本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(120)
- 2016年 5月 3日
- 評論・紹介・意見
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クルーグマン教授のオフレコ発言
3月22日に、ノーベル経済学賞を受賞した「クルーグマン教授」と「安倍首相を始めとした政府高官」との会合が開かれた。そして、この内容については、いわゆる「オフレコ発言」だったはずだが、現在では、クルーグマン教授により明らかにされている。そして、原文を見ると、いろいろな点が指摘されているが、基本的に、「クルーグマン教授」が考えていることは、「経済政策の非対称性」であり、実際には、「現在の日本は、大胆な財政政策を実施すべきである」ということでもあるようだ。
つまり、かつての「大恐慌か、それとも、大インフレか?」という議論のように、「現在、財政政策を実施しなければ、世界経済は、更なる不況に陥る」、そして、「その時には、世界経済を救う政策的な手段が見つかりにくい」というものである。しかし、一方で、「財政政策を発動すれば、世界経済が良くなり、その時には、イエレン議長や黒田総裁、そして、ドラギ総裁は対応できる手段を持っている」とも考えているようである。
また、「金融政策」については、「世界的に限界点に達しており、今後は、影響力が減少するだろう」ともコメントしており、「クルーグマン教授は、あくまでも、財政政策に固執している状況」とも言えるようである。しかし、この点については、実際のところ、「10年前、あるいは、20年前の議論」ではないかとも感じられたが、私が、このコラムの連載を始めた「1999年」に申しあげたことは、「ケインズの嘆き」でもあった。
つまり、「貨幣論」を重要視していた「ケインズ」は、「約50年に一度、世界の通貨制度が破綻している」という事実を捉え、「通貨の堕落」を、大きな問題であると考えていたのだが、当時の「ケインジアン」と呼ばれる経済学者は、「景気が悪くなれば、穴を掘ればよい」というように、「財政政策の実施」だけを重視していたのである。しかし、その後の推移をみると、「失われた20年」という言葉のとおりに、「日本経済は、たびたびの財政政策にもかかわらず、依然として、落ち込んだままでの状態」となっているのである。
しかも、現在のアメリカでは、「中央銀行は、弾が尽きた巨大兵器である」というコメントが出ており、このことは、「全ての手段」が尽き、「紙幣の増刷」という「通貨の堕落」が、誰の目にもはっきりと見える段階に差し掛かっている状況とも考えられるようである。別の言葉では、「クルーグマン教授」は、「ケインズ経済学」の一面だけを捉えており、最も重要な点を無視しているようだが、かりに、この意見を、「安倍首相」が鵜呑みにするとしたら、「不幸な目」を見るのは、「日本国民」とも言えるようである。
(2016.4.4)
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保護主義とグローバル化
今回の「アメリカの大統領選挙」を見ると、多くの候補者が「TPP」に反対しており、このことは、「実体経済」の面において、「保護貿易主義的な傾向」が、アメリカで強まっているようにも感じられるが、この点については、より深い考察が必要だと感じている。つまり、「保護貿易とグローバル化」の問題を考える場合に、「実体経済」と「マネー経済」を分けて考える必要性のことだが、実際には、「米(こめ)や自動車」などのような商品と、「デリバティブ」を中心にした「金融商品」との区別のことである。
そして、この点に関して、「1980年代」から「現在」までの「アメリカの政策」を振り返ると、基本的に、「金融商品」に関しては、「グローバル化」が促進されたものの、一方で、「実体経済」に関する商品に関しては、「自動車」などのように、「自国の競争力」が減少した商品に対しては、「保護貿易」の傾向が強まったものと考えている。ただし、「牛肉」や「米」などのように、「自国が競争力を持っている商品」については、積極的に「保護貿易」に反対する立場を表明しているようだが、現時点で注目すべき点は、「金融商品に関する競争力」でもあるようだ。
具体的には、「1995年頃」に、「双子の赤字」や「三つ子の赤字」に悩まされていた「アメリカ」が、「なぜ、現在、復活することができたのか?」を考えると、基本的には、「デリバティブ」という「金融商品」を、世界的に普及させた点が指摘できるようである。別の言葉では、「デリバティブを大膨張させることにより、メガバンクが復活しただけではなく、アメリカの財政状態も救われた」という事実のことだが、結局のところは、このことが、「グローバル化」が意味することだったようである。
しかし、現在では、この言葉が、ほとんど聞かれなくなり、反対に、「ローカル化」という言葉までもが生まれているようだが、このことが意味することは、「アメリカが、金融商品に関する競争力を失った可能性」でもあるようだ。つまり、「2008年のリーマンショック」までは、「デリバティブの大膨張」が発生していたのだが、その後は、いわゆる「量的緩和」が実施されたために、「デリバティブ」は、実質的に、価値を失い始めた可能性が存在するのである。
その結果として、現在の「アメリカ」は、「金融面での保護主義」に動き始めた可能性が存在するようだが、この点については、昨年末の「利上げ」が、大きな意味を持つとともに、今後の展開が気に掛かる状況とも言えるようである。(2016.4.4)
本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
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