2016ドイツ便り(1)
- 2016年 7月 5日
- 評論・紹介・意見
- 合澤清
1.出発
6月30日の早朝にアパートを出発し、6時半の羽田空港行きリムジンバスに乗る。歳のせいか、さすがに荷物の重さが応えはじめたのと、この時間帯では新宿辺でラッシュとぶつかるのではないかと危惧したため、こういう贅沢をやることにした。
途中、調布駅前でかなり多くの客が乗り込んできたし、少し長めの停車をしていたので9時半までに羽田空港のターミナルに到着できるだろうかなどと心配していたのだが、全くの杞憂で、それほどの渋滞にも合わずに予定より早めに羽田空港の国際線ターミナルに到着できた。混雑した駅の階段を重い荷物を抱えて行き来することを考えるとまことに有り難いことである。
今までは成田の東京国際空港からのみドイツ行きの旅客機が飛び立っていたのであるが、このところ羽田空港からの便が急速に増えているようである。羽田空港を東京湾の方に拡張し、本格的に国際線ターミナルとして運用し始めたためだという。なんだかこの国の、行きあたりばったりな、思いつき的な政策の一面を見せられた気がして、とても素直には喜べない、というよりも怒りがこみ上げ、将来への強い危惧を感じる。
50年前のあの凄惨な「三里塚・成田闘争」は何だったのか?何故、あれほど強引に、力づくで、あの土地の農民を追いだし、大勢の血を流し、見事に開拓された農地や牧場を破壊し尽くし、長期にわたり(今日においてすら)継続する「反対闘争」を圧殺しなければならなかったのか?高度経済成長時代を背景に「狭すぎてきた羽田空港」に代わる新たな空港建設として佐藤栄作の時代に計画、強権的に推し進められた「空港建設」は、その後の田中角栄の「日本列島改造論」や安倍晋三の「地方創生論」「一億総活躍社会」へと引き継がれたものと思われるが、その間に高度経済成長はバブルがはじけ飛んで、泡と消え、残るは膨大な国家債務のみとなってしまっている。2020年度の東京オリンピックによる景気浮揚の再来を再び夢見ながら、今度は羽田空港の拡張へと目先を転換。主役交代で、既に見捨てられた感のある成田国際空港の、建設にまつわる悲劇の責任は一体だれがどう取るつもりなのであろうか?三里塚の農民の犠牲はいうに及ばず、われわれの血税の無駄遣いの責任の所在を明らかにすべきであろう。付けを消費税値上げなどで再びこちらに回すなど、とんでもない話だ!
こんな怒りを胸に、それでも飛行機は順調にドイツへ向けて飛び立った。
2.フランクフルト空港からゲッティンゲンを経てハーデクセンまで
フランクフルト空港へは予定通りの時刻に到着した。天候は曇りで、気温22℃、ちょうど良い位だった。ただ、このところのテロ事件などの影響であろうか、入国審査にはかなり時間がかかった。飛行機の中で眠れなかったせいもあって、長々と待たされるのには少々うんざりした。ドイツ鉄道(DB)の空港駅事務所で、持参したジャーマン・レイルパスの使用認可を受け、ICEに乗り込む。これは途中駅のFuldaでゲッティンゲンとは違う方向に向かうことになっているため、Fuldaで乗り換えねばならないのだが、幸いなことに客室はガラガラにすいていた。疲れている身に座れることは大変に有り難い。Fuldaまではおよそ1時間、そこで降りてそのまま待つこと10分位で、次の新幹線(ICE)が来た。ドイツの新幹線には「どこ行き」の表示がない(あるにはあるが、全ての車両についているわけではない)し、駅の電光掲示板は時にあてにならないことがあるため、一応駅員に行き先を確かめた。確かにゲッティンゲンに行くとの確認を得て乗車。今度は「ハンブルク」行きだったらしく、満席状態だった。仕方なく、乗車口の脇に大きな荷物を置き、そばに立っていくことになる。およそ1時間で目指すゲッティンゲンに着く。天気もまあまあの状態で、気温も高くない。約束(午後8時)より30分以上も早く着いたため、迎えに来てくれるはずのPetraにここから電話をする。電話をして、ものの15分ほどで彼女がやってきたのに、驚いた。彼女はレーサー並みの猛スピードで走る「スピード狂」で、ドルトムントまでの200数十キロを1時間で駆け抜けた実績の持ち主である。しかも車が新しくなっている。何をかいわんやである。
ハーデクセン(Hardegsen)の家につく途中で、スーパーに寄り、ビールとつまみなどを買う。今日は呑んで寝る以外にないからだ。家ではチビ犬のミヤ(Miya)が相変わらず身体に似ず大きな声でほえて出迎えてくれた。Petraが用意してくれていたヨーグルトのスープと厚切りハム(Schinken)なども添えて、夜10時過ぎまで歓談する。
3.7月1日から3日まで
翌日は遠出の外出を控え、近くの喫茶店で朝食をとる。かなりのボリュームの朝食セットで、約600円程度(5.5ユーロ)。スーパーで日常品の買い物を済ませ、シャワーを浴び、ゆっくりくつろぐ。夕食を済ませたら急速に眠気が襲ってきた。
2日(土)は、再びスーパーで買い物。大方の必要品を買いそろえる。また、ドイツ人の友人たちに次々に電話をし、再会の日取りを決める。3時半、Petraの車でゲッティンゲンのいつもの居酒屋兼レストラン「Szueltenbuerger」に行く。入ると真っ先にRalfと再会の挨拶。ファヴィアンやディミ(ギリシャ人)も去年同様に働いていた。女主人のシルヴィアに挨拶。彼女は今日が誕生日である。僕の老母が一生懸命、羽子板用の厚紙の台紙に色柄の布で昔の武士の兜を縫い込んだものを日本茶などと一緒にお祝いにわたす。「ヤパーニッシュ・アルター(alte)ヘルム(Helm兜)を知っているか?」と尋ねる。「もちろん知ってるよ。高いんだろ?」「これは高くないが、本物はかなり高いよ」「これも知り合いの教授のコレクションとしてギャラリーに飾りたいが、いいか?」「どうぞ、母も光栄だと思うよ」
こんな会話をする。
ファヴィアンはここで働きなじめて既に3年になるが、いつも僕の顔を見ると「キヨシ、ビール飲むか?」と聞いてくるのを常としている。この日も何度か聞かれた。4時半ごろから呑み始める。途中疲れてつぶれないように、ゆっくり飲む。9時半からテレビでフスバール(サッカー)のヨーロッパ選手権の中継が始まった。この日は、ドイツ対イタリアの試合である。なかなか白熱した好ゲームで、一点の取り合いが続く。最後に両チームのフリーキックの末、ドイツがかろうじて勝つ。途中でうとうとしながらも、最後まで見届けてからPetraの車で帰途につく。既に零時を回っていた。
3日(日)。朝食用のパンを近くのパン屋で買う(今日はスーパーは休み)。朝食後、急に眠気が襲ってきて、ほんの少し昼寝、のつもりがなんと4時間近く眠りこんでしまった。2時頃から6時頃まで、それでも少し読書する。6時にPetraを誘って、以前に彼女が住んでいたRosdorfのイタリアレストラン(De Medici)に食事に行く。ここは僕らも毎年来ているが、なかなか良い店で、雰囲気も良い。ピザとカルパッチョに舌鼓を打った。
4.英国のEU離脱問題
まだこの問題を本格的に議論したことは無い。しかし、面白いのは、ドイツ人の中でも、英国が離脱したのは彼らの失敗で、経済的にかなり行き詰って来るのではないか、とみる見方がある一方で、英国の離脱はかえってEUにとってはよかったのではないだろうか、との見方もある。
気になるのは、英国の国民投票に際して、ドイツでも、その他の国々でも、それほどこの問題で騒いでいる節が見受けられないことである。ドイツの新聞報道も、Brexit(離脱)を悪しざまにこきおろしている風は無かったし、EUが危機感をもっているような風もなかった。むしろ国民投票前も、その結果が出た後でも、淡々とした報道に徹しているように思える。「世界経済への悪影響」「リーマンショックよりもひどい事態だ」と危機感を煽っているのは、むしろアメリカや日本の論調ではなかったろうか。EU大統領で、ポーランド出身のトゥスクモ、国民投票の結果が出た直後の記者会見で、この事態は当然織り込み済みだったという見解を述べていたし、ドイツのメルケルもフランスのオランドも、意外に平生な会見をやっている。
僕の友人の一人は、今ドイツ人が騒いでいるのは、サッカーのヨーロッパ選手権がフィーバーになっていることである。そして、 Brexit-Entscheidung der Engländer überrascht.(英国人の離脱決定には驚いている)という程度の受け止め方をしているようにいう。
まあ、この問題についてはこれから僕の語学力の許す範囲で、じっくり検討してみたいと思っている。
最後に、今年のドイツは、今のところかなり冷える。今朝も窓(二重サッシ)が結露していた。外出時はいつもブレザーが手放せない。「テント日誌」で三上さんが、「暑い、とにかく暑い」と書かれているのを見て、ご同情に耐えない思いがした。
2016.07.04記
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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