2016/7.18-19 小高区を再訪して
- 2016年 7月 22日
- 交流の広場
- 長船青司
南相馬市小高区「浮舟文化会館」内の埴谷雄高文学記念館の5年振りの再開にアンドロメダ忌の有志による表敬訪問に参加しました。
以下にSNSで公開発信したものに手を加えて当日の感想レポートとしてこちらの公開書庫に資料として保存させてもらいます。
SNSのツイッターもフェイスブックも事前通告なしのいきなりアカウント停止や記事の削除やブロックが当たり前のようにやられていて1996年にはじめて万国共通の「インターネットの歩き方」などネット上から読んだ者の一人としてそろそろインターネットの原点に戻ろうと思う今日この頃なのです。
ビジネスホテル「六角」のオヤジはなんと言ったっけ。「放射能をやり過ごす術を我々地元住民も」と言ったのか。
「富岡」から一般道に下りて「大熊」や「双葉」の辺でもそういう瞬間的に5.0μSv/h以上にはねあがって軽四はぶっ飛ばしているので5分間くらい続いたのだったが「楢葉」のあたりでも同じように小さな「見えない放射能雲」が地表1メーターに浮かんでいて風に乗って襲って来る感じだった。
車内で話に夢中になって「富岡」でガス欠でJAFを呼んだ。
1時間くらいインターチェンジ管理棟の駐車場の外に腰を下ろして待っている時には「嗚呼、ニッポンの入道雲だ。」と心の中で深緑色の山波の上に広がる青空と白い綿雲に見とれていた。
高速出口でもらった地図のガソリンスタンドは何処も電話がつながらなかったがその後国道6号に出て見て理由が分かった。
この辺りはまだ「帰還困難区域」の立て看がそこかしこで封鎖されたままの路地の入り口に警備員と一緒に立っていた。
朝8時頃「六角」のオヤジは5年まえに何度も来た僕のことを思い出してみんなにお茶を出してくれて、「吉沢さんの「希望の牧場」をオレが今から案内するからぜひ一度牛たちを見て欲しい。見れば絶対に何か重要なことが分かるから、」と「ここから15分で行けるから、」とすごい熱心に誘ってくれたのですが、僕は経産省前テントで吉沢さんのリヤカーに乗った牛の模型や軽トラに乗ったのや実際に本物の牛を連れて来たのも何度もみましたからと言って、「六角」のオヤジがこんなに熱心に誘ってくれるのを断るのはとても残念でしたが、僕らの今日のただ一つの行動予定の遂行に照準を合わせてとにかくモーニングコーヒーを飲みに原町駅前に向かったので した。
帰りは常磐道「浪江」から外環「戸田東」まで高速代は片道5千円位でガソリン代も片道4千円位です。
東京から小高区と原町区及び高速道路の常磐道往復「三郷〜浪江」の合計30時間の被曝量は4,7マイクロシーベルトでした。
気がつくの遅かったけど前日午後8時に「六角」にチェックインして翌日の帰路に午後2時に高速道「浪江」に乗るまでの滞在時間18時間の積算を測るべきでした。
気をつけなければならないのは住民の年間被曝量が1、7ミリ以上であることと時々、いつ襲って来るかワカラナイ地上1メーターの瞬間的な高線量の「見えない放射能雲」が浮遊し続けていることだ。
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。