4.30世界資本主義フォーラム 内容紹介 「ドル本位制」下の金融危機
- 2016年 4月 25日
- スタディルーム
- 吉村信之
- 講師 吉村信之さん(信州大学)
- 演題 「なぜ、金・ドル交換停止後もドル基軸通貨体制がつづくか
今回の報告は、①以前の拙稿(「世界貨幣と国際通貨」SGCIME編『金融システムの変容と危機』2004)で明らかにした変動相場制移行の「ドル本位制」の構造を、その歴史的生成にも関説しながら概観すること、②拙稿公表以降に出来した2007年以降のサブプライム金融危機が、先の「ドル本位制」の構造のもとで、どのような諸因から勃発したのかを検討すること、を内容として予定している。
以下に掲げるのは、前掲拙稿「はじめに」における文章である。2007年以降の金融危機が起きる以前に書いた文章であるが、上に述べた①にあたる部分――「ドル本位制」の基本構造――を報告者がどのように捉えているのか、問題意識の端的なあり方が凝縮されていると思われるので、紹介のために若干の改訂をしたうえで再掲する。
かつてケインズは,金本位制を「未開社会の遺物」(Keynes[1971]:138,訳書:142[1])と評したが,この点からいえば,金本位制(金貨本位制,金地金本位制,金為替本位制),旧IMF体制(固定相場制)下の金・ドル本位制から今日の「ドル本位制」に至る経過は,1つの発展史と捉えることができる。いわゆる「ドル本位制」は,それが太古の昔から連綿と続いてきた金決済(商品貨幣決済)をもはやそのうちに含んでいないという点で,貨幣制度のうえからみて1つの終着点を,すなわち貨幣商品金の節約の極限を示している。アメリカは,それ自身世界最大の経常赤字を堆積しつつも,それを上回る資本流入によってこれをファイナンスし,さらに経常赤字国に資本輸出している。米国保有の債権・債務を自国通貨ドルによって相殺しているが,自国の債務を自国の発行するドルによって支払い続けることはできない。結局は債務による債務の「決済」,しかも――経常赤字が解消しない限りでは――無限に続くその繰り延べとなるほかはない。少なくとも理論上では。
世界貨幣としての金による最終的な決済(=ファイナリティとしての商品貨幣による決済)の余地は,古典的な金本位制たる金貨本位制からブレトンウッズ体制まで,徐々に縮小しながらも,残ってはいた。第2次大戦後の各国通貨当局にとって,ドルを準備として保有するのは,何よりもその保有リスクの僅少性,通貨当局にのみ開かれていたものであれ,その金交換性という地盤の故であった。IMF協定は,その第4条で金ないし合衆国ドルによる「平価の表示」を謳ってはいたが,実際には金による平価の表示が問題にならず,諸国がドル表示に右へ倣う形を採ったのは,金のアメリカへの偏在,そしてそれを基底で支えたアメリカの圧倒的な輸出競争力=国際収支の黒字があったからである。
アメリカの国際収支の黒字が,旧IMF体制の条件であった以上,日本や旧西ドイツ等各国の復興とともに,アメリカの国際競争力が低下し,国際収支の黒字を減らし(さらに赤字となり),もはや各国の金交換請求に応じられなくなれば,この通貨体制は早晩に崩壊するものと思われた。いわゆる「ドル本位制」へと金節約をさらに推し進めた直接の契機が,そうしたアメリカの経済的な覇権の低下であったことは,事実として指摘されよう。そして,多くの人々が恐れあるいは期待したように,その後は膨大な経常黒字に支えられた新たな基軸国が,米国になり代わり中原に覇を唱えるはずであった。かつて,ドルがポンドを追い落していったように,である。
この事態は当初如何に捉えられていたか。マルクス経済学の通説は,ドルの国際通貨としての流通根拠を,何よりも公的レベルに残っていた金との交換性に求めていた。この観点からすれば,1971年の金=ドル交換停止以降,80年代に至るまで,「金為替」であるドルがそれを止めたのだから,そこに「無理」や「矛盾」が生じ,やがては国際通貨としての位置を追われると思われた。だが,その後の事態はこの予測を裏切り,ドルは,様々な「侵食」に晒されながらも,いまだにその地位を保っている。アメリカは,国際的流動性を供給する国にして,国際収支の赤字国であるという,常識的に考えると実に奇妙な立場に居続けているのである。
「ドル本位制」は,どちらかといえば学術的な用語として使われる傾向があり,一般的には70年代以降の通貨体制を指す場合,為替相場に着目した「変動相場制」が用いられることが多い。為替相場が市況に応じて自由に変動することになったのは,いうまでもなく1971年の金・ドル交換の停止とともに,2年に足りぬうちに各国の通貨当局が為替市場への介入を,少なくとも恒常的には止めたからである。いま,ドルを用いることによってもたらされる便宜と,被る可能性のあるリスクとの双方を考えたとすると,上にみたようなマルクス経済学の通説的見解は,為替相場が変動することによって生じるドルの減価というリスクの方に着目し,このリスク故にドルは国際通貨として選好されなくなると考えていた。逆にいえば,ドルがそれまで国際通貨だった理由として,公的レベルのみにおいてであれ残されていた,価値のアンカーとしての金の機能,貨幣論的にみれば価値保蔵手段としての貨幣の機能を,いわば現身の金の価値保蔵性というイメージのままに重視していたことになる。固定相場制としての旧IMF体制が,大量のドル残高の故に,金交換性を支えきれずに崩壊した経緯からすれば,この限りでそれは正鵠を得た視角といえるだろう。ドル残高の累積はアメリカの債務にほかならず,それは取りも直さず金に対する債務なのだから,そこにドルの最大の弱点があったわけである。
しかしドルが有するそうした弱点にもかかわらず,それがいまだに選好されているとすれば,そこにはリスクを上回る何らかの便宜があることが考えられる。結論を先に述べるとこの報告では,固定相場制が崩壊する理由となった大量のドル残高は,変動相場制への移行とともに,大量のドル建て金融資産を提供した点,さらにそうしたドル残高の圧倒的な厚みが低額の取引コスト(貨幣取扱費用)をもたらすことを通じて,「為替媒介通貨」としてのドルへの集中化を導いた点を指摘し,金決済を死滅させた当のドルの最大の弱点が,最終決済なき今日,逆にその強みへと転じているという1つの矛盾,歴史的な捻れを指摘してみたいのである。そして,金本位制に対比したとき,「ドル本位制」が有している特殊歴史的性格――相対的なものであれ,その立脚点としての非商品経済的・権力的な要因の存在――へと目を向けておきたい(以上)。
先に述べたように、上掲の文は2007年以降の金融危機以前に書いたものである。本報告では、この「ドル本位制」についての理解を下敷きにしながら、冒頭で述べた②の部分――21世紀以降に勃発した金融危機が、1973年以降の「ドル本位制」とどのような必然的連関をもって発生しているかという点――に重点を置いて、新たな資料を加えながら、金融危機以降の現状について、報告を行いたい。吉村信之(信州大学)
[1] Keynes, J.M. [1971], A tract on monetary reform, The collected works of John Maynard Keynes Vol.4., Macmillan.(中内恒夫訳『ケインズ全集第4巻 貨幣改革論』1978,東洋経済新報社。)
2016年4月30日吉村信之・世界資本主義フォーラムのご案内
<矢沢国光>
●主催 世界資本主義フォーラム
●日時 2016年4月30日(土) 午後2時~5時
●立正大学大崎キャンパス 9号館4階 941教室
〒141-8602 東京都品川区大崎4-2-16 TEL:03-3492-2681
大崎または五反田駅から徒歩7分
最寄り駅からの地図は http://www.ris.ac.jp/access/shinagawa/index.html
キャンパス地図は http://www.ris.ac.jp/introduction/outline_of_university/introduction/shinagawa_campus.html
宇野 経済学から見た国際通貨システム」
参考:吉村信之、「ドル本位制」下の金融危機、SGCIM篇「世界貨幣と国際通貨」『金融システムの変容と危機』(お茶の水書房 2004)所収
●資料代500円 どなたも参加できます。
● 問合せ・連絡先
矢沢 yazawa@msg.biglobe.ne.jp 携帯090-6035-4686
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study733:160425〕
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