否認不諦
- 2016年 5月 31日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
就職して間もないころ、新聞くらい読まなければと思ってとり出した。隅から隅まで読もうと意気込んではいたが、目を通すだけで、ろくに読まなくなるのに時間はかからなかった。時々のニュースに時事解説や社説、読んだところで、書いてあるだけの記事、興味もそそられないし面白くない。いくら深読み(しようと?)しても、社会で一体何が起きているのか、何がその背景にあるのかよく分からない。どうも新聞だけではしょうがない。何かきちんとしたものを読まなければと、まず『世界』を定期購読した。今になって思えば、自分に読取るだけの知識も能力もなかったということなのだが、それだけでもないだろうという気持ちはなくならない。
オイルショックを機に高度成長が終わりを告げたが、平和な日本だった。その平和な日本にもかかわらず、工作機械メーカには戦前の軍需産業の文化が残っていた。独身寮で『世界』を定期購読するのはちょっとした危険行為だった。
自衛隊上がりの寮監は、月刊誌『丸』を定期購読していた。寮監の立場で地方から出てきた若い従業員にソ連や中共の脅威、さらに再軍備の必要性をあからさまに説いていた。そんなところで『世界』の購読は即要注意人物を意味した。『前衛』も気になったが、とても寮に持ち込めるものではなかった。
機械工学を専攻しただけの、二十歳をちょっとでた社会知らずに『世界』は正直重かった。当初、毎月なんとか読み終えるのに四苦八苦した。それでも関係した本を読んでいるうちに、基礎が出来てきたのか、ただの慣れなのか、通勤電車のなかで一週間もあれば読み終えるようになった。
『世界』と言っても玉石混淆は免れない。プロパガンダのお先棒を担いだ学者先生のおかげで、北朝鮮は異常と思えるほど輝いていたし、時間の無駄に近い記事もあった。それでも流石『世界』というものも多かった。特に藤村信が年に数回寄稿していた『パリ通信』には傾倒した。巷の社会認識に欠ける若い者には、もうこれで十分ということが、現代日本語の粋と呼んでもいい日本語で書かれていた。世界で何か起きるたびに、テレビや新聞の中途半端なニュースや解説にいらいらしながら、『パリ通信』で出てこないかと首を長くして待っていた。
イラン革命の時、新聞もテレビも、そこに登場する解説者の説明も要を得ないものだった。いくら読んでも聞いても、一体何が、何故、何を目指して起こっているのか分からなかった。数ヶ月遅れて藤村信の『パリ通信』を読んで、もやもやが晴れた。
既に『世界』で読んでいるのに、何回かの『パリ通信』を一冊にまとめた本が出れば、即買って改めて読んだ。そのなかに『プラハの春、モスクワの冬-パリ通信』がある。今でも読んだ当時の感動は忘れられない。
「人間の顔をした社会主義」を掲げて民主化運動の理念を示した『二千語宣言』を出したら、二千台の戦車が乗り込んで来た。渦中のあった人々の日常の抑制された改革への意思、怒りや悲しみまでを飲み込んだ上で、人々のありようが坦々と書かれていた。
ソ連によって抑圧され続けてきたチェコスロバキアの人たちの思いがソ連の武力介入で踏みにじられた。踏みにじられるのも、抑圧されるのも、プラハの春がはじめてではない。戦後間もない頃からプラハの春まで、さらにその後も連綿と続いてきた。プラハの春が次の社会のありようを作り出せなかったとしても、今までとどれほどの違いがあるのか。気持ちの整理もあってのことだろうが、それを次のような巷の人々の生の思いとして伝えてきた。
「今回の民主化改革が頓挫しても諦めません。諦めるというのは諦めた状況を認めることに他なりません。私たちは今までの、今の、そして今後起こるであろう状態を認められないし、認めない。諦めた状況を認めない限り、私たちは諦めません。」
大手新聞社をはじめとする報道で禄を食んでいる人たちとその延長線にいる評論家諸氏、組織もあれば資金もある。時間をかけて作り上げてきた情報網もあれば、親密な関係にある個人的なネットワークもあるだろう。その人たち、何らかの社会組織が見せたいと思って見せているものの解説に終始しているようにしか見えなかった。藤村信の報告は個人として培った広範な知識と教養、研ぎ澄まされた洞察力をもってして初めて可能だったのだろう。最後は個人、組織ではできない、個人でしかできないことがあることを証明しているように見えた。
至らない自分の能力も省みずに、いつもなにかを追い求めてきたような気がする。いくら何をどうしたところで、どうにもならないことも多い。正直しんどいし疲れる。周囲の人たちからは、なにをしゃっちょこばって生きているのか、七面倒くさいヤツとうっとうしがられてきた。それでも捨てられないものがある。
『プラハの春、モスクワの冬』、とても全てを理解できたとも思わないが、能力の限りで学ばせて頂いた。「諦めると言うのは諦めた状況を認めることに他ならない。状況を認めたくなければ諦めない、諦められない。」どうしようない状況に陥る度にこの言葉を思い出した。
どのしようもない状態であっても、考えれば、できることの一つや二つはでてくる。たとえ解決に至らないにしても、できることがあるならすればいい。しているうちに次の手も思いつく。何もしないで諦めれば終わる。諦めるというのは自分の今までの、たとえ、ちまちましたものでしかないにしてもしてきたことを、ひいては自分自身を棄てることになりかねない。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6122 :160531 〕
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