書評:塩原俊彦『プーチン露大統領とその仲間たち』
- 2016年 6月 28日
- 評論・紹介・意見
- 染谷武彦
*書評:塩原俊彦『プーチン露大統領とその仲間たち』(社会評論社,2016年4月、定価1700円)
本書は、2016年2月に著者自身がモスクワで旧ソ連KGBの後継機関である現ロシアFSBという機関の捜査官によって拉致され、4時間以上も拘束された”事件”にたいする怒りの書である。怒りの情念にかられて400字詰め原稿用紙約280枚分の稿をほぼ一週間で一挙に書き上げたという憤怒みなぎる書である。
これまでも著者は現代ロシア政治経済の動向を丹念な資料収集に基づいて分析研究を続け、その挙げ句、あまりにロシア軍事情勢への接近が周到で、当局の逆鱗に触れたというのが経緯のあらましである。
本書の構成は、第1章「KGBによる脅し」、第2章「ロシアという国家の現状」、第3章「プーチンの正体」、第4章「国家というリヴァイアサン」、終章「国家の奢りと焦り」となっている。見られるとおり最初の3つの章では著者の拉致事件のあらましとその背景にある「ロシアという国」の闇の部分が明らかにされている。4章と終章は本書の主題から隔絶した国家論となっており、独立した評論として成立しうるものである。全体のバランスからいえば異質で、この著者の初めての読者にとっては違和感が否めないであろう。
第1章では本年2月に著者が取材のために訪れたモスクワで唐突にも路上拘束されるという、著者にはまことに心外な事件が扱われている。公安警察は世界各国どこの国にもあるし、その捜査方法は多くは非合法で、強引かつ非情なものが多い。ことロシアではソ連時代にKGBが存在し、ソ連が米国と覇を競うなかで、その活動は縦横無尽かつ暴虐の極地にまで達していたことは周知であろう。だが、21世紀の今日、いまだにその後継機関たるFSBが平時に一般旅行者を拉致・拘束するというのは異常というほかない。読者の中にはこれを読んでロシア旅行を手控える向きもあろうかというものだ。
第2章ではロシア国家論が提示される。ソ連がロシアに変わった後もFSBと名称が変わっただけで、旧KGBの機構は健在であるばかりか、現代のロシア諸企業の内部にまでその支配力が及んでいて、ためにロシア政治経済全体がいびつな形態をとらざるをえなくなっていることを論証している。著者はこれまでにも多くの著書で、これをロシア独自の政治経済の特異なありようと断じて幾度となく強調している。付論的概説とともに、シリア空爆に端を発したロシアとトルコの関係悪化を著者は懸念し、第三次大戦の可能性まで言及しているが、これは過剰な危惧であろう。
第3章は本書の白眉で、大統領プーチンをとりまくプーチン個人の交友関係、親族遠戚関係をひきあいに、巧妙な利益誘導の構図が浮かび上がらされる。著者によるロシア経済界の人脈、利害集団の動向、武器輸出関連の舞台裏事情、治安組織との闇の関係図などへの筆致は超絶もので、現地人消息筋もたじろがせるまでの域に達していることは、前著『ネオKGB帝国』、『プーチン2・0』さらには『ウクライナ2・0』などで十二分に実証済みだ。さらには、ロシア資源外交の核たる石油天然ガス資源の一大経済的系統図の展開などをあますところなく実証検分した『ガスプロムの政治経済学』による、該博な知識を前提としているだけに著者のプーチン像は的確かつ辛辣である。
後半の二つの章は、先にのべたように、本書全体のバランスからすると異質であり、読者には戸惑いを感ぜさせるものになっている。そこでは国家論を展開しているのであるが、著者元来の主張である国家組織不要論が論じられている。だがこの不要論は、レーニンが理想とした国家廃絶論に通底するものか、それともミルトン・フリードマン張りの国家の経済不介入論なのか判然としないという誹りは免れない。後半の2章は割愛してでも、第3章をふくらませて著者の大いなる熱弁を期待したかったのは筆者だけだろうか。以上。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6166:160628〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。