14日、タウル=マタン=ルアク大統領とルイ=マリア=デ=アラウジョ首相が会談しました。首相は政府による二つの提案を大統領に示し、大統領はそのなかから一つを選び、15日に発表しました。政府が大統領に提示したその二つの案とは、第一の案、レレ=アナン=チムール少将が引き続き軍トップの参謀長官(司令官)を、フィロメノ=パイシャン准将が副司令官をそれぞれ務めるという現状維持案で、第二の案がペドロ=クラマー=フイク海軍部門の大佐が司令官に就任するという、2月に大統領が発表した任命よりもずっと若返る世代交代となる案です。なお第二の案には、副司令官にはカリスト=ドス=サントス(通称“コリアテ”、オーストラリアの東チモール大使館勤務)大佐が就任するなどの人選も含まれています。
政府の提案をうけて大統領が任命する……今度は憲法解釈に多少の差があったとしても大統領としは文句のいわれる筋合いのない任命過程をへたといえます。しかし、今度はレレ=アナン=チムール少将をはじめとするアルク大佐・サビカ大佐・マウナナ大佐・マウブティ中佐・ライリア中佐などなど、国防軍幹部たちが大統領の判断は受け入れがたいと反発する事態になってしまったのです。かれらは戦争時代に名を馳せたゲリラつまりFALINTIL(東チモール民族解放軍)の勇者たちです。かれらは何が不満なのでしょうか。
解放闘争の元戦士として
レレ少将は、自分に代わってフィロメノ=パイシャン准将が少将に昇進して国防軍司令官になるという大統領発表については、自分は法に従うだけ、大統領と政府による問題解決をただ待つだけだと客観的に静観する立場を示していました、ところが今度は、レレ司令官は軍幹部とともに感情的に噛み付いたのです。レレ司令官は、自分たちは国防軍内の地位を維持したいからタウル=マタン=ルアク大統領に反対しているのではない、また国防軍幹部として反対しているのではなく、解放闘争の元戦士として反対するのだと表明しているのです。
第二位の地位にあるフィロメノ=パイシャン准将が司令官に就く世代交代はよく、ペドロ=クラマー=フイクが司令官になることに反発するのは何故でしょうか。ペドロ=クラマー=フイク、本名・ドナシアーノ=ゴメスは、1990年、インドネシア軍占領下の東チモールにジャカルタ駐在のアメリカ大使が訪問したときに、東チモールの窮状を世界に訴える千載一遇のチャンスとしてデモ活動をした若者の一人で、弾圧をうけポルトガルへ逃れました。ポルトガルでかれは周囲の反対をよそにポルトガル軍に入隊し、死者も出るといわれる特殊訓練を受けました。当時わたしはリスボンでドナシアーノ=ゴメスに会いました。1999年の国連による住民投票をまえにかれは解放軍に合流し、現在に至っています。2006年の「東チモール危機」のころのかれはシャナナ=グズマン大統領(当時)と近い関係にあったとわたしは見ています。当時のシャナナ大統領とタウル=マタン=ルアク司令官の仲は良くはなく、それを反映してタウル=マタン=ルアク司令官と若い幹部・ドナシアーノ=ゴメスは微妙な関係にあったはずです。海軍部門の隊長である当時のアルフレド=レイナド少佐は憲兵に異動となり、2006年「危機」で反乱軍指導者として世の中を騒がせつづけ、2008年ラモス=オルタ大統領(当時)を襲撃し死亡、治安が回復するとドナシアーノ=ゴメスは名前をペドロ=クラマー=フイクとして定着させていきながら、海軍部門の責任者としてタウル=マタン=ルアク司令官の期待を裏切ることはありませんでした。ざっとペドロ=クラマー=フイクの経歴を振り返ってみました。レレ少将たちは、1990年代に海外にいた人物、しかもまだ40代の“若造”が国防軍のトップに就任するは、祖国で侵略軍と戦ってきた自分たちにしてみれば報われない酷な人選ではないかと反発しているのかもしれません。あるいはペドロ=クラマー=フイクの人望が厚くないのかもしれません……?
『ディアリオ』(2016年4月19日、電子版)の「レレ=アナン=チムール、泣く」と題する記事によると、国家による国防軍改革は24年間祖国で戦ってきた者たちに尊厳を与えず、犯罪者のように追い出すものであり、国家にしたがって大統領が自分たちを軍から追い出そうとしているとレレ少将たちは反発していると報じています。軍幹部としては法に従わざるを得ないのはわかるが、解放闘争の自由の戦士だった立場としては、現場で戦った者たちの気持ちを大切にしてくれという想いを抑えきれないのでしょう。レレ司令官は記者たちに「君たち記者たちがシャナナに訊ねてみてくれ、西から東まで、シャナナが生きるために血を流さなかった者が何人いるかと。タウル=マタン=ルアクに訊ねてくれ、かれが生き残り今日大統領となるために血を流さなかった者が何人いるかと。そしてわたし自身についても、わたしのために大勢の若い兄弟たちが死んだのだ」と、「涙を頬に雨のように落とし」ながら反対表明をしたと同記事は伝えています。
「危機」の教訓を活かすとき
法治国家の名において憲法にそって大統領は政府の提案をうけて司令官の任命を発表しました。レレ司令官を泣かしたのは誰でしょうか。大統領でしょうか。大統領に提案した政府でしょうか。大統領は、レレ司令官は法に従うべきだといい、ラモス=オルタ前大統領もわれわれは大統領の判断に敬意を払うべきだといいます。当然です。しかし元戦士の立場とはいえ現役の国防軍幹部の一団が法にそった手続きに反発するとなると、おだやかではありません。
タウル=マタン=ルアク大統領が政府からの第二の提案を選択したことに反発する国防軍幹部たちが軍を去ると政府にいわれ、それにたいし大統領は「けっこう、わたしは若い世代を選ぶといい返した」とタウル大統領は4月19日、バウカウ地方で述べました(『ディアリオ』2016年4月19日)。こうなると売り言葉に買い言葉、法がうまく機能しない若い国家の運営の難しさが浮き彫りになっています。
勝手に兵舎を出てシャナナ大統領(当時)に嘆願する兵士たちをタウル=マタン=ルアク司令官(当時)は規律違反だとしてごっそり除隊処分にしてしまったことがきっかけで(正確に言うと「利用されて」)2006年に勃発した「危機」から得た教訓を指導者たちは忘れてはなりません。その教訓とは、指導者たちが互いに耳をかしあうことだったはずです。
~次号へ続く~
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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