バラク・オバマは広島へ何しに来るのか(2) ― 堀田善衛が焦土東京で考えたこと ―
- 2016年 5月 21日
- 時代をみる
- オバマ半澤健市原爆堀田善衛
1945年3月18日に作家堀田善衛(ほった・よしえ、1918~1998)は昭和天皇を見た。天皇は10日の東京大空襲の被害状況の視察にきたのである。堀田が天皇を見たのは、深川の富岡八幡宮の焼け跡でだった。天皇の焦土視察は朝9時に宮城を出て。富岡八幡宮で下車し説明を聞いたのち下町の惨状を視察して10時には戻っている。堀田はそこで二つの異様な光景を見た。
《異様な光景を見た堀田善衛》
一つは、天皇に対する官僚や軍人の説明の「儀式」である。二つは、天皇に対する被災者の反応である。堀田の叙述を見よう。(■から■、「/」は中略を示す。出所は堀田善衛著『方丈記私記』、ちくま文庫)
■高位の役人や軍人たちが、地図をひろげてある机に近づいては入れかわり立ちかわり最敬礼をして何事か報告か説明のようなことをしている――それはまったく怪奇な、現実の猛火とも焼け跡とも何の関係もない、一種異様な儀式として私(堀田)に見えていた――
、それはなんとも、どう理解しようにも理解の仕様もない異様な儀式と私には思われた。
(62頁)
私は歩きながら、あるいは電車を乗りついで、うなだれて考えつづけていたことは、天皇自体についてではなかった。そうではなくて、廃墟でのこの奇怪な儀式のようなものが開始されたときに、あたりで焼け跡をほっくりかえしていた、まばらな人影がこそこそというふうに集まって来て、それが集まってみると実は可成りのな人数になり、それぞれがもっていた鳶口や円匙を前に置いて、しめった灰のなかに土下座した、その人たちの口から出たことばについて、であった。早春の風が、何一つ遮るものもない焼け跡を吹き抜けて行き、おそろしく寒くて私は身が凍える思いがした。/
私は方々に穴のあいたコンクリート塀の蔭にしゃがんでいたのだが、これらの人々は本当に土下座をして、涙を流しながら、陛下、私たちの努力が足りませんでしたので、むざむざと焼いてしまいました、まことに申訳ない次第でございます、生命をささげまして、といったことを、口々に小声で呟いていたのだ。
《作家のおどろきと自省》
私は本当におどろいてしまった。私はピカピカ光る小豆色の自動車と、ピカピカ光る長靴とをちらちら眺めながら、こういうことになってしまった責任を、いったいどうしてとるのだろう、と考えていたのである。こいつらのぜーんぶを海のなかへ放り込む方法はないものか、考えていた。ところが、責任は、原因を作った方にはなくて、結果を、つまり焼かれてしまい、身内の多くを殺されてしまった者の方にあることになる!そんな法外なことがどこにある!こういう奇怪な逆転がどうしていったい起こり得るのか!
/とはいうものの、実は私自身の内部においても、天皇に生命のすべてをささげて生きる、その頃のことばでのいわゆる大義に生きることの、戦慄をともなった、ある種のさわやかさというものもまた、同じく私自身の肉体のなかにあったのであって、この二つのものが私自身のなかで戦っていた。せめぎ合っていたのである。■(60~61頁)
堀田はこの「奇怪な逆転」がどうして起こり得るのかを、日本の中世文学を材料にして執拗に多面的に追跡する。堀田の考察を私(半澤)なりに読み解くと、我々日本人の心性に宿る無常観のなかにその理由―少なくとも最大の理由の一つ―が存在していると言っていると理解できる。堀田は「優しさ」、「優情」という言葉も使っている。
《無常観の政治化 politisation》
■人々のこの優しさが体制の基礎となっているとしたら、政治においての結果責任もへったくれもないのであって、それは政治であって同時に政治ではないということになるであろう。政治であって同時に政治でないという政治ほどに厄介なものはない筈である。このケジメというもののない厄介きわまりないものの解明に、おそらく日本の政治学はその全力を注いでいるものであろうと、私などの門外漢は推察するだけである。■(65~66頁)
堀田は、この厄介な状況に有効な解決策を提示しないが、慶大政治学科から仏文科へかわった作家らしく次のような認識を述べている。
■そのもの(「厄介きわまる精神状況」)は、ことばを選んでこれを言うとして、いわば無常観の政治化(politisation)とでも言うべきものであろう。ことばを選んで、言いながら、politisationなどという、まだ仏語の辞書にも正式にはのっていないようなことばを使うのは甚だ気のさすことであるが、サルトルが使ったかたちに従って私も使ってみた次第である。この無常観の政治化されたものは、とりわけて政治がもたらした
災殃(さいおう)に際して、支配者の側によっても、また災殃をもたらされた人民の側としても、そのもって行きどころのない尻ぬぐいに、まことにフルに活用されて来たものであった。■(66~67頁)
《原爆投下を容認して米国覇権を支持するな》
以上述べたことは、原爆投下への謝罪を求めた拙稿(当ブログ2016年5月3日)の再論である。読者からも世間でも謝罪不要論が多いことは私には意外であった。そこで堀田の昭和天皇の焼け跡視察記を思い出したのである。
日本臣民は焼け野原で、「陛下、私たちの努力が足りませんでしたので、むざむざと焼いてしまいました、まことに申訳ない次第でございます」と土下座した。
この「奇怪な逆転」が広島で再現されようとしている。
いくら何でもオバマに対して我々が謝罪しようという意見はない。しかし謝罪なきオバマへの歓迎には、堀田が東京で見た「奇怪な逆転」や、米空将カーティス・ルメイへの叙勲と通底する論理があると思う。
米大統領はGHQの後裔である。それを「戦後レジーム」脱却を唱える安倍晋三が、広島訪問を歓迎する。それは戦後レジームの脱却ではなく深化である。
オバマは原爆慰霊碑に献花をして短いスピーチをするだろう。
それは、核廃絶を言いつつも、「核不拡散」(核兵器独占)を擁護し、自衛隊の米軍化を日米同盟強化であると礼賛するものになるだろう。
このままだと、後世の歴史書は、日本は2016年5月に、1945年8月の広島・長崎への原爆投下を、米大統領を招いた席で容認したと書くだろう。米大統領は被爆者の追悼に名を借りて、日本軍を抱合した米国の新覇権構想を表明したと書くだろう。
そういう歴史の形成にコミットすることに私は反対である。(2016/05/19)
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