君よ憤怒の河を渡れ - 参院選で改憲勢力に3分の2をとらせないために -
- 2016年 7月 9日
- 時代をみる
- 参院選岩垂 弘
7月の声を聴いてから、私は、ノーベル賞作家・大江健三郎氏の発言を思い出しては反すうしている。それは、ちょうど4年前の2012年7月16日に東京・代々木公園で開かれた「さようなら原発10万人集会」で大江氏が発した「私たちは政府に侮辱されている」という言辞だ。同氏らが呼びかけ人となって集めた脱原発署名を政府に提出したのに、野田政権(当時)が原発の再稼働に踏み切ったことへの抗議を込めた発言だった。私もまた、今、「私たちは政府に侮辱されている」との憤りを禁じ得ない。安倍政権に対してである。
「さようなら原発10万人集会」は「さようなら原発一千万人署名市民の会」の主催だった。同会は大江氏ら著名人9氏の呼びかけ発足した団体。1000万人を目標に脱原発署名を始め、2012年6月15日までに750万人の署名を集め、同日、野田内閣に提出した。が、野田内閣は翌日、大飯原発(福井県)の再稼働を決定した。
さようなら原発10万人集会には主催者発表で17万人が集結、メインステージには市民の会の呼びかけ人が次々に登壇し、それぞれスピーチをした。大江氏も登壇したが、氏はまず、1928年(昭和3年)に発表された中野重治の小説『春さきの風』のあらすじを語り始めた。
それは、「三月十五日につかまつた人々のなかに一人の赤ん坊がいた」という1行で始まる。「三月十五日」と聞けば、戦前生まれの私の年代の者には、それが3・15事件(1928年3月15日、田中義一内閣が共産党関係者ら1568人を治安維持法違反容疑で一斉検挙した事件)であることにすぐ想像がつく。
小説では、その日、父親と母親と赤ん坊はいっしょに警察に引っぱって行かれる。父親とは別に赤ん坊は母親といっしょに保護檻に入れられ、熱を出して死ぬ。その後、母親は特高警察に殴られ、「大きな手型が顎から瞼、眉の上へかけて赤黒く浮き上つた」。釈放されて家に帰ると、未決の父親から手紙が来ていた。母親は封緘葉書を使って返事を書き、最後の行を書いた。「わたしらは侮辱のなかに生きています」
この小説を紹介した後、大江氏はスピーチをこう締めくくった。「750万を超える署名を持って首相官邸に行ったが、官房長官は、答は首相に聞いてくれと言った。その答は、大飯原発の再稼働だった。私たちは政府に侮辱されている。私たちは次の原発の爆発によって侮辱の中で死ぬほかないのか。そんなことは起きてはならない。私たちは、政府のもくろみを阻止しなければならない」
「私たちは政府に侮辱されている」。大江氏のこの発言は、私にひときわ強い印象を残したが、野田政権後に安倍政権が再発足すると、「私たちは政府に侮辱されている」という憤りが私の中で日毎に募って行った。
私が憤りを募らせた事案は枚挙にいとまがないが、極めつけは、集団的自衛権行使を容認した閣議決定と、それに基づく安保関連法の強行採決である。こうした破天荒なことを強行するには憲法解釈を変えることが必要だったから、安倍内閣は、閣議決定に先立って内閣法制局長官のクビをすげ替え、集団的自衛権行使容認派を就任させるということまでやった。
TPP(環太平洋経済連携協定)承認案と関連法案に関する国会審議でも、政府がとった態度は信じがたいものだった。交渉経過に関する資料の開示を求める野党の要求に安倍内閣が衆院特別委に提出した関連資料は、全て黒塗りのものであった。TPPが発効すれば、国民生活に大きな影響を及ぼすと指摘する声があり、政府自身も農業に影響が出ることを認めている。なのに、交渉経過を全く国民に知らせないとは。「国民をバカにしている」。そう思わざるをえなかった。
公的年金積立金の運用で損失が出ているという問題にもがまんならない。7月1日付朝日新聞によれば、2015年度の運用損は5兆数千億円に上るという。年金だけが頼りの後期高齢者としては「アベノミクスが続けてきた株価つり上げ政策で、国民が営々と積み上げてきた年金資産が減るなんてご免だ」と思わずにはいられない。
「ここに主権が国民に存することを宣言し」とある日本国憲法前文を引き合いに出すまでもなく、日本国の主権者は国民、つまり、有権者であって、内閣ではない。安倍内閣発足以来の政治はあまりにも有権者をないがしろにしてはいないか。「国の主人公が、公僕であるべき政府に侮辱されている」と思うのは私だけだろうか。
そればかりでない。10日投票の参院選でも、安倍政権は公示以後、有権者を愚弄してきたと思えてならない。憲法改定を目論みながら、そのことを選挙戦の中では語らなかった。つまり、「争点隠し」に徹した。そのせいだろうか、新聞各紙の世論調査は、こぞって改憲を目指す政党が参院で3分の2を獲得しそうと予測している。
なのに、世間はあまりにも静かである。とても日本のこれからの命運を決める選挙の前夜とは思えない静けさだ。なぜか有権者の声が聞こえてこない。投票率も低くなるのでは、と懸念されている。
有権者は政治に無関心なのか。それとも、「何をやっても政治は変わらない」とあきらめてしまったのか。それとも、現状に満足して政治に不満などないのか。
しかし、有権者をないがしろにする政権には怒りや要求をぶつけるというのが民主主義のあるべき姿だ。私たちは今こそ、投票行動を通じて有権者の怒りや要求を表したい。選挙の前夜に訴えたい。「君よ憤怒の河を渡れ」と。
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