NATO空爆、F-117とF-16の撃墜余話
- 2016年 5月 17日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
ベオグラードの日刊紙『ポリティカ』(2016年4月28日)にアメリカ軍のある人事ニュースが載っていた。米空軍参謀長にデイヴィド・ゴルドフェイン将軍が任命された。そのニュースを知って、ユーゴスラヴィア防空軍の退役大佐ゾルタン・ダニが「まずは、おめでとうを言いたい。」とインタビューで語っていた。二人の間に何か親しい関係があるのか。
ここで「ユーゴスラヴィア」とは、東南欧州の雄国であったチトー大統領のあの国ではなく、スロヴェニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、そしてマケドニアが抜けてしまった後、セルビアとモンテネグロから成る新連邦国家の小ユーゴスラヴィアである。その新ユーゴスラヴィアのセルビア共和国からコソヴォ自治州を分離・独立させるべく、NATO諸国(米:民主党政権、英:労働党政権、独:赤緑連立政権、仏:左派連立政権、・・・)は、1999年3月24日から6月9日まで78日間、連日連夜間断なく米英空軍を中心にセルビア(とモンテネグロ)に対して大空爆をしかけた、国連の承認なしに。大NATOと人口800万人の小国がたたかったのである。普段は反戦非戦の日本市民社会の中道・リベラル・左派の99%がNATO空爆を支持した。日本・ユーゴスラヴィア協会の一部ノンポリ有志が呼び掛けて、空爆反対のデモを実行した。そこにある新左翼小団体の指導者がたった一人個人参加していた。私は、彼とたまたま並んで歩いたので、その団体の存在を知った。その後で知ったことだが、日本民族派組織の一水会は、空爆非難のデモをアメリカ大使館に向って敢行していた。私=岩田と一水会の縁が出来たのは、このNATO空爆によってである。有名な平和主義国際政治学者の坂本義和東大教授もドイツの世界的哲学者ハーバーマスも支持する大空爆に抗議してデモするとは、日本でも西欧でも北米でも全く孤立無援の行為であった。
小ユーゴスラヴィアは、この戦争に無条件降伏をせず、不利な形だが和を結んだ。そして世界を驚かせた。ユーゴスラヴィア防空ロケット部隊がアメリカ空軍の新鋭機を二機撃墜したのだ。
1999年3月27日、アメリカ自慢のいわゆる「見えない」戦闘爆撃機F-117を撃墜した。
1999年5月2日、F-16戦闘機を撃墜した。
両機のパイロット、F-117のデイル・ゼルコとF-16のデイヴィド・ゴルドフェインは、米空軍救助部隊によって無事救出された。
ゴルドフェインの参謀長任官に「おめでとう。」を言ったゾルタン・ダニ大佐は、当時ユーゴスラヴィア防空軍第3ロケット師団第2ロケット旅団の指揮官であって、二機の米軍機を撃墜した最大の軍功者だ。しかしながら、戦争が終了して、大統領選挙の敗北と大衆的市民運動の圧力によって、いわゆる「独裁者」ミロシェヴィチが権力から追放されて逮捕され、ハーグ国際戦犯法廷の被告席に立たされるようになると、親欧米リベラル新政権下、軍内において、NATO軍機撃墜の功績は不愉快なものになって行く。叙勲、昇進、出世どころか、ゾルタン・ダニの功績と能力にふさわしい地位・任務が与えられない。彼は、軍に嫌気がさして、2004年に自ら退官し、3人の子供と妻を養うために、畑ちがいのベーカリーを開店して、成功、今日に至る。私の推量であるが、対NATO戦最大の功績をあげた軍人が軍を去らざるを得ない空気をつくったのは、セルビア市民社会の反戦気分であったとすれば、武士の商法ベーカリーを成功に導いたのは、セルビア常民社会の反侵略気分のおかげであったかも知れない。
撃墜されたF-117のパイロット、デイル・ゼルコもまた米軍を退役して、旅客機用座席製造会社のサラリーマンになっており、4年前にセルビアを旅し、撃墜者ゾルタン・ダニ家のお客となって、3月27日の記憶を語り合った。ゼルコは、妻が編み上げたカバー(?)をプレゼントした。そのカバーの真中には「世界の平和と友好」を象徴する八角星があった。
撃墜されたF-16のパイロットは、今年4月に第21代米空軍参謀長に出世したデイヴィド・ゴルドフェインである。この地位についた2人目のユダヤ人だと言う。ゾルタンは、彼にも会って戦場の記憶を交換したいようである。しかしながら、パン屋の主人と客席製造会社のサラリーマンの間で出来たことが、パン屋のオーナーと米空軍参謀長の間で実現できるであろうか。
平成28年5月17日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
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