中国問題とダボス会議の「悪趣味」──先週の新聞から(14)
- 2011年 2月 3日
- 時代をみる
- ダボス会議中国問題先週の新聞から脇野町善造
1月22日付けのEconomist に、「中国人民元:小説よりも奇なり」という記事が掲載された。内容自体はそんなに興味のあるものではないが、このなかで、1月16日のWall Street Journal(WSJ)(とワシントン・ポスト)に掲載された胡錦濤(フー・チンタオ)中国国家主席の「回答」が何箇所か引用されている。「国際通貨体制は過去の遺物だ」と言ったことと並んで、「米国の金融政策は世界全体の流動性と資本の流れに大きな影響を及ぼす。従って、ドルの流動性は妥当かつ安定した水準に維持されるべきだ」と語ったこともキチンと紹介されている。当たり前と言えば当たり前だが、胡錦濤の「回答」をWSJから再掲した日本の新聞が、「国際通貨体制は過去の遺物だ」とした部分だけを強調していたことを考えると、報道の姿勢については考えさせられるものがある。
なお、Economistは人民元を「レッドバック」と呼んでいた。ドルを「グリーンバック」ということになぞらえたものであろうが、「レッドバック」とは聞き慣れない言葉である。人民元紙幣が本当に赤みがかっているのならともかく、今の中国の体制を思い描いて「レッドバック」といいうのであれば、これは悪趣味である。
1月26日付けのFinancial Times (FT) では、著名な経済記者といっていいMartin Wolf氏が「中国がドルを愛するのを嫌がる理由」という記事を書いている。ウルフ氏らしいすっきりした記事であるが、結論は理解しがたい。ウルフ氏は、中国が大量にドルを購入し、蓄積してきたのは、「自国通貨の為替レートを低く抑えて輸出競争力を維持しようとする努力の副産物」だする。その通りだと思う。そして依然として輸出に依存しなければならない中国は、当面この「努力」を続けざるを得ない(また、資産としてのドルの崩落を避けるためにもそうせざるを得ない)。慧眼のウルフ氏がそのことを知らないはずがない。それにもかかわらず、氏の結論はこうである。「胡主席に対する筆者のアドバイスは単純である。中国があの忌むべきドルの横暴から逃れたいのであれば、買うのをやめろ、というものだ」。中国がドルを買うのを止められないことを知っていて、「買うのをやめろ」というのはアドバイスとは言わないであろう。少ないとも良い趣味ではない。
世界経済フォーラム ( WEF ) の第41回年次総会 ( ダボス会議 ) が1月26日から30日までの間ダボスで開催された。日本では菅総理大臣が駆け足でこの会議に出席したことが報じられた以外に大きなニュースにはならなかったが、欧米各紙はそれぞれのスタンスでこの会議のことを報じた。 政財界、それに経済学「界」の、「要人」とされる人物が2500人も集まり、しかも主催者には「すべての問題は、これらの要人が一つのテーブルを囲んで話し合うことによってしか解決されない」という思い入れがある。その限りにおいては、イタリア国境にほど近い山岳リゾート地での会合が一定の注目を集めるのは無理のないことかもしれない。私はダボスに行ったことも、行こうと思ったこともないが、それ以上に、ダボスで世界経済の大きな問題の何かが解決されたということを聞いたことない。高級リゾート地の豪奢なホテルで立派な服を着こんで(場合によってはワインを片手にしてかもしれない)貧困問題を語るというのは、人民元を「レッドバック」と呼ぶ以上の悪趣味である。
Neue Türicher Zeitung(NZZ)は会議初日の26日のノリエル・ルービニ(Nouriel Roubini)教授の講演を伝えている。ルービニ教授は2007年に始まる経済危機をただ一人予想した経済学者として知られてる、「悲観派」の代表的研究者であるが、教授はここでも悲観論を展開している。「グラスの半分は満たされたが、半分は空のままだ」として、アメリカの巨額赤字、欧米の高い失業率が世界経済を脅かしていると警告している。ただNZZの記事は、このルービニ教授の警告を伝えた以外は当たり障りのないものとなっている。NZZは開催地スイスの新聞ではあるが、意外にダボス会議を冷ややかに見ているのかもしれない。
これに対して、1月26日付けのGuardianは、ダボスで世界的な投資家ジョージ・ソロス氏がイギリスのキャメロン首相に、「政策転換をしないと景気後退に見舞われる」と警告したことを伝えている。ソロス氏は1992年に大規模な投機によって、ポンドを危機に追い込んだ張本人であるが、そうであるが故に、その人物が「イギリスの連立政権の緊縮政策は維持困難である」と警告するのは意味深長だとGuardianは考えたのであろう。しかし、ポンドを危機に追い込んだ男とそのポンドを防衛すべきイギリス首相がスイスのリゾート地で対話をするというのも奇妙な絵である。
もちろんGuardianも上述のルービニ教授の警告を報じている。ただし、NZZが伝えたような、世界経済全般に関する警告に留まらない。ルービニ教授は、イギリスはユーロ圏の中の弱い環(アイルランドやポルトガルのことであろうか)と変わらないと警告したとする。その上Guardianはご丁寧に、このルービニ教授の警告が、キング・イングランド銀行総裁が「イギリスの家計は1920年代以来最も長引いている生活水準の低落に苦しんでいる」と発言した数時間後のことであったことだとする。キング総裁のこの発言は、イギリスの実質賃金が6年間にもわたって低下したことは1920年代以来のことであることを指摘したものである。不明にもイギリスの労働者がそれほど苦しんでいることを知らなかった。それにもかかわらず連立政権は緊縮財政政策を変更する気持ちはないようだ。しかし、ソロス氏が指摘するように、それはそろそろ限界に来ているのであって、アイルランドや地中海諸国と同様に、イギリスも安泰ではないようだ。Guardianの文面からもそのことは察しられる。
Guardianは、ルービニ教授がまだ四つの大きな危機が残っているとして、その一つにスペインの問題を挙げたことをも報じている。スペインの新聞El Paísも当然ルービニ教授の発言には注目している。しかし、その報じ方は、素人目にも辛辣である。1月26日のEl Paísは、ダボス会議を「虚栄の市」(feria de las vanidades)と呼び、ヘリコプターに乗り大勢のボディガードに護衛されたVIP、豪華な車、毛皮のコート、等々といったものがこの「虚栄の市」を特徴づけるとしている。先に、こんな会議で貧困問題を論じるのは悪趣味だとしたが、El Paísの書きぶりにはある種の「嫌悪感」さえ感じられる。もっとも、ジャーナリズムとしてはそれが健全な感覚だともいえる。ともかくこんな会議で、4人も付添人を引き連れて演説をするルービニ教授に対しては、El Paísがいい印象を持つはずもない。同教授は2010年にはダボスで「ギリシャの崩壊が一つの問題だとしたら、スペインの崩壊は災禍である」といったそうだが、今年の発言(「スペインは失敗するには大きすぎ、救済するにも大きすぎる」)も、同じようなものだとEl Paísは突き放す。この背景には、去年のルービニ教授の警告を受けて、スペインは前例のないほど厳しい緊縮財政に転換したが、その効果が見られないという現実がある。国会のさなかに「虚栄の市」に飛んで行った日本国首相には、このEl Paísの記事を読んで貰いたかった気がする。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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