2016年7月16日報告資料 「ゾルゲ事件と伊藤律――歴史としての占領期共産党」
- 2016年 7月 13日
- スタディルーム
- ゾルゲ伊藤律共産党加藤哲郎
「本稿は以下の催し物の報告資料です。
出版記念シンポジュウムのお知らせ
『父・伊藤律 -ある家族の「戦後」-』(伊藤淳著・講談社)
日 時:7月16日(土) 午後1時~5時
会 場:明治大学リバティタワー 12階 1125教室(世界資本主義研究会)」
(ちきゅう座)
2016年7月16日 明治大学リバティタワー12F1125教室 「ゾルゲ事件と伊藤律――歴史としての占領期共産党」
1「ゾルゲ事件発覚伊藤律端緒説」の崩壊、「GHQスパイ説」は?
ーーチャルマーズ・ジョンソンと渡部富哉『偽りの烙印』の功績
日本共産党「6全協」伊藤律除名決議 1955 と川合貞吉証言をもとにした、尾崎秀樹「生きているユダ」1959, 松本清張「革命を売る男」1960 における伊藤の二つの「罪状」
<その1 「ゾルゲ事件発覚伊藤律端緒説」 の崩壊>
●渡部富哉『偽りの烙印』1993 =警察・検察・司法資料の徹底した実証的批判的解読
●加藤『ゾルゲ事件』2014=川合貞吉と G2 ウィロビー、CIS ポール・ラッシュの関係
① 上海でのゾルゲ、尾崎、スメドレーとの会談を証言した川合貞吉
② 特高警察1942.2内部文書に始まり49.2.10ウィロビー報告に入った伊藤律発覚端緒説
③ 伊藤律が27年間の幽閉から「奇蹟の生還」をしても、清張により広められた汚名は続く
④ 通説を覆した渡部富哉の執念の研究1993『偽りの烙印』
⑤ 1949/2、陸軍省ウィロビー報告直後のポール・ラッシュによる川合貞吉訊問
⑥ 民間情報局CISの川合貞吉調査・監視は49/2陸軍省発表以前から
⑦ 上海1931 秋スメドレー・ゾルゲ・尾崎会談の「生き証人」?
⑧ 川合貞吉からは得られなかった米国共産党上海「鬼頭銀一」情報
⑨ 伊藤律と日本共産党の情報は、川合貞吉によるG2への売り込み
⑩ ウィロビーとキャノン機関に囲われた「革命を売る男」川合貞吉
⑪ キャノン機関の本郷ハウスでゾルゲ事件と共産党攪乱情報を提供
⑫ 1949/2から月2万円で米軍スパイとなり、50/3から1万円に減額された川合貞吉
⑬ ウィロビーにより総額43万円で買われた川合貞吉
⑭ 川合貞吉を信じ続けた尾崎秀樹、松本清張
{加藤の結論} これらすべてを隠匿した川合貞吉は、戦前特高警察へのゾルゲ事件供述と戦後米軍G2への供述証言が事実であったことを繰り返したいためか、自伝『ある革命家の回想』(日本出版協同、1953)を幾度か改版し(新人物往来社、73、谷沢書房、83、德閒文庫、87)、『ゾルゲ事件獄中記』(新人物往来社、1975)、『遥かなる青年の日々にーー私の半生記』(谷沢書房、79)などで「青春の夢」を説き続けた。
すでに伊藤律が生還した後であったが、文芸評論家としての地位を確立していた尾崎秀樹は、米軍諜報員川合貞吉から受け継いだ「伊藤律=生きているユダ」説、「ゾルゲ事件伊藤律供述発覚端緒」説を、自己のレーゾン・デートル(存在根拠)として固守し続けた。
いや、尾崎秀樹だけではない。伊藤律を戦前ばかりでなく戦後も「スパイ」として中国の監獄に放置した日本共産党は、宮本顕治・野坂参三の新体制のもとで、「五〇年問題」「北京機関」そのものを「党分裂」の一方の当事者である徳田派=所感派の責任に帰し、戦前ゾルゲ事件も戦後の伊藤律への冤罪による異国での幽閉も「関係がない」という立場をとり続けた。
そして、こうした日本共産党の主張を鵜呑みにし、戦前・戦後を通じた「革命を売る男・伊藤律」
のイメージを広め、ノンフィクションとして歴史に残したのが、松本清張『日本の黒い霧』だった。
ゾルゲ事件の伊藤律発覚端緒説は、渡部富哉の執念の調査と、以上に詳述した米陸軍情報部「川合貞吉ファイル」、それにもともとウィロビー報告に疑問を持っていたチャルマーズ・ジョンソン『ゾルゲ事件とは何か』(原書 1964、増補新版 90、邦訳岩波現代文庫 2013)などの学術研究によって、特高警察の作為であり、GHQ・G2がそれを利用したものであることが明らかになった。伊藤律は、日本共産党という閉鎖的組織の路線論争・党内抗争のいわば生け贄であり、戦前ソ連でのスターリン粛清や戦後中国での文化大革命で大量に作られた犠牲者と同質の政治的な冤罪犠牲者の一人であった。
● 文藝春秋社による松本清張『日本の黒い霧』文庫版断り「作品について」(2013・第16 刷)
● 伊藤律自身の生前の著作・遺言→伊藤淳『父・伊藤律 ある家族の「戦後」』出版
<その2 伊藤律はGHQのスパイだったのか?>
●加藤『日本の社会主義』2013=戦後第 3 次共産党の核・原発政策のソ中・英米との関係
●チャルマーズ・ジョンソン『ゾルゲ事件とは何か1964』増補版90・新訳2013解説
1964 初版で「付章 伊藤律はユダだったろうか」、66 萩原訳の欠陥、90 増補の意義
① 丸山真男「『スターリン批判』の批判」1956/11 の伊藤律 への言及着目(「ベリヤや伊藤律のような『裏切者』についての公式発表には、殆どハンコで押したように、彼らがそもそもの出発点から邪悪な素質と意図をもって運動に入り、組織の中で着々その目的を実現して遂に党や国家の最高幹部にのし上がったというような遡及論的な論理が使用される」(「戦争責任論の盲点」56/3 の JCP 批判→『現代政治の思想と行動』1964,p.321=本質顕現主義・基底体制還元主義、先天的内在的なものの顕在化という政治の論理)
② ウィロビーの「川合貞吉=日本版ウィテカー・チェンバース」説への着目(ジョンソンはアメリカにおけるマッカーシズム衰退後の東アジア共産主義研究者)→典拠は G2 から GS 連絡文書
2 ソ中共産党、GHQと日本共産党ーー伊藤律「三重スパイ野坂参三」1994/1 の意味 (ソ連の対アジア戦略と日本共産党、JCPのソ中共産党・在日ソ連代表部/GHQ接触)
●和田春樹『歴史としての野坂参三』1996=旧ソ連秘密文書から見た JCP、GHQ 支配下での自主的平和革命論、野坂・徳田・伊藤の GHQ/ソ連代表部接触、1947.3.28 野坂・伊藤のタス通信東京支局長サモイロフとの会談で伊藤は CIC の 2 世スパイ要員養成を報告、英文週間報告提出、49.4 団規法に従う、コミンフォルム批判は野坂の死刑宣告、北京機関での伊藤律幽閉は野坂の責任
●下斗米伸夫『アジア冷戦史』2004『日本冷戦史』2011=ソ・中、英・米のアジア冷戦戦略と JCP (地政学・核・イデオロギー)、モロトフ文書・英国公文書館資料中の日本認識、1947/11 東方コミンフォルム構想と JCP 担当者伊藤律・徳田慎重論、1949 秋の転換、50 コミンフォルム批判と朝鮮戦争の意味、講和と JCP51 年綱領、日ソ交渉と JCP 六全協の相関 ●加藤の米国立公文書館NARA, 日本帝国戦犯機密解除文書の2000-16資料探索から
(アメリカ占領軍 GHQ[GSvsG2]と共産党利用・監視・摘発・追放・謀略文書から)
① 1944.7-ディキシー・ミッション(山本武利編『延安レポート』2006)の岡野進=野坂の日本兵捕虜思想工作、野坂天皇制論評価(バックに OSS ジョー小出=鵜飼宣道)
② ②1945.2 米国務省ジョン・エマーソンらの国際自由日本人連合案(山極晃『米戦時情報局の延安報告と日本人民解放連盟』2005)大山郁夫・河上清・石垣榮太郎・綾子夫妻・藤井周而・野坂・鹿地らによる亡命日本政府構想(首班に擬された大山の拒否で挫折、捕虜尋問は有効)資料1
③ 1945.7.12 重慶 OSS での鹿地亘の米国政府 Government of USA への忠誠誓約・エージェント契約(→1951-52G2 キャノン機関幽閉、鹿地・三橋事件、CIA 活動発覚) 資料2
④ 野坂の 46 帰国時モスクワでの戦後日本民主化人材案 45.11=米国ジョー小出、カール米田、藤井周而、石垣夫妻、日本徳田・志賀、延安森・梅田・山田+延安朝鮮人主義者
(和田『歴史としての野坂参三』p.145,『アメリカ共産党とコミンテルン』野坂関係文書)
⑤ 1946.8.2 徳田・志賀 GHQ 憲法顧問コールグローブへの大山帰国尽力感謝状(野坂の毛沢東・蒋介石往復書簡と共に由井格宅「水野津太資料」茶封筒→文春 2004/6 加藤, 慶大図書館)資料3
⑥ MIS/CIC「野坂参三ファイル」中の 1947.11 野坂の GHQ Saffel 宛てほか手紙 資料4
⑦ シベリア抑留帰還者への米軍 CIC 舞鶴尋問 Project Stitch による思想審査・工作
(ドイツ人捕虜に準じて、米軍はProject Stitch(縫い物作戦)という共産主義者とソ連スパイ容疑者(PSA,Possible Soviet Agent)数千人の摘発と、二重スパイ作りを進めた。憲兵隊・特務機関員・無線技士の他、収容所通訳などロシア語修得者は米軍にとってPSAであった。名越健郎によると、Project Stitchはソ連スパイ352人を割り出し、内138人が忠誠誓約を告白、32人が実際に帰国後接触。54年発覚のラストボロフ事件日本人エージェント36人中外務省職員4人を含む半数はPSAとして米軍がファイルに含めていた)<ホワイト・スパイとブラック・スパイ?> 米軍 G2/CIC の膨大な日本共産党監視・摘発記録、野坂・徳田・神山ファイル等 資料5
⑧ 米国の第 3 次世界大戦準備・JCP 過大評価・レッドパージで、「革命を売る男」は占領期共産党に無数に入っていた。伊藤律はモスクワから指摘された「解放軍」規定の誤りの背景にある「党内スパイ摘発」粛清の任に当たり有能、米軍からも中ソ共産党からもマークされ注目された。
⑨ ソ連は JCP 工作と共に、権力中枢インテリジェンスを重視=志位正二らの対ソ忠誠誓約と米軍の二重スパイ工作(→1954 ラストボロフ事件、56 日ソ国交時近衛文隆不審死) 資料6
● 柴山太『日本再軍備への道』2010、テッサ・モーリス・スズキ「民主主義の境界は隙だらけ」
(『インテリジェンス』16,2016/3)、進藤翔太郎 2016/3 京都大学修士論文
3米国初期反共マッカーシズム、及びスターリン・徳田没後の日本共産党の対ソ中「自己批判」の象徴的「生け贄」としての伊藤律=「川合貞吉は日本版チェンバース」の意味
① 1945.6.6 アメラシア事件 FBI が国家機密漏洩で IPR(太平洋問題調査会)系 6 人逮捕
② 1945.9 オタワのソ連大使館員グセンコのカナダ亡命
③ 1946.10 元共産党員ルイス・ブデンツがゲアハルト・アイスラー(上海でゾルゲと一緒のドイツ人ジャーナリスト)を「米国におけるソ連のトップ・スパイ」と告発、47.2 逮捕、下院非米活動委員会(HUAC)宣誓拒否・エリス島収監、1949 英国経由東独へ
④ 1947.3 FBI フーバー長官、HUAC で「米国人の 1814 人に一人は共産党員=第五列」
⑤ 1947.3.21 トルーマン大統領、政府職員の忠誠審査実施、CPUSA と約 80 団体関係
⑥ 1947.4.12 レーガン(後の大統領)映画俳優組合内共産主義者を FBI に告発、10.23 ハリウッド関係者 19 人 HUAC 召喚、「ハリウッド・テン」映画界追放。ベルヘルト・ブレヒト東独へ、映画界での「赤狩り」
<1947/11 東方コミンフォルム構想と JCP 担当者伊藤律・徳田慎重論>
⑦ 1948.3 下院外交委中国援助公聴会、チェコ・クーデタ、ベルリン封鎖らを背景に中国内戦責任、戦時中国政策の見直し(49.8.7 国務省『中国白書』10.1 中華人民共和国建国)からジェサップ、サーヴィス、ラティモア、フェアバンク等を含む召喚・追放
⑧ 1948.7.30 上院行政府支出委エリザベス・ベントリー召喚、43 名の共産党員名(blonde spy queen)、翌日 HUAC で IMF 専務理事ハリー・ホワイト、タイム誌ホイッテイカー・チャンバース(34 年入党、38 年から FBI 接触)ら 32 人を共産党員と告発、8.3 HUAC チェンバースの召喚で国務省・カーネギー財団アルジャー・ヒスを一緒に共産党活動と証言、ヒスもホワイトも召喚・否定、ホワイトは召喚 3 日後死、ヒスはチェンバースを偽証罪逆告訴、以後、国務省・軍・学界等戦時リベラル派・ニューディーラーの赤狩り。日本関係では、エレノア・ハドレー、ハーバード・ノーマン、ジョー小出等。
⑨ 1949.4-10 HUAC で原爆スパイ公聴会、オッペンハイマー、クラウス・フックス、ローゼンバーグ夫妻、銭学森(CIT ミサイル開発、後に「中国宇宙開発の父」
<1949.7.19 イールズ声明、50.6.6 共産党公職追放、日本のレッドパージ>
⑩ 1949.8.6 G2 ウィロビーから GS ホイットニーに送られた「ゾルゲスパイ団記録ーーアグネス・スメドレーの生き証人・川合貞吉尋問記録」での「川合は日本のチェンバース」というウィロビーのコメント(国会図書館憲政資料室GHQ/GS文書中から、京大・進藤翔太郎氏発見)資料7
⑪ 1950.2.10 マッカーシーの「207 名共産党員リスト」発言、以後赤狩り本格化
⑫ アジアではアグネス・スメドレー、エドガー・スノーら在中米国人の非米活動告発が主眼
⑬ 1953.3スターリン没、6月ベルリン暴動、ベリヤ逮捕、10月徳田客死、JCP伊藤律処分は朝鮮「米帝スパイ」朴憲永・李康国粛清と併行(和田)、1932全協尹基協射殺・高安重正らと同じく冤罪?、党組織の疑心暗鬼による運動指導上の責任転嫁、33スパイ査問致死の小畑達夫は?
⑭ 注意:冷戦崩壊後のヴェノナ文書、ワシリーエフ文書、ミトローキン文書等公開後の米国の新正統派共産主義研究(ネオ・マッカーシズム、共産党員よりもソ連「内通者」判明)と安倍晋三・日本会議の歴史認識
● 山極晃『米中関係の歴史的展開』1997,陸井三郎『ハリウッドとマッカーシズム』1990,黒川修司『赤狩り時代の米国大学』1994,クレア=ヘインズ他『アメリカ共産党とコミンテルン』
2000,同『ヴェノナ』2010
資料1 1945.2 米国国務省エマーソンの「国際自由日本人連合案」(国務省文書)
資料2 1945.7.12 鹿地亘の米国政府への忠誠誓約・雇用契約書(OSS文書)
資料3 1946.8.2
資料4 1947.11 野坂の GHQ Saffel 宛て手紙(CIC/IRR「野坂参三ファイル」)
資料5 米国国立公文書館所蔵 CIC/IRR 文書中の日本共産党・ゾルゲ事件関係ファイル
Records of the Army Staff (Record Group 319) Counter Intelligence Corps (CIC) Collection
Records of the Investigative Records Repository (IRR) Case Files: Impersonal Files
1940-1976, Box 101
Records of the Army Staff (Record Group 319)
Investigative Records Repository (IRR)
Personal Name Files, 1939-1976 (個人別ファイル日本人約2000人分中の一部、共産党・ゾルゲ事件関係)
ABE Yoshiko G8165293 529 阿部淑子(共・岩田義道妻)
ABE Yoshimi XA500077 001 阿部義美(共、白鳥事件)JCP 東京都委員会
AKIYAMA Frank Koji AC856671 008 秋山幸治(ゾルゲ事件、米共)2箱
ANDO Jiro XA500409 015 安藤次郎 満鉄、ゾルゲ・尾崎・中西、横浜事件
ASAEDA Shigeharu X9021028 023 朝枝繁春(参謀本部対ソ諜報、抑留、ラストヴォロフ事件)
ASAHARA Masaki XA500927 023 浅原正基(シベリア天皇、日本新聞編集長)
CLAUSEN Max XA502453 031 クラウゼン(ゾルゲ)
DOKI Tsuyoshi XA502667 461 土岐強(共)
HASEGAWA Hiroshi AC857239 615 長谷川浩〔共〕
HORIE Muraichi XA5045560 309 堀江邑一(共)ソルゲ関係なし、河上肇、日ソ協会、都教育委員
ICHIKAWA Shoichi XA507426 323 市川正一(共)
ISHIJIMA Sakae XA503917 330 石島栄 ゾルゲ(DNB 日本人記者)
ITAGAKI Tadashi XA537170 331 板垣正 征士郎大将息子 共産党入党/脱党、
ITO Kenichi XA508283 332 伊藤憲一(共、ソ連渡航、留萌生協)
KAMEYAMA Kozo XA507862 373 亀山幸三〔共〕
KAMIYAMA Shigeo XA507955 373神山茂夫(共) 2冊
KAROKU HOSOKAWA 細川嘉六 BOX378 B 級共産党、参院議員、ゾルゲ事件なし、横浜事件少々
KASE Hirotoshi 加瀬敬年 XA537284 Box379 JCP ソ連帰還者生活擁護同盟
KASUGA Shoichi XA509940 BOX 380 春日正一(共) 2 冊膨大
KASUGA Shojiro XA509941 380 春日庄次郎(共)
KAWAI Teikichi AC843978 386 川合貞吉(ゾルゲ事件)
KAWAI Toru 河合徹 岡山県 JCP 一高東北大、 AC857917 386
KAWAKAMI Kanichi XA509318 386 川上貫一(共、国会議員) 議員活動 3ファイル
KIMOTO Jack D. X8461527 box399 ジャック木元(木元伝一、ゾルゲ事件)
KITAMURA Masaru 北村勝 XA537611 404 シベリア帰りの JCP 長野県 雑誌『ソビエト』
KOMATSU Shigeo XA513037 422 小松七郎、千葉県 JCP 委員長、満州興農合作社、1959 まで
KONDO Toshiharu 近藤俊晴 共産党九州・山口組織者、突撃隊。ソ連エージェント XA508424 422
KONISHI Masao 小西正雄 全協治安維持法被告、戦後 JCP 香川、中央委員 XA508447 423
KUNISAWA Kumaji 国沢熊治 AC857847 443 JCP 高知県委員会活動家
KURAHARA Korendo XA511193 445 蔵原惟人(共)
MASUDA Yoshio XA537825 141(共、兵庫)
MATSUMOTO Fujiso XA545070 463 松本三益(共、ゾルゲ)
MITSUHASHI Masao XA537899 553 三橋正夫(鹿地事件二重スパイ)
MIURA Tsutomo XA545092 364 三浦つとむ
MIYANISHI YoshioXA515553155 宮西義雄(ゾルゲ事件)
NAKAGAWA Seimatsu XA518263 367 中川清松(共、茨城県委員、転向手記)
NAKAGAWA Tadayoshi AC857907 616 中川忠義(共、徳島)
NAKAJIMA Hiroshi XA536536 159(共、無線技師)
NAKAJIMA Taketoshi XA515669 462 中島武敏(共、ポポロ事件、国会議員)
NAKANISHI Inosuki XA515981 159 中西伊之助(共)
NAKANISHI Ko XA515984 464 中西功(共)
NAKANO Shigeharu XA519255 460 中野重治(共)
NISHIKAWA Hikoyoshi XA517552 459 西川彦義(共)
NOZAKA Sanzo XA519422 163C野坂参三(共) 4冊
OKADA Bunkichi XA520169 462 岡田文吉(共)
OKAMOTO Hiroyuki XA537400 734 岡本博之(共、シベリア)未公開
OKAMOTO Masamitsu AC857849 616 岡本正光(共、高知県指導者
OSAWA Kyumei XA518949 734 大沢久明(共)
OTAKE Hirokichi XA519179 170 大竹博吉(ソ連、ナウカ)
OZAKI Hidemi XA516564 461 尾崎秀実(ゾルゲ)
SADA Ineko XE522618 189 佐多稲子(学) SHIGA Yoshio XA522934 456 志賀義雄(共)
SHINO Etsuro XA522990 380 椎野悦郎(共)
SHIRAISHI Sanzo XA524529 212 白石三蔵(共、埼玉県委員)
SHIRAKAWA Seiichi XA524542 213 白川清一(共)
SHIRATORY Kazuo XA524578 313 白鳥一夫 (白鳥事件——進藤)
SUGIMOTO Fumio XA526662 杉本文雄(共)
SUNAMA Kazuyoshi XA526883 砂間一良(共)
SUZUKI Ichizo XA523618 315 鈴木市蔵(共)
TAGUCHI Ugenta XA528099 624 田口右源太(共、ゾルゲ事件被告)
TAJIMA Hide XA526043 222 田島ひで(共)
TAKAKURA Teru XA528896 503 高倉テル(共)
TAKAYAMA Gizo XA527243 224 高山義三(京都市長、秘密共産党か)
TOKUDA Kyuichi XA528538 318徳田球一(共)4冊 TOKUSABURO Dan 淡徳三郎(共、
TOSAKA Ryoichi AC857277 742 遠坂良一(共)
TOYOTA Reisuke X6165705233 豊田令助(矢野務、ゾルゲ事件米共)
UCHINO Soji XA527378 463 内野壮児(共)
UCHIYAMA Kanzo XA529395 530 内山完造(中)
UDAGAWA Keizo XA529420 235 宇田川恵三(共)
WATANABE Yoshimichi XA532327 244 渡部義通(共)
WATARU Kaji AC857252 554 鹿地亘(共)
YAMANA Masami XA530675 252 山名正美(共、ゾルゲ)
YAMAGUCHI YoshikoX8990223556 山口淑子(李香蘭)
YOSHIDA Mineo AC857313 626 吉田峰夫(共)
HO Chi Minh XA504319 087A ホーチミン
MAO Tsetung XA513557 135 毛沢東
KIN To Yo XA511737 112 金斗鎔井上 0
ABEGG,Lillly (リリーアベック、ゾルゲ事件時フランクフルター・ツアイトウング記者)
Ott Eugen(オイゲン・オット、駐日ドイツ大使、ゾルゲの親友)
Meisinger Josef (ヨゼフ・マイジンガー、ナチス親衛隊日本代表)
資料6 シベリア抑留帰還者が米軍CIC尋問に答えたソ連における忠誠誓約(CIC/IRR文書を用いた京大院進藤翔太郎論文から)
志位正二(陸軍少佐在奉天第 3 方面軍情報主任)
・1948 年 11 月 1 日舞鶴に帰還
・1948 年 11 月下旬から 49 年 1 月 20 日まで NYK ビルで尋問を受ける
・1948 年 4 月カラガンダ市第 20 収容所では通訳・労働監督を担当
・1948 年 4 月 25 日対ソ協力誓約署名私、西正二(西正二はソ連によって与えられた志位のコードネーム)は、ソ連内務省の所属機関に対して協力いたします。この誓約に違反するような場合には、ソ連の刑法に基づいていかなる処罰を受けても差し支えありません。
1948 年 4 月 25 日
・帰国後の行動に関するソ連側からの注意事項
1)日本共産党には加入しない。また、日本共産党といかなる接触を持ってはいけない
2)復員局の人間と交際してはいけない
3)連合国の人間と交際してはいけない
4)ソ連大使館員とは接触してはならない
・CIC に対する誓約署名
私は良心に従い、真実を話し、何も隠し事は致しません。私は自分の意志で以下のことを誓います。
1.帰国後私はソ連政府のいかなる代表者とも連絡を持っていません
2.現在私はソ連政府のいかなる機関とも関係を有していません
3.私は、ソ連政府のいかなる機関とも関係を持たないことを誓います
もし接触を受けた場合には、地元のアメリカ情報機関に速やかに報告を行います
4.1948 年 4 月 26 日、カラガンダ第 99-20 収容所に抑留されている間、ソ連政府に協力する誓約を行いました。しかし、帰国後の指令は一切与えられていません
● 志位は、1949年2月からGHQ参謀第2部(G2)の地理課に勤め、抑留帰還者の尋問調書からソ連や中国の地誌を作成していた。1950年6月、GHQの取調べを受ける。
1951年10月以降、G2在職のままソ連国家保安委員会(KGB)にエージェントとして雇われる。1953 年11月、外務省アジア局調査員となるが、「二重スパイ」の活動は継続した。
ユーリー・ラストヴォロフがアメリカ合衆国に亡命した後の1954年2月5日、警視庁公安部に自首し、自身がソ連の工作員(スパイ)であったことを認めた。その後、海外石油開発株式会社常務となる。
1973年3月31日、シベリア上空を飛行中の日本航空のダグラスDC-8型機の機内で死去した。
齊藤卓郎(陸軍航空技術少尉)の場合
①他の抑留者にはなぜ自分がソ連内務省に呼ばれたのかを聞かれたら、車の修理をしていたと答えるように言い、尋問の内容は一切口外しないこと
②帰国後は抑留中見聞きした一切に関する質問に対しては、山で土を掘っていたので何も知らないように返答する
③共産主義関連の書物は一切読んではならない
④在日ソ連大使館には決して行ってはならない
⑤日本共産党への加入は行ってはならない
資料7 G2ウィロビーが川合貞吉を「日本のチェンバース」とよんだGS宛文書(GHQ1949.8)
本掲載論文のPDF版はこちら ⇒ ゾルゲ事件と伊藤律・加藤
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study749:160713〕
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