安倍政権の支持率はなぜ高いのか ― 様々な角度から考えていこう ―
- 2016年 7月 22日
- 時代をみる
- 半澤健市安倍
2001年の「9・11」の映像をみて、私は米国の没落の開始を感じた。2016年の「仏革命記念日」に、ニースで起きたテロの映像をみて、私は西洋近代を支えた植民地主義が復讐されていると感じた。国内外の情勢変化が速く激しい。市井の一市民はその追跡すらおぼつかない。そういう時だからこそ、時間を長くとって、今われわれはどこにいるのかを観察したいと思う。それは、日本が直面している課題は何かを考察することと同義である。
《安倍に支配される我々の問題は何か》
その点について、私はおよそ次のように整理したい。
政治の論点は、秘密保護法、安保関連法、メディア規制、憲法改正である。
経済の論点は、異次元の金融緩和、新成長政策、人口減少・高齢社会対策、エネルギー問題、TPPである。新自由主義に依拠する「アベノミクス」の破綻に正しい認識と批判がしたい。
外交の論点は、日米同盟の強化か同盟からの脱却か。これは対中外交路線に直結する。対EU、中東諸国との関係も緊迫してきた。「グローバリゼーション」の総括が課題である。一つ一つが大問題である。
しかし、俯瞰していえば、「日本国憲法」を基礎とした「戦後民主主義体制」からの離脱の可否に帰着する。戦後の分岐点は何度かあった。講和問題があり、安保があり、ベトナム反戦があり、冷戦体制崩壊があり、バブル崩壊があった。それらの分岐点での我々の判断は、「戦後民主主義」体制を、決定的に否定するものではなかった。
安倍政権の方向性は、一見すると決定的に異っているように見える。「GHQ憲法の改正」、「戦後レジームからの脱却」という安倍晋三は、しかし、本当に自立した日本を建設しようとしているのか。私は、そうではない、むしろ逆であると思っている。日米同盟強化の名の下に、戦後民主主義の大きな暗部である「対米従属」の構造的強化に直結すると思っている。
しかし、自力だけで現状を分析し、徹底した安倍批判を行うのは容易ではない。何人かの専門家、思想家、研究者の著作に力を借りながら、安倍政権論を試みたいと思う。
《昭和史研究者保阪正康の現状分析》
昭和史研究者の保阪正康氏(次から敬称略)は、文献と聞き書きを資料とする実証研究によって昭和史の事実を明らかにしてきた。しかし昭和が終わって既に28年も経った。昭和は、「同時代」から「記録された歴史」へと変化している。保阪は、「改めて平成とはどんな時代だろうかと問い、昭和と何が変わり、あるいは何が変わっていないのか、自問しなければんらない。」と書いている(『田中角栄と安倍晋三―昭和史でわかる「劣化ニッポン」の正体』、朝日新書、2016年6月刊、以下引用は同書より)。
最近、保阪は「7・5・3の法則」という見方を提唱している。その内容を以下に要約する。まず「7」は、現在社会の状況、特色である。すなわち
①戦争観の変化(戦争体験世代の少数化)
②政治家の劣化、政治状況の閉塞化
③討論や議論を重視する習慣の希薄化
④感覚的、扇情的言動の公然化
⑤社会での人間関係の無機質化
⑥紙文化の衰退、ネット文化への移行
⑦手づくりの文化と伝統の衰退
の7項目である。各項目について説明する紙数がないが一つだけ引用しておく。政治家の劣化の実例である。(■から■)
《政治家の劣化の実例を挙げれば》
■安倍晋三率いる政権は、平成26年7月に集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、翌年9月に安保関連法案を可決した。このプロセスを見ていて、軍事行動への直接的な参加が国民的な同意を得ることなしに、加えて旧軍のマイナスを克服する形での論議もなしに決定するその風土に、私は愕然とした。
アメリカのメディアの取材を受けたときにも次のような意見を聞かされた。
「今、アメリカ社会はイラクやアフガンへの出兵に対してきわめて批判的です。なぜそんなところに出て行って、アメリカの青年を殺すのか、というわけです。そんなときに国際社会で、はいと手を挙げて『私たちがあなたの代わりになります』と発言した国があります。そう言ったのが日本なんです」。
アメリカ国民は、日本がわれわれの肩代わりをしてくれ、戦闘行為にも参加してくれると信じたという。日本がこの期待を裏切ったら、友好関係も崩壊しますよとその記者は言っていた。この危うい状況に日本の国民は危機感を抱いていない。内閣支持率が堅調だという事実がそのことを物語っているように思う。■
現状観察で示された七つの特徴を解明する五つの視点があるという。それは何か。
①55年体制の崩壊・小選挙区制の導入
②3・11などの災害史観
③昭和天皇と今上天皇
④超高齢社会の到来
⑤情報社会におけるリテラシー
この5つである。②の災害史観とは、「阪神・淡路大震災」、「東日本大震災」などの自然現象に天災・人災をみた人間が、一種のニヒリズムの思想にとらわれることを言うのである。
③では、昭和・今上の二代の天皇の国家観、戦争観、天皇観を述べている。昭和天皇が戦後も、国民を「臣民・赤子」とみたらしいのに比べ、明仁天皇が「戦後民主主義だからこそ自分がいる」という認識をもち、現行憲法を重んじながら昭和天皇の戦争責任を戦没者慰霊という形で償っている。これが保阪の天皇観である。
《「7・5・3」の最後の3とは》
50年、100年単位でみれば、歴史は我々に三点を試しているのだと保阪はいう。
①ファシズムは歪んだデモクラシーのあとにやってくる
②偏狭なナショナリズムは社会正義の装いでやってくる
③復讐心が生みだす「戦間期の思想」が形に表れてくる
上記①のファシズムでは、ワイマール憲法の運命を論じ、②の偏狭なナショナリズムに関しては歴史修正主義者の安倍首相自身が権力の中枢にいるとして、「いまの日本は、時の政治権力と歴史修正主義が合体している。こんないびつな体制になったのは戦後初めてであり、各国の例を見ても日本だけではないかと思う」と厳しく現状を批判している。
「7・5・3」のような「惹句的」なキーワードで、現状分析する保阪の方法に対して、様々な批判が可能であろうと思う。長年の読者である私もその全部は肯定しえない。しかし本書の内容は、昭和史の実証に生涯を賭けている著者の、強い危機意識の表現である。『昭和天皇実録』の精力的な分析を含む保阪正康の、著作や講演(インターネットで視聴可能)は、今後も大いに注目すべき言説である。
今回は多産な保阪言説の一部の紹介に終わってしまった。
自説をつくるのは難しいものである。(2016/07/18)
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