「駄文」から見る舞台裏
- 2016年 5月 14日
- 評論・紹介・意見
- 中国阿部治平
――八ヶ岳山麓から(182)――
中国習近平国家主席は、去年中国共産党県クラスの幹部を集めた中央党学校第1回県委書記研修班受講生座談会で、「共産主義の理想実現は長い道のりである。だが、これを天空に浮かぶ蜃気楼のように考えるならば、これは忠誠心ある共産党員とはいえない」と強調したそうだ。
この講話が中国共産党県委員会書記を集めた初めての研修会で行われたのは興味深い。中国の地方行政は、だいたい一級が省・自治区と北京・上海など大都市、その下が民族自治州・地方大都市・県、そして郷、最末端が行政村となっている。県党書記は郷村の支配者である。習近平は今年初めに「末端組織での反腐敗推進」を打ち出しており、脅すか手なづけるかは別として、県党書記クラスを掌握しようとしているのである。
今年になって習近平講話に追従する「共産主義の理想を信じよ」とする評論がいくつか出た。中共機関紙人民日報には「理論部中国特色社会主義理論体系室」の若手記者李林宝の評論「意気盛んに“共産主義もうろう論”を排斥せよ」が載った(2016・04・13)。
内容は、(1)党員・幹部にマルクス・レーニン主義、毛沢東思想など「国是の哲学」に対する無信心がある、(2)中国は共産主義の第一段階すなわち社会主義のレベルにある、(3)さらに高度の共産主義段階は建設可能である。このためにいまから奮闘努力せよ、というものである。
李林宝は、いきなり党員・幹部をひったるんでいると脅しつけた。
「現在確実に認識が不確実で、理想がしっかりしていない党員・幹部がかなり(原文「一些」)いる。さらにつねづね共産主義の理想を口にはするが本当には信じず実践しないものがいる」(漢語の「一些」を「かなり」としたが、現実にはこの「一些」は「多数・ほとんど」を表わしている)
党員・幹部によっては“カルシュウム不足”で理想、信念が揺らぎ、共産主義ははるか彼方のものと考えたり、ビタミン不足で“軟骨病”を病むものがいるというのである。
思うに、「国是の哲学」にたいする信仰の危機は、中国だけ、幹部だけの問題ではないし、今更のことでもない。第一、ソ連・東欧の旧社会主義国の指導者にマルクス・レーニン主義者は一人もいなかったのではないか。私は長い中国生活の中で、「マルクス主義をよく勉強している」と感じた党員・幹部に会ったことは一度もない。
もう20数年前、中国で日本語専攻の学生に「弁証法の三つの法則」を日本語で書けという課題をときどきだしたが、まともに書けたものがほとんどいなかった。日本語ができないのではなく、弁証法の教条を「勉強したがみんな忘れた」ためだ。その世代がいま中堅党員・幹部になっている。共産主義の理想を信じない者が多数いるのは当然である。
李林宝は「現在、人によっては目前の経済利益に注意が向き、共産主義の理想実現は遥かかなたのものと思い込み、さらに共産主義を天空に浮かぶ蜃気楼と考え、現実となんら関係のないしろものと思い込んでいる」という。
いうまでもないが、「目前の経済利益に注意が向く」党員・幹部は決して少数ではない。今年4月16日までの中国青年報のアンケートによると、農村住民の約80%が、郷村幹部の(1)官職の売買、(2)職責の軽視と私情にもとづく不正、(3)食事や財産のたかり、(4)公共資産の私物化などを農村幹部の突出した腐敗行為として指摘したという。中国青年報は末端行政幹部の行動が党中央の権威を損なう危険を指摘した(共同・産経2016・4・16)。
私もこの手の幹部にしばしば出会った。最初は驚いたが、あとはあきれるだけだった。
李林宝は「今日われわれはすでに共産主義の第一段階(社会主義)の路上にある」という。中国では、確かに中共主導の1949年の革命があった。「人々は能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」社会が成立したのである。
そして、今から20数年前の趙紫陽政権のとき、中共には現状を社会主義の初期段階とする理論が生れた(当時日本共産党も似た意見だった)。これは打出の小槌で、これで社会主義の原理に反するマイナス現象はなんでも説明できた。大躍進の飢餓や文化大革命の暴行破戒などによって何千万もの人が死んだのも初期現象だ。下は郷村幹部から上は党中央までの腐敗も初期現象だ。だが、中国は今や世界第二の経済大国である。初期段階とばかりいっていられない。
では、中国で「人々は能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」原則はどうなったか。それは一部党員に特権を与え、高級官僚とその眷属を大金持にさせ、他方労働者農民のなかに貧困と失業を存在させる形で実現している。上層党員・高級幹部にとって現実は実に甘く、まこと「中国の“涜職”のある社会主義」である。
かつて多くの中共党員・労農人民が党の説く理想をかたく信じて、投獄、拷問、銃殺、戦死の恐怖に屈せず、戦い、大陸の広野を血で染めたのはこのためだったのだ!?。
李林宝は、共産主義の高度の段階はただの夢じゃないと強調する。
ただし、それは絶対に「土豆焼牛肉(肉ジャガに近い)」のような簡単な代物ではなく、たやすく手に入るものでもない。我々の現在の水準は……(社会主義ではあるが高度な段階の)共産主義とははるかに隔たっており、到達にはまだ長い道のりがあるという。
ここで横道にそれます。
この「土豆焼牛肉」は、友人の教えるところでは、1950年代末当時のソ連共産党のフルシチョフが支配下のハンガリーを訪問し、「共産主義が実現したら、ハンガリーの皆さんは毎日“古拉希”を食べることができますよ」といったことに由来する。(“古拉希”はハンガリー料理の“グラーシュ”ではないかとおもわれるが)当時、中国記者は”古拉希”という料理を知らないまま「土豆烧牛肉」と翻訳した。これが当時の幹部用新聞「参考消息」に登場し、中ソ論争のなかで中共は、共産主義は簡単に料理できるような「土豆烧牛肉」ではないとソ連を批判し、「修正主義」と断罪した。「土豆烧牛肉」式共産主義という言葉はソ連修正主義の代名詞として通用した。
そこで、李林宝は「共産主義の遠大な理想を樹立し、その実現のために微力を捧げる仕事は必ず今から始め、自分から始めなければならない。一代また一代と共産党人は前進しつづけ努力すれば、理想は必ず実現するのだ」と党員・幹部の尻を叩く。
かくなるうえは、李林宝は現実にある中国社会主義のどこをどうすれば共産主義段階に近づけるのか、その道程を示さなければならない。だが、それはできない。気の毒なことに、それをいい始めるとマルクス主義者でなくても体制批判になってしまって、身が危ないのである。
李林宝自身も掲載を決定した人民日報編集者も、「信じる者は救われる」程度の、くだらない説教だとわかっていただろう。だがあえて書き、あえて掲載したのは、習近平に追随してのことである。
そうでなければ人民日報理論部にはよほど実力ある書き手がいないのだ。
では、いままで「共産主義の理想を口にはするが本当には信じず実践しなかった」ダラ幹連中は、この手の評論を読んで発言を求められたらなんというか。いまのところは全員が「共産主義への道を確信した」と答えるだろう。だが内心は「ふん!そんなことか」と思っている。そして今までどおりの頭で、慣れ親しんだ行動しかしない。李林宝の評論を読んで頭を切り替えようとする人はたぶん狂人である。
ところが、習近平周辺は、ダラ幹が公然と「ふん!」と発言する状況が近づいているとあやぶんでいる。さきに田畑光永さんは「習近平政権の言論・思想弾圧がとめどなく広がっている」と指摘したが(本ブログ2016・5・2)、その背景はこの危機感である。
中共の政権は軍事予算を上回る公安関係費によって治安を保ってきた。今も十分だ。地方では年間20万件に及ぶ騒ぎが起きているが、人民大衆は不満をいっているだけ。彼らには陳勝・呉広がいない。少数インテリが言論・思想信条の自由とかいうのも恐れるに値しない。いずれも1989年の天安門事件のような、一党支配を揺るがすような騒擾事件にはならない。
だから、この評論も言論・思想弾圧も、一党支配につきものの強迫神経症によるものである。むしろ習近平政権が用心すべきは、党や軍の中枢からさまざまな口実をもうけて遠ざかるものが生れるときである。それが任期満了の2023年までに起きるか、その先までもつか、まだわからない。
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