テント日誌5月12日…「憲法25条を守れ」と声を上げる人たち
- 2016年 5月 14日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば2707日
月例祈祷会の横を「憲法25条を守れ」と声を上げる人たちが通り
今日も良い天気、道行く人の服装も軽やかになった。
東電株主訴訟があったので参加者が寄ってくれた。
泊まり開けのKさんは傍聴しようと行ったが抽選にもれたと帰って来た。
大阪から来たという男性が寄ってカンパをしてくれた。
関電前行動に参加しているとのこと。
午後3時からテント前で呪殺祈祷僧団の方達が鎮魂の祈祷会を行った。
丁度同じ時間に「社会保障・社会福祉は国の責任で!憲法25条を守る5・12共同集会」の国会請願デモが通ったので、居合わせた人たちで激励し、一緒にシュプレヒコールをあげた。
テント前では原発反対!の声も…
車椅子の人たちや盲導犬を連れた人も居た。
集会は3500人の参加者だったとか、25条って何だっけ?
生存権のことみたいと改めて考える。
すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2)国はすべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及
び増進に努めなければならない。
最近戦争法や裁判のことに気をとられてこの基本な条文をおろそかにしていたような気がする。
子どもの貧困・保育園のことなど国は福祉をもっと重視するべきとデモを見ながら思う。
4時頃デモの最後尾が通り、祈祷会も終わったのでテントを離れた。(I・K)
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連休も終わり気分を新たにって日々だけれど…
まぁ、いつものことだけど、連休のまえにはあれをしよう、これをしようと考え、ちょっとしたプランも練るのだが、結局、何をできずに終わる。これでいいのだろう。あれこれしようと思ったりするのが休みの意味なのだろうし、そういう小さな夢を見させくれるのが休日なのだろうから…。テントは連休といって、これという企画も立てなかった。テントは5年目を迎えて、持久戦のスタイルが身についたといえば恰好がいいが、時間の経つ中で、段々と日常化しているということなのだろう、と思う。テントの事が頭から切り離せなくて、何日かはテントにくる。会社などに出掛けるのとちがわないような、習慣化がそこにある。この事情は毎週金曜行動に出掛けてくる人たちと似ているのかも知れない、
でも、こういう日常化していく行為についてしばしば考える。何故なら、このテントを作り、それを維持するというのは日常のベクトルとは違った行為としてあり、僕自身もそういうものとしてこれに参加してきたという面があるからだ。脱原発の運動や闘争とは日常とは違うところに意識や関心が動く、そういう触手が動いて出来た側面がある。身辺雑記に身心が動く、そこに触手が延びるのは日常であり、日常という習慣的な行為だ。これとは異なって心身がうごく。触手が動くということがある。僕らは日常的にめしを食い、会社などに出掛けて行くのはこうした日常的、あるいは習慣的行為である。書物などに触手を延ばしての精神的な活動という意味では新聞や雑誌などを読むのはこういうものの一つだ。
僕らが脱原発や反原発の行動に動くことは、この日常的な心身の触手行為とは違うのであって、日常や習慣とはちがって意識が動くことであり、触手が意識的にあることだ。これは外から事件などという形の衝撃があり、それによって触手が日常とは違った動きをする、ということが大きな契機になる。原発のことに僕らの意識が呼び起こされ、触手が延びて行くことは、動かされることはそういうことだ。しかし、日常化し、習慣化することはこうした触手が動かない、ある種の停滞を経験していることのように見える。日常化し、習慣化して行くことと、そこから離れて触手が動くことの中にあることとに矛盾があるのか、そのように思えるところがある。(実際は後で述べるように、僕らの触手が動くように機能している)
僕らが脱原発―反原発運動を闘いとしてやっていることは、そこで日常や習慣を超えた思考がはたらいていることであり、触手が延び動いていることにある。そのような現象なのである。その闘いが日常化し、習慣化することは停滞のように現象し、矛盾のように思える。そうであることに違いないのだ。しかし、これは、今、僕らの闘いが根源のところでぶっかっていることのように思う。僕らの意識や関心が日常や習慣化を超えて動くこと、そのように触手が働くこと、そのようにして国家や社会の事を考え、思考すること、それを通じて、国家や社会をイメージし、構想することはその持続が困難であり、それに耐えうるとすれば、それを日常化し、習慣化するしかない。それは社会全体の中で、現在という時代の中で、国家や社会のことを考え、それを変えて行く構想を紬ぎ続けることが、持久戦的な闘いとしてあることを強いられている結果なのか、と思う。
社会や国家を変える、その構想を生み出して行く政治的な闘いは持久戦的な道しかとれなくなった現在が強いていることなのか。僕はそんな風に考えてしまう。そして、この持久戦的な闘いは個々の内発性だけで支えられるのか、つまり日常化し、習慣化しても、身辺雑記だけはなく、心身が動いている、つまり触手が働いていることは何によって可能になるのか、ということだ。自己問答を繰り返す形での持続だけでそれは可能なのか、と。これは非常に重要なことであり、この主体的な働きなしに、僕らの触手は動かない。しかし、それと同時にそとから働いてくる契機が重要である。どんなに拡散的で、速い流れにある外からの契機が重要である。それをどうつかむか、あるいはそれにどのように捕まえられるかでもいいわけだが、外から(個にとっては)としてある契機と関係し続けることが大事なのだ。
テントは僕らの集合的な力で生み出したものだが、その存在は生きたものとして、ぼくらにとっては外からの契機を持ったものとしてある。テントは僕らの触手というか、その働きでできたものだが、今度はそのテントが僕らに触手を働かせるものとして機能する。日常化し、習慣化した形でテントにいくという行為は、その内部でそれを超えて触手が働くように機能している。テントはそれに関わることで原発のこと、あるいは社会や国家のことを考える契機を人々にあたえるそういう機能をはたしている。これは、金曜日の官邸前行動が果たしている役割というか機能にも似ているといえようか。日常のようにテントに出掛け、その行為は習慣化しているのだが、その中で、原発や国家や社会のことを考えることがもたらされているのだ。テントが僕の触手が働くように機能している。これは不思議だがそういうことなのだと思う。テントは僕がここでいう外からの契機をもっており、そのように僕らに働きかけているのだ。
今日は「月例の呪殺祈祷会」がテントの前で行われた。これに参加しながら、これはテントが外から僕に働きかけていることであると思った。テントを媒介に触手を働かせせられているのだと思った。この祈祷会は死者という存在を媒介にして現在を考え、現在を批判的に見るその事で現在をこえることを指し示そうとしていたのだが、僕らに見えにくくなっている現在から未来の道を切り開いていくことのように思えた。未来を考えることは、過去を考えること、歴史というか、過去との対話が現在や未来を考えることだとういことを具体的にやってみせられたのだが、これは僕らがどこかで考えていることの実践的な展開でもあった。オバマの広島訪問のことが話題になっているが、彼は原爆の死者のことをどう考えているのか、その声を聴こうとしているのか、たった一つこのことにすべては現れると思った。オバマの訪問が死者の声にアンテナを延ばそうとしていることなら、それは意味のあることだろうが、そうするのは彼自身の戦争観も含めて不可能なのでは思った。彼が死者の声に近づくのであれば、謝罪ということを超えた問題が横たわっているのであり、そのことに彼が自覚的であるか、どうかも疑わしく思った。(三上治)
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5月13日(金)午後5時から:経産省前抗議行動。テントひろば主催
下記のような行動になります
5月13日(金)は官邸前抗議集会(反原連主催)、ティーンズ・ソウルの行動も7時からあります。
中央構造線が動いている! 川内原発今すぐ止めろ!
5・13九電東京支社・経産省抗議行動
熊本地震は震度1以上の地震が九州のみならず全国で毎日起こり、既に1200回を超えました。一時は10万人を超える人びとが避難しました。地震は中央構造線に沿って発生しており、そのうえに建っている川内原発はとっても危険です。川内原発の再稼働の2カ月後に、建設を約束していた免震重要棟新設計画を撤回した九州電力は、全く信用できません。
また、地震災害と原発災害が同時に起こったら避難できません。今回の熊本地震では、(UPZ内は屋内退避を仮定しているにも拘らず)余震の心配があって屋内退避が不可能な地域が出現し、道路を寸断され、新幹線まで脱線して不通になりました。
経産省前テントひろばでは、
川内原発は危険!
九電は川内原発を今すぐ止めろ!
経産省は九電を指導しろ!
原子力規制委員会は川内1・2号機の再稼働認可を取り消せ!
などを柱とする抗議行動を計画しました。是非お集まり願います。
自然災害は止められないが、原発事故は人が決意すれば止められる!
<川内原発止めろ!九州電力・経産省抗議行動>
5月13日(金) 17時~19時
経産省本館前抗議(霞ヶ関) 17時~17時半
徒歩移動 17時半~18時
九州電力東京支社抗議(有楽町) 18時~19時
主催:経産省前テントひろば
〒100-0013 東京都千代田区霞が関1-3-1 電話:070-6473-1947
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