都知事選の候補者は、「4野党共闘の統一候補」を。
- 2016年 7月 9日
- 時代をみる
- 澤藤統一郎
参院選(7月10日)直後に、都知事選告示(7月14日)が迫っている。「出たい人より出したい人」は選挙に通有の名言だが、「出たい人」「出たがり屋」と「出したい人」「出てもらいたい人」とのマッチングがなかなかに難しい。
今回都知事選の「出したい人」は、条件が明確になっている。「4野党共闘の枠組みでの統一候補たりうる人」である。この枠組みははやばやとできあがった。しかし、その枠組みでの人選の進捗が見えてこない。
6月21日赤旗は次のように報じている。 「日本共産党の小池晃書記局長、民進党の枝野幸男幹事長、社民党の又市征治幹事長、生活の党の玉城デニー幹事長は21日、国会内で会談し、参院選で野党統一候補を実現した全国32の1人区で勝ち抜くとの目標を改めて確認するとともに、舛添要一知事の辞職にともなって行われる東京都知事選でも野党が共同して候補者を擁立することで一致しました。」 「会談では、…都知事選については、自民、公明が押し上げた都知事が2代にわたって政治とカネの問題で辞任しており、このような知事をつくり出してきた自民、公明の責任を追及し、都政を刷新する候補者を野党共同の枠組みで擁立することで合意しました。」 「小池氏は都知事選について『自民党と公明党の責任を追及し、それを刷新できる人物を野党共闘の枠組みで押し上げ、参院選と一体に勝利したい』と表明しました。」
4野党共同での候補者選びがどこかで深く進行しているのだろうが、あまりに深すぎて、都民の目には入ってこない。いたずらに日は過ぎて、告示まで1週間を切ってなお事態の混沌しか見えてこない。民進都連の野党共闘に背を向けたような拙劣な人選の報は目にするが、共産党の動きがまったく見えないのだ。
そんな中で、「出たい人」のまたまたのフライング宣言があったようだ。「またまたの」という根拠は、「東京をプロデュース」の下記URL「2014年都知事選総括」をよくお読みいただきたい。 http://toupuro.jimdo.com/2014年総括本文/ フライング宣言は、都知事選における4野党共闘枠組み無視宣言でもある。共闘の枠組みを無視して単独で出馬宣言をしておいて、「ついてくる者だけこの指止まれ」という独善的なやり方。野党共闘枠組みができていないときにはあり得る方式だろうが、「今、それを言っちゃあ、おしまいよ」ということになる。
そんな重苦しい空気の中で、石田純一の「場合によっては立候補」記者会見は清々しい印象ではないか。
各紙の報道はほとんど齟齬がない。代表的なのは以下のようなもの。 「俳優の石田純一さんが8日、東京都内で会見を開き、『野党の統一候補であるならば、ぜひ出させていただきたい』と野党の統一候補となることを条件に都知事選(14日告示、31日投開票)に立候補する意向を示した。『野党が統一候補を立てずに分散するというなら、私は降りて(出馬しないで)市民の側に寄り添いたい。自分は「出たい」というよりも「野党統一候補が必要」という考え。万が一、野党統一候補が決まるなら、それがいい』と話し、それぞれ候補者の調整に動いている野党各党に呼びかけた。」(毎日)
また、「石田は、『自分が統一候補じゃなきゃ嫌だというわけではありません』と説明したうえで、『現状、野党がバラバラでは(与党に)勝てない。思いを力に変換できない。少しでも力を結集したい』と話した。」「現状、政党からの出馬要請は『ないです』とした。」「自身が統一候補になれなかった場合や、別の人物が統一候補となった場合は『喜んで応援する』とした」とも報道されている。
石田は野党共闘の枠組みでの進展がないことに業を煮やして一石を投じたのだ。しかも、相当の覚悟をもってのこと。野党共闘の枠組みを大切にし、姿のぼやけてきた共闘の再構築をうながそうとの真摯さがよく見てとれる。好感の持てる姿勢ではないか。
それにしても、分からないのが民進都連だ。自分が共闘の中心に位置して、人選は自分が先行してよいと思っている様子なのが解せない。都議の数では共産党の後塵を拝している民進ではないか。その民進が、どうして長島昭久や松沢成文など、4野党共同で推せるはずもない候補者の人選をするのか。そして、共産党のダンマリも解せない。今は、4野党責任者の協議の進行が喫緊の課題だ。このままでは、参院選の野党共闘の雰囲気にまで翳りを落としかねない。
「後出しジャンケンが勝ち」は、歴代都知事選に限っての格言。なるほど、立候補表明の候補者について、メディアはいっせいに取材し書き立てる。立候補直後の数日は「時の人」として話題になる。その熱気が冷めないうちに投票になだれ込みたいという戦略。政策ではなく、知名度や話題性での投票行動を期待しての後出し。4野党統一候補は、作戦としての後出しではなく、共闘の枠組みを大切に満を持しての選任でなくてはならない。
先んずればフライングと言われ、遅れれば邪道とされる。出たがれば叩かれ、出たくない振りをすれば、熱意がないと言われる。知名度があっても経験がないと言われ、経験あっても当選は無理だといわれる。ほんに、「出たい人」と「出したい人」とのマッチングは難しい。
くすぶり続ける都知事選統一候補の選任。東京にいるからの思いであろうか。せっかくの参院選の野党共闘態勢に水を差しかねない。12年選挙・14年選挙の、二の舞・三の舞という事態はもう見たくない。 (2016年7月8日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2016.07.08より許可を得て転載
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