7・11ルネサンス研究所定例研究会―イタリア・オペライスタ群像(4)
- 2016年 7月 9日
- 催し物案内
- 菅孝行
日 時 : 7月11日(月)18時開場18時半開始~21時ころ
場 所 : 専修大学神田校舎7号館6階764教室
報告者: 中村勝己さん
テーマ: イタリア・オペライスタ群像(4)
参加費: 500円
問い合わせ先: 090-2230-3906
イタリアの政治哲学者アントニオ・ネグリは、2013年4月に初来日した際に私が行なったインタビューにおいて、60~70年代イタリアにおける新左翼理論潮流オペライズモ(労働者主義)と、フランスの哲学者ミシェル・フーコーの仕事(生権力論)には、明らかな同時代性があると指摘していた(『現代思想』2013年7月号参照)。国家権力以外のミクロな権力(例えば知の権力、医療の権力、資本の権力)が社会総体に充満し、人びとの生活全体を包摂するという事態を、フーコーなら生権力の登場として、ネグリなら資本と国家が傾向的に同一化した融合権力として把握していたのだと。こうした生権力への抵抗・闘争の場を生政治として捉えるならば、どのような社会理論と運動が構想されるだろうか。
今回は、資本制的工場において1950年代から始まった高度経済成長下で進行した〈オートメーション化〉を分析したオペライスタのリーダーのひとり、ラニェーロ・パンツェーリ(1921-64)の科学技術論を取りあげる。当時、イタリア労働運動のなかからはこうした技術革新を社会主義革命の梃子として肯定的に捉える理論潮流も登場していた。共産党が推挙していたシルヴィオ・レオナルディである。これに対してパンツェーリは、〈ネオ資本主義〉と当時呼ばれたフォーディズム型生産方式を〈疎外論〉の観点から分析しようとした。そのような理論的=政治的布置状況をレオナルディ=パンツェーリ論争として再構成し、〈ポスト3・11〉のこんにちの科学技術批判を考える手がかりとしたい。
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