安倍晋三の生い立ちから見るその本質― 野上 忠興著『安倍晋三:沈黙の仮面の下の素顔』を読む(1)
- 2016年 6月 3日
- 時代をみる
- 安倍盛田常夫
よりによって、安倍晋三本を読むなど、馬鹿らしいと考える人は多いだろう。私自身、知性と教養に欠け、しゃべりが下手で舌足らずな安倍晋三に、人間的魅力など一欠片も感じない。ところが、並の政治家にすぎない安倍が何重にもかさ上げされた評価を真に受け、高飛車な言動や政策を実行している。将来の日本に禍根を残すだけの政治家が、高い評価を受けている奇妙な社会現象こそ、私の関心事である。だから、その生い立ちを知り、歴史観や社会観の浅薄さを再確認し、そういう人物に国の将来を託す過ちを明確にすることに意味があると考えている。それが本書を取り上げる理由である。
アメリカの心配をする暇はない
国会で絶対多数を得て、安倍晋三は戦後政治で無視され続けてきた日本の極右の政治家や知識人の神輿に担がれ、ラストチャンスとばかりに集団的自衛権の容認や憲法改正へ突き進んでいる。一つのことに突き進める人物こそ、右転換の政策推進の神輿に乗せるのに適任だ。なまじ知性があって、深い哲学や歴史・社会観をもつ人物は、猪突猛進型の政治的突破の障害になる。昔から、ほとんどの独裁的政治指導者は浅はかで平凡な歴史・社会観を持つ人物だ。そういう人物を祭り上げて背後から指図する態勢を作るのは何も政治の世界だけではない。実業の世界でも、無能な社長を担ぎ上げ、自在に操る手法が存在する。安倍晋三の場合、唯一のレーゾンデートルである右旋回思考と背後の極右派勢力との利害が一致し、右展開の相乗作用が働いている。この神輿に乗る安倍晋三なる人物がどんな環境でどう育ち、将来の日本に大きな禍根を残す政治家となったのか、私の関心はそこにある。
今、アメリカの大統領予備選で、アメリカの世論は沸騰している。トランプの言動に、日本の保守政治家や外務省幹部は戦々恐々としている。政治家も政府もアメリカ追随の従属関係に取り込まれているから、その関係が崩れた先の世界を見通せないからだ。アメリカも日本も政治家の質は高くない。近代の立憲君主制の時代や建国の時代の賢人政治家たちと違い、現代の政治家は国や国民の百年の計を考え、自らの資産を擲(なげう)って国の政治にあたる人々ではない。トランプであれ安倍であれ、皆、目先のことしか眼中にない近視眼的政治家だから、知性や歴史・社会観の質に大差ない。
アメリカの心配をするより、自分の国を心配した方が良い。現在の閣僚の中には、大学時代から銀座のキャバレーに通い、勉強などろくにせず、だから漢字もよく読めない政治家が要職を担っている。また、大学時代にアルバイトに明け暮れ、勉強する時間もなく、卒業してすぐに政治家の書生になった人物が、内閣を取り仕切っている。目先の政策や党内の根回しには長けているが、とても国家百年の計を考えられる知性など持ち合わせていない。政治家というより政治屋である。そういう人物が一時的な景気高揚のために公金を湯水のように無駄遣いし、日本をアメリカの軍事政策により一体化させようとしている。馬鹿な政治家が浪費した付けや誤った軍事・外交政策は、10年20年後、いや50年100年後の国民がすべて引き受けなければならない。騙した政治家が悪いのか、騙された国民が悪いのか。どっちもどっちだが、アメリカの心配をする暇があったら、日本の将来を心配した方がよい。目先のことしか考えない馬鹿な政治家を抱けば、国は滅びるだけだ。
父母の愛情を受けられなかった幼年・少年時代
安倍晋三の言動や表情から、人としての情や、心からの思いやりが感じられないのは私だけではないだろう。その態度と発言は、常に、よそよそしく、率直さが感じられない。何事を語っても、気持ちが感じられない。本書は「沈黙の仮面」と形容しているが、安倍晋三に人を欺く仮面や知恵があるとは思えない。彼の言動は素顔そのものである。
安倍晋三の言動から、感情を表に出すことを憚る意識や、家庭の温かいぬくもりを知らない環境があったのではないかと推測される。人の性格や感情形成に幼年期や思春期の家庭環境、学校環境が影響していることは間違いない。
本書の著者野上氏は福田派と安倍派の番記者として、安倍晋太郎とも親しかった。本書を描けたのも、安倍家との関係が深かったからだ。安倍家の内情に詳しく、安倍の乳母だった久保ウメから、晋三の幼年期から思春期にかけての家庭状況や精神的発育の状況を詳しく聞いている。日本の政治家の家庭の様子が手に取るように分かる。
晋三は親の愛情を注がれて育っていない。日本の政治家は、昼夜を問わず、支援者や政治家との付き合いに飛び回っている。安倍晋太郎は子供に愛情を注ぐ時間を削って政治活動に没頭し、母は支援者回りに勤しんでいたから、二人の兄弟の面倒は乳母が見ていた。添い寝をしたのは母ではなく乳母のウメだった。だから、安倍家の親と子供の関係はきわめて冷めたものだったことは容易に想像される。
もっとも、長男の寛信は最初の子供だったこともあって、両親からそれなりの愛情が注がれたようだが、次男の晋三が生まれた頃には晋太郎の政治活動が繁忙を極め、父母の愛情を受ける機会がなかった。幼児期における親の愛情不足は子供の情緒を不安定にし、人を思いやる感性を育まない。
父母に代わって晋三をかわいがってくれたのは、母方の祖父岸信介である。晋三が父晋太郎より、祖父である岸を慕う原点がここにある。しかし、三男の信夫が生まれてから、この関係も大きく変わった。信夫は生まれて間もなく岸家に養子に出されたからである。岸信介の愛情もまた、晋三から信夫に移っていったのは自然なことだが、晋三には弟に祖父を取られたという意識が芽生えたことは疑いない。
人としての安倍晋三の心理と感性の形成は、このような複雑な家庭環境に大きく影響されている。
安倍家の長男寛信と次男の晋三は、性格が対照的だった。冷静な長男に比べ、晋三は口数も少なく、学業成績も良いとは言えなかった。だから、当然、政治家を受け継ぐのは長男だと考えられていた。こういう兄弟関係もまた、晋三の心的形成や精神的な成長に大きな影響を与えた。
安倍家や岸家を担ってきた政治家は、東大法学部卒のエリートであるが、晋太郎の息子3名は皆、私立大学の付属校に入学し、エスカレーターで大学まで進学した。ただ、兄の寛信は晋三と同じく成蹊大学を卒業したが、その後、東大大学院へ進学した。また、養子に出された弟の信夫は慶応大学経済学部を卒業した。晋三が大学進学を迎えた時期に、父晋太郎は「大学は東大しかないんだ」と、分厚い漢和辞典で晋三の頭を叩くことが何度かあったという。もともと学業を期待されず、偏差値が高いとはいえない付属学校をエスカレートで上がってきた晋三には、とても実現できる目標ではなかった。物心ついてからの晋三は徐々に学歴コンプレックスに悩まされていたはずで、父からの難題は、晋三に東大嫌いのコンプレックスを植え付けただろう。
そういう晋三が政治家として晋太郎を継いだことには理由があった。無口で目立たたない子供だったが、ツボにはまるテーマでは人が変わったように持論を守り、かんたんに引かずに相手を論駁することがあった。そのテーマこそ、尊敬して止まない祖父岸信介が孫に語った日米安保条約の正当性である。生半可に安保条約を否定する同級生にたいして、逆に問い詰め、論破することがあり、同級生を驚かせたエピソードが語られている。
簡単に首を縦に振らず、納得できないことには絶対に「分かった。ごめんなさい」と言わない頑固さに、父晋太郎が政治家の資質を見たという。事を荒立てないように、簡単に親に謝る長男寛信より、納得できなければ口を固く閉じ、謝らない晋三の方が政治家向きだと考えたようだ。安保法制がいかに不合理だと論破されても、頑なに持論を守る姿勢に通じる。二度も首相の座を射止め、学歴に及ばない兄と弟を出し抜いたことを、さぞかし自負していることだろう。
もっとも、この程度で政治家の跡継ぎが決められるのかとがっかりさせられる。政治家に求められる資質とは、少なくとも日本ではこの程度のものなのだ。同じ土俵で闘うことを避け、頑なに持論にしがみつくのは、たんに「愚鈍」なだけではないか。
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