オバマ「広島で謝罪はしない。それは歴史家の仕事」。歴史家の検証結果は謝罪要求である。
- 2016年 5月 24日
- 時代をみる
- 梶村太一郎
前回はオバマ大統領の広島訪問を前にした、原爆投下を巡る日米の歴史認識の矛盾を指摘した→「南ドイツ新聞」の論評を照会しました。
そこに今朝(23日)NHKが訪問を前にしたオバマ大統領との単独インタヴーに関して→特設欄で「ヒロシマからオバマ大統領へ」として伝えています。ヒロシマの声を彼に伝えようとするものです。ここで見られる4名の方の証言の中で、89歳の阿部静子さんのお話はぜひご覧ください。71年後の憎しみを越えた思いが語られています。
そして大統領との→単独インタヴューのビデオと邦訳全文も特設で報じています。
そのなかで、以下の質疑応答が見られます。一部引用します(強調は筆者)。
Q3
広島訪問という大統領の歴史的な決断を歓迎します。なぜ今回、広島に行こうと決めたのですか?訪問の目的は何ですか?
A3
大統領の任期が、あと僅かとなるなか、戦争の本質をじっくりと考えるよい機会になると思いました。私の目的は、単に過去を振り返るのではなく、罪のない 人々が戦争の犠牲になったこと、世界中で平和と対話を進めるために、できるかぎりのことをすべきだということ、われわれは引き続き、『核兵器のない世界』 を追い求めて努力すべきだということを訴えることです。それは、私が大統領に就任して以来、ずっと取り組んできたことです。
Q8
メッセージに謝罪は含まれますか?
A8
含まれません。戦争のさなかに指導者はあらゆる決定を下すということを忘れてはなりま せん。それについて、疑問を呈し、検証するのは歴史家の仕事です。7年半の間、同じ立場に身を置いた者として、どんな指導者でも、とりわけ戦争のときに は、極めて難しい判断を迫られることを知っています。ですから、私は今回、どうすれば、われわれは前に進むことができるかについて強調すると思います。同 時に、先ほど述べたように、人々が戦争でひどく苦しんだという事実を強調し、平和と外交を重視するかたちで、人間らしい対応と制度を進化させていく必要が あるということを強調したいと思います。
わたしはオバマ氏の就任直後の核廃絶を唱えるプラハ演説以来、その意図に期待もし、また注目してきました。それによってノーベル平和賞を得ながらも残念ながら、彼は就任期間中核廃絶へ一歩すら前進できませんでした。広島訪問はその点で彼の「失望を秘めたもの」にならざるをえません。現役大統領が被爆地を初めて訪問するという以上の意味は持たないでしょう。「南ドイツ新聞」も主張するように、せめてヒバクシャの声を直接聴くことぐらいは期待したいのですが。
さて本題ですが、インタヴューでオバマ氏は広島で予定されているメッセージに「謝罪は含まれるか」との問いに、「含まれない。それに疑問を呈し、検証するのは歴史家の仕事である」と答えました。政治家が言い逃れをする時にしばしば「専門家に任せましょう」というのは良くあることですが、これは核兵器使用国の大統領の重大な発言です。
そこで、ここに歴史家のひとつの「疑問と検証」である今月10日のアピールがあります。わたしも賛同しました。
英文もあり、ホワイトハウスにも届けられています。ひょっとしたらオバマ氏もこれを読んでいるかもしれませんし、それを踏まえての発言となったのかもしれません。
そのアピールはこれです:→オバマ大統領と安倍首相への謝罪要求アピール
英文はこれです:
→An Appeal From Hiroshima to U.S. President Barack Obama
and Japanese Prime Minister Abe Shinzo
このアピールは「南ドイツ新聞」が指摘した「日米の歴史の嘘と神話」を指摘した上で謝罪を要求し、憲法9条の信念に基づき「謝罪なき訪問」を次のように厳しく批判しています:
日本の植民地主義、軍国主義、米国の核戦争を経て、憲法第九条は、国家の非武装、軍事力によらない平和という絶対平和主義の思想、 すなわち「いかなる理由によっても人間には人間を殺す権利はないし、誰も殺されてはならない」という信念が具現化されたものです。「原爆・焼夷弾無差別大 量殺戮」も「日本軍残虐行為」も、まさしくこの絶対平和主義という普遍原理にあからさまに乖背する非人道的で破壊的な暴力行為です。これらに対する「責任」も認めず「謝罪」もしないまま、核兵器を保有し続け軍事力を増大させながら、「核のない世界」や「安全平和なアジア」の構築だけを表面的、形式的にだ け唱えることは、単に欺瞞行為であるだけではなく、憲法第九条の精神=人類の普遍原理を空洞化する、「人道に対する反逆行為」です。
Article 9 was established as a result of experiences of and reflections upon colonialism, militarism and nuclear destruction. Its fundamental philosophy is that “no one has the right to kill another person whatever the reason may be, and no one should be killed for any reason.” Both the indiscriminate mass killing by the atomic bombing and the Japanese wartime atrocities were brutal and destructive violence, which clearly violated the universal principle of the spirit of Article 9. Indeed, it could be said that the perfunctory call for “a world without nuclear weapons” or “the establishment of a peaceful Asia” without acknowledging responsibility for the above atrocities is not simply a sham, but also a betrayal of humanity and contradictory to the spirit of Article 9.
さて このアピールの発起人の一人である歴史家で広島市立大学平和研究所教授の田中利幸氏が、先日18日に東京の外国人記者協会で記者会見を行っています。英語ですがその全部が以下で視聴できます。
https://www.youtube.com/watch?v=PVATv2d9hO8
これを見ると、南ドイツ新聞が論評で「歴史家たちはこの両方の神話を論破している」と書いた根拠がここにありそうです。ナイドハルト記者も東京特派員としてどうやらこの記者会見に出席していたようです。オバマ大統領の広島訪問について彼がどう報告するかも注目しています。
初出:梶村太一郎氏の「明日うらしま」2016.05.23より許可を得て転載
http://tkajimura.blogspot.jp/2016/05/blog-post_23.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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