霜を踏みて堅氷に至る ―― 習近平政権の言論統制
- 2016年 6月 21日
- 評論・紹介・意見
- 中国言論阿部治平
――八ヶ岳山麓から(188)――
すでに1ヶ月以上前のことになってしまったが、習近平中国共産党総書記は新華社など大手メディアを訪問して、「メディアは党の喉と舌たれ」と発言し、あらためてメディアへの統制を強める姿勢を明らかにした。延安時代の毛沢東講話をなぞっただけだが、当時とは事情がまったく違うから、国内外の注目と批判とを招いた。
大手不動産会社の任志強が「メディアは人民の利益を代表すべきだ。(メディアが党を代表するなら)人民の利益は隅に捨てられ、忘れ去られる」と短文投稿サイト「微博(ウェイポ)」で、事実上の習近平批判をやった。彼は3千万以上のフォロワーを持つ有名人である。
さっそく中国青年報など官製メディアが任志強批判キャンペーンを展開し、「反党分子を打倒せよ」など文化大革命を思わせる文言でぼろくそに叩いた。日本にいる私でも、任志強は身柄を拘束されるかもしれないと心配になった。
ところが党中央規律委員会のホームページに「党は批判を謙虚に受け入れるべきだ」という趣旨の論文が掲載されると、任志強非難がぴたりと止み、批判はインターネット上から削除され、彼は公式の席に姿を現した(産経2016・4・11)。
攻撃が一時中止されたあと、5月2日北京市西城区党委は、任志強を1年間の党内観察処分とすると発表した。理由は、任志強とその取巻きが自分の能力を巨大なものと思い込み、白黒をひっくり返し、人民と中共中央の対立を製造し、「党の路線と異なる誤った言論を発表したため」というものだ。
党の規律処分条例によると、党内観察は5段階の処分のうち党籍剥奪に次いで重く、期間中に問題があれば党籍剥奪となる。ネット上では処分に対する関心が一気に集まったが、意見の書き込みができない措置が取られた(共同、2016・5・3)。
任志強批判をめぐっての右往左往は中共最上層部に意見の違いがあったことを示している。中央規律委員会の主任は習近平の片腕の王岐山である。王岐山と任志強はともに公子党で親友である。習近平と王岐山の関係はいまどうなっているのか。
去年12月武漢理工大学マルクス主義学院四級教授張応凱、上海の復旦大学歴史系教授馮瑋などが政治紀律違反によって処分された。
張応凱は、2015年12月3日「マルクス主義基本原理」を講義したとき、「剰余価値」と「経済危機」の内容に不当な言論があった。剰余価値説を話したときは、「中国労働者の剰余価値は政府資本家連合にもっていかれている」とやった。さらにネット上で中国を「権貴資本主義」と侮辱した、という。
「権貴資本主義」とは、国務院発展研究センターの呉敬璉がcronycapitalism の訳語としたもので、中国では従来フィリピンのマルコスやインドネシアのスハルトの開発独裁・コネ政治を指していた。2010年11月に呉敬璉は新京報(新聞)記者のインタービューでは、「中国の権貴資本主義はだんだんひどくなった!」といった。これなら呉敬璉も処分されてよさそうなものだがまだ健在だ。
中国最大の検索サイト「百度一下」の「権貴資本主義」の説明末尾には、わざわざ「中国の最高層執政者の反腐敗の態度は断固不動のもので、その対策は世界から称賛されている」と付け加えてある。「百度一下」の編集部も大変ですなあ。
張応凱は非難にさらされてから自己批判をして処分を軽くしてもらった模様である。
復旦大の馮瑋の処分理由はかなり深刻だ。
馮瑋は「中国の近現代史と政治教科書の原本は“小説”にすぎず、近代以後の中国史は厳格にいえば歴史ではなく、政治宣伝である」といった。また「長期の愛国主義教育がでたらめな歴史をつくりあげた」として、(自己犠牲の典型として宣伝された)雷鋒のやったことは捏造だ。国共内戦期の英雄とされた董存瑞(1929~48)や劉胡蘭(1932~47)は民族英雄ではない。日本軍との戦闘で戦死したとされる左権将軍(1905~42、八路軍副総参謀長)は戦死ではなく党内で迫害されて自殺したものだ、などとやった。
また彼は現在比較的高名な羅援ら軍事専門家などをほとんど嘲笑し、投稿サイト「微博」で「中国軍人の素質は最低」「中国軍人は死を恐れ、賄賂をむさぼり、空論をほざき、正業に努めず、ただスローガンを叫ぶのみ」と言った。
蒋介石統治の1930年代は黄金期と見、日本の傀儡政権を作った汪精衛(兆銘、1883~1944)に対しては敬意を示すが如くであった、という。
というわけで、彼は長期にわたって党と政府を攻撃し、党の歴史と革命烈士を真っ黒に塗りたくり日本軍国主義を美化したとか、歴史ニヒリズム(原文「歴史虚無主義」)の最典型・最悪の代表人物であるとされている。中国で歴史ニヒリズムといえば、中共公認の近現代史に疑いを抱き、あるいはこれを否定する傾向を指している。
馮瑋は近現代史研究に日本人研究者の研究成果・資料を取入れたことを非難されている。これによって彼は“盧溝橋事変”勃発のいきさつ、日本軍による捕虜殺害、靖国神社への民衆と政府の参拝などについて、公式の歴史とは異なる独自の見解を示した。さらに彼は中共は陝西省北部でアヘンを栽培しこれを売ったと語った。これは中国革命史の影の部分であり、中共にとっては隠しておきたいところだ。
だが日本では研究者(たとえば井上久士、江口圭一、内田知行など)によって、その事実はとうに明らかにされている。アヘン栽培と取引は日本軍もやったし、国民党もやった。革命にはカネが必要だ。背に腹は代えられぬとき、中共支配地区にアヘン栽培があっても不思議ではない。ロシア革命を見てもボリシェビキは強盗をやっている。日中戦争とりわけ日本軍占領地区に関しては日本側研究成果を検討せずに、実証的な研究はできない。
法律の専門家である北京大学司法研究センター主任の賀衛方も、中共中央の意を受けた勢力から非難されている。
彼は、2012年11月28日アメリカのブルックリングス研究所の 学会と中国司法検討会で、体制内の党を壊し内外呼応して共産党をひっくり返すべしと公然と発言したという。共産党が両派に分裂すること、解放軍が党ではなく国家の軍になるよう明確に望んだ。また彼の主張は多党制、憲政と民主主義、土地と国有財産の徹底した私有化などにも及んだともいう。
さらに賀衛方は、習近平が中国は「封鎖され膠着した道を行かないし旗印を変えるあやまった道も歩まない」と発言すると、すかさず「いわゆる誤った道も正しい道かもしれない」といちゃもんをつけたという。賀衛方の批判者は、中央の主張はただちに彼の批判対象となるのだと非難している。
習近平中共総書記は「不合格基層党組織を整頓せよ」という講話をした。それからまもない4月20日浙江省温嶺市規律委員会は、市党学校の職員慕毅飛を政治規律違反によって党内厳重警告処分とした。この人物は地方都市の党宣伝部長にすぎず、いわゆる著名人ではない。
彼に対する批判は、すでに述べた研究者らと共通するが、さらに付加えると前述の任志強・馮瑋・賀衛方など周知の人物の言論に同調し、「南方周末」「炎黄春秋」などのネットで、習近平の講話を曲解して中共を攻撃したとか、「和平演変(平和的反革命)」を企んだとか、多党制を長年唱えつづけ、香港独立派ネットのために中共の指導をひっくり返そうとしたといったものである。非難の対象に「南方周末」「炎黄春秋」など合法的な出版物もひっくるめている。
慕毅飛批判で注目すべきは、天安門事件で失脚し長らく軟禁状態にあった元総書記趙紫陽(1919~2005)の思想を長きにわたって宣伝し、ブルジョア的自由化の言論をふりまいたという部分である。趙紫陽は1989年天安門事件の学生らに同情的であった。趙紫陽を否定的人物としているのは、当時彼が民主と人権を中共中央内部で主張したからである。
むかし「大陸的」ということばをよく聞いた。大陸は中国を指し、「大陸的」はのんびりしていて、心が広く小さいことにこだわらないという意味だった。以上の研究者に対する処分理由を見ると、中共の公式見解以外の議論を許さないという論理だが、これでは社会科学・人文科学研究の新成果は期待できない。中国での学問研究は厳冬期に向かっている。今は学者など表に出たものが叩かれているが、まったく無名の慕毅飛に対する批判に見るように、これから弾圧の輪は一般民衆に広がり、重箱の隅をつつくようなものになることを予感させる。中共中央は「中共の飯を食いながら、中共の鍋を壊す連中」を処罰粛正しようとしているのである。
(主な資料http://ww.haijiangzx.com/)。
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