2016ドイツ便り(4)
- 2016年 7月 26日
- カルチャー
- 合澤清(ちきゅう座会員)
1. 雄猫Simbaの死と雌犬Miya(ちび犬)の悲しみ
Simbaが失踪して家に帰ってこなくなってから5日目、たまたまその日は朝から外出し、WürzburgからBambergへと小旅行していた。夜の10時過ぎにゲッティンゲンの駅に着いて、Petraに電話し、車で迎えに来てもらった。なんとなく彼女の様子が変だ。元気がないようだった。それで、話のついでにSimbaは見つかったのかどうか聞いて見た。「Simbaはもう帰ってこない。死んだ」というのが彼女の答えだった。びっくりした。どうして死んだんだ?交通事故か?と矢継ぎ早に問いかけた。彼女はうっすら涙を浮かべながら「今日連絡があった。(すぐ近くの)Breite Stein(大石)の上の草むらで死体で発見された。毒を食べて死んでいた」という。「毒」というありきたりのドイツ語(Gift)の言葉がよく聞き取れなかった。動物同士の戦いでやられたのか、それとも何か変なものを食べたのか?と再び尋ねる。そばにいた女房が、「毒で死んだといっているよ」と教えてくれる。なんだって、毒草でも食べたのか?と聞き返す。「いや、人間がやった餌に毒が入っていたらしい」…ああ、何という哀れな!発見された時にはお腹がパンパンに膨らんで、口から泡を吹いていたようだ。このBreite Steinの上には広場があり、ちょっとしたキャンプ場になっている。キャンピング・カーが何台も止まっているのを見かける。おそらくその中の誰か(?)が、例えば野鼠よけに撒いた毒餌かなんかをSimbaが間違って食べた、ということも考えられるかもしれない。それにしてもかわいそうだ。
Petraさんは亡きがらを住居の裏庭の片隅に埋めたそうだ。家の食堂にはSimbaの大きな顔写真(A4大)が額に入って壁に掛けられていた。
そして本当に驚いたのはその翌日のことである。夜の9時頃だったか、食堂の入口でMiyaが盛んにほえている。いつもなら[Nein!]と叱るとおとなしくなるはずである。この日は少しばかり違っていた。怒られてすぐは、ほえるのを止めるが、またすぐにほえ始める。しかも何か腹の中から絞り出すような「グルグルグル…」という、声とも音とも見当がつかないようななんとも奇妙な唸り声を発している。女房が様子を見に行って来ていうには、Simbaの写真を見て泣いているようだ、という。「そんな馬鹿な」と言いながら、一緒に食堂に行く。確かに写真の方をじっと見ながら奇妙な唸り声をあげているのである。
私は勿論、動物行動学などについての知識にはまるで欠けている。しかし、犬猫にこんな意識があろうとは、今まで想像もしていなかったことだ。Miyaがこの家にもらわれてきてから、もう4年ほどになる。Simbaはその頃3歳位のやんちゃ盛りの猫だった。二匹は犬猫の種別を飛び越えて、本当の兄妹の様に仲良く育っていた。よくSimbaがMiyaの体中をなめまわして可愛がっていたようだ。Miyaを連れて公園に散歩に行くと、どこからともなくSimbaが現れて身体をすりよせながら、一緒についてくることが多かった。今日、人間の世界では既に失われてしまったような光景である。
そういえば、Simbaの死骸が発見される前の日の日中、Miyaを連れて散歩して家に帰ってきたら、入口から離れた場所の1階に住む住人の庭先からしきりに猫の鳴き声が聞こえた。ひょっとしてSimbaがかえって来て、何かに挟まったまま身動きできないのではないかと思い、すぐに1階の住人に許可をとり、庭を調べさせてもらった。ところが、なんと2階のPetraの家のテラスから身を乗り出すようにしてSimbaの母親のKimyaが下を見ながら鳴いているのである。こんな光景も今回初めて見た。あとからでは何とでも理由がつけられるが、動物の見せるなんとも不思議な振舞いにビックリさせられるとともに、改めて昨今の人間世界の人情の酷薄さに気付かされる思いがした。
親が子を、子が親を捨てたり殺したりするのが世の習い事の様に今日の人間界をまかり通っている。こういうおよそ人道に悖り、動物界に照らしても恥ずべき行為を生み出したものは何なのか?こういう問題とじっくり取り組むことも今回の課題の一つであった。
複雑化する人間社会がその背後にあることは推測し得る。しかし、そのことを何を規範としてどのように批判すべきなのか、ヘーゲル主義者のはしくれをもって自認している自分として、自然主義や自然法に則った立場は、少なくとも今のところは採るつもりはない。人間理性の本性が自由にあるのなら、その自由の中に活路を見出していきたいと考えている。
2.小旅行、ドイツ人気質
「ジャーマン・レイルパス」はDB(ドイツ鉄道)の発行したものであるから、DBのバスにも利用できる。ただ、日本のようにちょっと見せるだけで乗せてもらえるわけではない。いちいちこのパスはDBのパスだから、このバスには使用できるはずだ、といった説明をしながらやっと許可をもらい乗車することになる。
ドイツ人の生真面目さ、悪くいえば融通の利かない頑固さに、もろに直面することになる。こちらの差し出すパスをひっくり返しながら丁寧にチェックし、場合によっては質問をされながら、最後には「いいだろう」といった態度で乗車させて頂くことになる。こちらの言葉の不自由さなど全く配慮の外である。質問にきちんと答えるのが義務であるかのようだ。「まあ、いいでしょう」といった日本人的な鷹揚さ(いい加減さ)など微塵もない。
この点は、DBの電車に乗っても同じだ。かなり細かくチェックされることを覚悟しておいた方がよい。人によってはパスポートを要求してくる場合があるので、その携帯は必ずしておかなければならない。ドイツ人の議論好きも有名である。本気で相手をするか、最初からドイツ語なんて全く分からないという態度で通すしかない。
あまりこういうことを報告すれば、なんて付き合いづらい国民だろうと思いがちであるが、然に非ず。大変礼儀正しい、愛想のよい国民性をもっている。道ですれ違ってもほとんど挨拶をかわしてくれる。スーパーなどの入り口ですれ違いざまに若い女性がほほ笑みながら「ハロー」と挨拶してくれる。またいろいろと世話を焼いてくれることも多い。Simbaが失踪した折、顔写真を張ったポスターを作り、行きつけのスーパーに貼りに行った。すぐに初老の小母さんが二人近づいてきて、この猫がBreite Steinをキャンピング・カーの方へ走って行くのを見たよ。元気そうだったよ、と教えてくれた。これが初めての情報だったが、大変ありがたかった。
「ジャーマン・レイルパス」の残り消化に苦慮している。泊まりがけで行く旅行なら何もそんな苦労は無いのだが、経費節約もあり、日帰りで行こうとすれば、帰りの電車の時刻を考えながら行き先を決めなければならない。ドイツの地方の小さな町では、ICEやIC(急行)との接続がよくない。更にわれわれが住む田舎町は、ゲッティンゲンからの最終バスが20時10分と早く、それまでに駅に戻らなければならない。
今回の旅行はヴュルツブルクとバンベルクである。珍しく曇り空で涼しくて、徒歩で街中を散歩するのに適していた。
ヴュルツブルクとバンベルクと、途中駅のフルダは、ドイツでは有名なカトリックの三大都市である。教会(豪壮な寺院)が多い。ミシュレの『魔女』(岩波文庫に翻訳がある)によれば、この三つの町の教会は、中世に競い合って「魔女狩り」をやっていたという。今月は我が方では何十人の魔女を拘束したというふうに、その数を自慢し競い合っていたという。「魔女」と看做された哀れな女(精神障害者だけではなく、頭の良い人、絶世の美女なども、周囲の嫉妬から魔女と看做されて訴えられたという)は、その後の一生を暗い地下牢や石造りの塔の一室に閉じ込められて暮らしたそうである。その中で半ば強制的にやらされたのが、薬草の研究であった。ヴュルツブルクの駅近くにある大きな古い病院(その一角には有名なフランケンワインの醸造所がある)はその名残であろうか。
ヴュルツブルクの古い造りの病院
ヴュルツブルクのマリーエンブルク
この美しい街には、かつてはナチスの南部ドイツ統治の拠点の一つがあり、そのため、集中的な空爆を受けて町は壊滅状態に追い込まれ、戦後の復興はがれきの中から古い町並みを再興することから始まったという。市庁舎(Rathaus)に行きパンフレットなどの資料をもらえばこのことが書かれている。
街には日本人と思しき人たちも多い。おそらく環境の良さとフランクフルトに割に近い位置にあることなどが理由かもしれない。
バンベルクはそこから約1時間、両方ともに市内に大学をもっている。かつてヘーゲルはカトリックの町を体験したいと思ってバンベルクに疎開(ナポレオンのイエナ会戦の後)し、新聞記者生活を一年間やっている。しかし、いつもながら私の興味は専らバンベルク特産のRauchbier(ラオホビール)にある。今回は時間的なゆとりもあったため、駅から旧市街まで従来とは違う道を通り、少し道を間違いながら歩いて行った。ここ数年、この町の人気は高まるばかりで、いつ行っても大勢の観光客でにぎわっている。8月は、南ドイツではフェストが多い期間なので、今回は7月を狙ったのだが、それでも同様ににぎわっていた。いつも行く醸造所兼居酒屋も相変わらずの混みよう。英語を使う人が多いのはアメリカ人が多いのではないだろうかと勝手に思う。少し強めのラオホビールを5杯(2.5リットル)ほど飲んだのだが、近くにいたドイツ人が嬉しそうにこちらを見てジョッキを掲げてくれたので、こちらも同様にしてカンパイになってしまう。
Haxe(豚のすね肉)とRauchbier
旧市街地へ入る有名なStein Brucke(石橋)は現在補強工事の最中だった。
2016,07.26記
記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔culture0294:160726]
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