狙いは政治的レガシー(遺産)づくりか - オバマ米大統領の広島訪問 -
- 2016年 6月 1日
- 時代をみる
- オバマ岩垂 弘広島
さながら“オバマ・フィーバー”であった。オバマ米大統領の広島訪問についてのマスメディアの報道ぶりである。大統領の演説に対しても称賛する論評が大半であった。が、半世紀にわたって広島・長崎の被爆の惨状を見つめつつ、核兵器の廃絶を求める運動を追い続けてきた者としては、オバマ演説はすんなりと胸に落ちず、不満が残った。結局、大統領の広島訪問の主たる狙いは、退任を控えたオバマ氏による政治的レガシー(遺産)づくりだったのではないか、という思いを禁じ得ない。
木村朗、高橋博子著の『核の戦後史』(創元社)によれば、アメリカの大手民間調査機関ピュー・リサーチ・センターが2015年4月7日に発表したところによると、原爆投下についてアメリカ人の56パーセントが「正当だった」と答え、34パーセントが「不当だった」と答えたそうだ。「いまだにアメリカ人の半数以上が原爆投下は正しいと考えているわけです」(同書)。
そのような国から、オバマ大統領が現職の大統領としては初めて広島へやってきたのだ。だから、日本国民の多くは大統領を歓迎したのだろう。私もまた歓迎し、大統領の決断に敬意を抱いた。重大な決断だから、そこには重大な“覚悟”も秘められているのでは、と期待も抱いたのだった。
オバマ氏が大統領就任直後にチェコのプラハで「核なき世界を」と演説したのは2009年4月5日のことだ。そこでは、こう述べられていた。「核兵器を使用したことがあるただ一つの核保有国として、米国は行動する道義的責任をもっている」「だから、今日、私は明白に、信念とともに、米国が核兵器のない平和で安全な世界を追求すると約束します」「米国は核なき社会に向けた確かな歩みを始めます」。演説は、世界中の人びとに感動と希望を与え、私もまた感動したことを鮮やかに覚えている。それから7年たつ。それゆえ、広島での演説は、プラハ演説より“進んだ”内容のものになるだろうと期待したのである。とりわけ、核軍縮に向けての具体的なプログラムが聴けるのでは、と期待していた。
オバマ大統領の演説は17分に及んだ。私はそれをテレビ中継で聴いたが、翌5月28日付の朝日新聞、毎日新聞に全文の翻訳が載った。私は何度も繰り返し読んだ。私の解釈によれば、大統領演説の文脈はこういうことであったと思う。
――大古から戦争があった。戦争の原因は食糧不足、富への渇望、国家主義的な熱烈な思いや宗教的熱情であった。戦争により、多くの罪なき人たちが犠牲になった。第2次世界大戦では、6千万人もの人たちが亡くなった。大戦は広島と長崎で残酷な終結を迎えた。
科学によって、私たちは海を越えて通信を行い、雲の上を飛び、病を治し、宇宙を理解することができるようになった。しかし、これらの発見は効率的な殺戮の道具に転用することができる。現代の戦争は私たちにこの真実を教えてくれる。広島がこの真実を教えてくれる。科学技術の進歩は、人間社会に同等の進歩が伴わなければ、人類を破滅させる可能性があるのだ。原子力の分裂を可能にした科学の革命には、道徳上の革命も求められる。
したがって、1945年8月6日の朝の記憶を薄れさせてはならない。その記憶は、私たちが自己満足と戦うことを可能にする。
普通の人たちはもう戦争を望んでいない。科学の驚異は人の生活を奪うのでなく、向上させることを目的にしてもらいたいと思う。国家や指導者が選択をするとき、このシンプルな良識を反映させれば、広島の教訓は生かされる。広島と長崎は、「核戦争の夜明け」ではなく、私たちの道義的な目覚めの始まりであるべきだ――
大統領はこうした考えを、演説を通じて広く世界の人々へ訴えたわけだか、演説を聴いた私の率直な印象を言えば、「何を今さら。ここで訴えられていることは、いまや世界の常識ではないか。演説の中身はおおむね当たり前のことであって、新鮮な驚きはない」というものだった。
まず、日本について言えば、「地球上で、もう絶対に戦争を起こしてはいけない。そのためには人類を絶滅させる核兵器を早急に廃絶しなくては」というのが、すでに国民の大部分の共通認識となっていると言ってよい。原爆被爆以来の70年余に及ぶ広島・長崎両市民の原爆禁止へのさまざまな取り組み、日本国民にとって第3の核被害となったビキニ被災事件(第五福竜丸事件)が起きた1954年から、原水爆禁止団体や被爆者団体によって営々と続けられてきた核兵器廃絶運動によって、こうした共通認識が、日本の世論として国民の間に定着したからだった。
国際社会でも、広島・長崎両市や原水爆禁止団体、被爆者団体などによる長年にわたる、被爆の実相を伝える活動によって、ヒロシマ・ナガサキへの理解は確実に進んできた。そのことの反映であろう、国際政治の舞台・国連では、核兵器禁止条約締結への動きが具体化している。条約案がコスタリカとマレーシアによって国連に共同提案されたのは2007年だが、その後、これを支持する動きが非同盟諸国の間に広がった。
その結果、昨年暮れの国連総会で、「核兵器廃絶の多国間交渉の前進」と題する決議が採択された。「核兵器なき世界」実現に必要な具体的で効果的な法的手段を討議する作業部会を設置するという内容で、核兵器禁止条約を求めるメキシコやオーストリアが主導した決議だった。138カ国が賛成。反対は米国など核保有5カ国を含む12カ国。棄権は日本を含む34カ国。作業部会は今年2月から、ジュネーブで始まったが、米国など核保有5カ国はこれをボイコットしたままだ。
「核なき世界」を追求する熱意という点では、いまや世界各国のそれがオバマ大統領のそれを上回ると見ていいだろう。
ついでに言うと、プラハ演説でノーベル平和賞を受賞したオバマ氏率いる米政権は、その後、核軍縮でこれといった業績をあげていない。むしろ、核軍縮に対するサボタージュを続けている。例えば、1996年に国連総会で採択された包括的核実験禁止条約(CTBT)を、米政府はまだ批准していない。すでに164カ国が批准し、核保有国のロシア、英国、フランスも批准しているのに、である。
また、核不拡散条約(NPT)再検討会議ではこんなことがあった。この条約は、核兵器を持ってよい国を米、露、英、仏、中の五カ国に限り、その他の諸国には核兵器の保有を認めていないが、その一方で、核保有国に対し、誠実に核軍縮交渉を行うよう義務づけている。こうしたことが、ちゃんと運用されているかどうかを検証する検討会議が5年ごとに開催されている。
ところが、2015年の再検討会議は最終文書を採択できないまま決裂、核軍縮交渉の進展を願う世界の人々を落胆させた。議長がまとめた最終文書案に、中東非核地帯構想についての国際会議を2016年3月1日までに開くことを国連事務総長に委ねることが盛り込まれ、会議に「全中東諸国が招待される」と明記されていたことに、米国代表が「同意できない」と言明したからだ。中東非核化に向けた会議が開かれれば、アラブ諸国がイスラエルを非難するのは必至と予想されるところから、米国としては、同盟国のイスラエルに配慮したのではとみられている。
米国が、ジュネーブで始まった核兵器禁止条約実現に向けた国連の作業部会をボイコットしていることはすでに述べた。
要するに、核軍縮にブレーキをかけているのは米国を先頭とする核保有国の指導層とその背後にいる産軍複合体なのだ。だとしたら、核超大国のリーダーであるオバマ氏が「核なき世界」実現のための努力を訴える対象は、「戦争反対」「核兵器廃絶」を訴え続ける世界の民衆ではなく、むしろ、依然として核抑止力を放棄しないで核に固執する米国を含む核保有5カ国の指導層とその背後の産軍複合体ではなかったか。私にはそう思えてならなかった。
オバマ氏としても、ノーベル平和賞受賞後、自分が呼びかけた核軍縮に自らの行動が伴わなかったことに忸怩たるものを感じていたのではないか。なぜなら、演説の中にこんな一節があるからだ。
「私の国のように核を保有する国々は、恐怖の論理にとらわれず、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければなりません。私の生きている間に、この目標は実現できないかもしれません。しかし、たゆまぬ努力によって、悲劇が起きる可能性は減らすことができます」
私には、大統領が自らに向けた言葉のように思えた。
演説では、核軍縮に向けた具体策はついに示されなかった。私としては大いに不満だったのだが、考えてみれば、大統領にそれを求めるのは無理ということだったかもしれない。なぜなら、大統領の任期は来年1月までだから。いわば、オバマ政権は事実上、死に体である。これでは、これから先の、核軍縮に向けた具体的プログラムなど提示できないというものだ。
オバマ政権はこれまで、これと言った功績を残していない。与党の民主党が米議会で少数派だということも響いているのかもしれない。強いて功績を挙げれば、キューバとの国交回復ぐらいか。であるから、大統領としては、広島訪問を自らの政治的レガシー(遺産)づくりと位置づけていたのではないか。
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