これが戦後民主主義の「実態」である ― 目黒区議会を傍聴して ―
- 2016年 6月 28日
- 評論・紹介・意見
- 半澤健市民主主義
初めて東京都目黒区議会を傍聴した。
2016年6月17日午後のことである。契機は、共産党M区議の傍聴依頼のチラシである。予てからの望みをかなえた。千代田生命ビルだった目黒区庁舎の六階に区議会会場はあり、住所氏名を書いて傍聴席に入った。本人確認資料は不要である。
高い傍聴席から見下ろす議場は、正面に区長や役人が座り(30名ほどか)、その手前に演壇があり、その前に区議の席が教室型にならんでいる。60席ほどの傍聴席から議員議席はほとんど見えない。出席議員数は35名と掲示されていた。
《初めて傍聴した区議会はミニ国会》
問題は議事内容である。
当日は本会議であり5人の議員が一般質問を行った。共産党区議の質問時間は65分で前半は質問に費やされ、後半は区側の回答、再び質疑応答が数分あり、持ち時間は終わった。
メモを取らなかったので印象しか書けないが、M区議は保育園問題、災害対策問題、羽田空港の低空飛行計画に関する質問を行った。
特に、保育園問題については待機児童が深刻であるとして、杉並区や北区における緊急プランを例示し、保育園整備を青木区長や該当部局に迫った。資料や数字を示した真摯なものだった。
対する役人答弁は典型的な官僚型答弁である。他区事例についても色々理由をあげてそう簡単にはいかない旨の答えをした。小型の国会問答である。議場は極めて静かである。ヤジが良いとは言わないが、これは政治論議というより、ビジネスの会議に近い。
一番書きたいことが最後になった。傍聴者数である。
私が午後2時過ぎに入場したときにカメラ撮影者と覚しき女性1名のほか、男性が1名いた。会議は午後1時から開会しているのである。休憩時間を挟んで、共産党区議の質問は2時45分頃から始まった。その直前に傍聴者数は10名ほどになった。彼の支援者らしかった。質問が終わったらいなくなった。私も興味が薄れたので退席した。
《民主政治の成立は「制度」で終わらない》
一体、民主主義―正確には「民主政治」―は、どんな過程で実現されるのか。
先ず「思想」として。次に「運動」として。更には「制度」として。民主政治が実現するのである。
中江兆民の「民約訳解」(ルソー『社会契約論』の漢字訳)に始まり、自由民権運動、大正デモクラシー、普選運動を経て、「日本国憲法」成立、男女平等の選挙権に至る。それは戦い―抵抗と弾圧と次なる抵抗、祖国の敗戦―の過程でもあった。
私は、この過程の次に「実態」としての民主政治が存在すると思っている。
憲法12条に「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」とあるのは、私のいう「実態」のあるべき姿である。
《不断の努力を怠ってきた結末》
私は目黒区議会を2時間ほど傍聴しただけである。
その感想は、戦後70年間、我々は「民主政治への不断の努力を怠ってきた」というものである。「論理の飛躍であり説得力がない」という反論は承知の上だ。しかし80年を生きてきた人間として、この実感をどうしても書いておきたい。
不断の努力を「民主政治」ではなく、「損得主義」に捧げた結末として、護憲勢力が三分の一を切りそうな参院選の投票日が近づいている。(2016/06/24)
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