労働運動に携わっていた者からの誰も訊かない苦言
- 2016年 7月 27日
- 交流の広場
- 熊王 信之
ちきゅう座で、様々な言説に接していますと、正に、言論の自由とはこうあるべきと、各人様々の思いを述べられている自由と権利を発展させる意義を感じます。
ところが、ネット上の他のブログ等に接して見ますと、これがまた異様なのです。 それは、正に、知性の後退、もっと厳しく言いますと反知性の様相を感じることになるのです。
しかも、それは、思想の左右を問わず、にであり、正に、この国の知性の退廃を感じざるを得ない様相になっているのです。
リベラル・左派もその例外ではありません。 否、リベラル・左派の落日振りが、一層激しく感得させられます。
些細な事象ですが、一例を挙げます。 或るデモ、乃至、反対行動で、警察等と衝突した事例で、良くあるのが、警官等に暴行を受けた、と一般公衆に向かって宣伝活動を行う政治集団、又は、市民団体、等が存在します。 そして、その主張が事実であり、刑事事件に発展する場合もあれば、当該事実そのものが存在せず、事実そのものが怪しい場合もあります。
私も何度も経験がありますが、運動の現場では、幾ら注意していても混乱する時があり、混乱すれば、相手方、または、第三者等に手足が振れる折が存在します。 必然的に、こうした混乱そのものを避けるのが大事なのです。
私等の場合では、職場交渉等の労働運動の際には、交渉相手には、絶対に手を触れず、刑事事件にデッチ挙げされることを避けることが必要でした。 暴言も避けなければなりませんでした。 録音されている、と考えるのが常識でしたから。 更に、デモ等の大衆行動では、防衛のために要員配置もしながら、当局との摩擦を避けるのが普通でした。
労働組合運動には、勝利と敗北の経験の積み重ねがあり、そうした経験からは、貴重な教訓を代々に渡り伝承して来た経過があるからです。
ところが、今日の大衆行動の現場では、そうした統率が存在しない故でしょうか、事由は判明しませんが、混乱が彼方此方で存在し、警官等からの暴行を受けた、と動画等で訴える処が多数です。
でも、私が観れば、それは、そうした混乱を招くのが目的の跳ねあがった行動が招いたものであり、その訴えそのものも、動画等を仔細に観察すれば、警官等の暴行が存在しない場合も多々あるのが現実です。
ところが、私の観た事実を、そのままコメント等に投稿すると、物凄い反発が帰って来る場合が多いので驚くのですが、それに止まらず、自分が見た事実を書いたのみで、右翼反動呼ばわりを受けることにもなりますので、更に驚きます。
昨今は、右傾化が著しい労働運動とは違った形態の、市民運動等が多数を占めるようになったのが原因かも知れない、とも考えているのですが、市民運動であっても統率は必要で、無用の混乱は避けるべきでしょう。
その意味から、実践的な意見を投稿した者に対するに、罵倒で以て報いる等とは、リベラル・左派も落ちたもの、と嘆き節を投稿した次第です。 その昔には、街頭に出て、機動隊に暴行を受けた、と仔細なことで訴える人士は居なかった、と記憶してもいる処です。 時代は変わる、と言うことでしょうか。
因みに、ワイマール憲法治下での、共産党デモ隊とナチス突撃隊(SA)の衝突を思い出させるヘイトデモ、と反ヘイトデモ、とは何なのでしょうか。
何方も警官に暴行を受けた、とアピールしているようですが。 警察も、それでは、御勝手にどうぞ、と両者にお任せすれば如何でしょうか。 何れ、日本版親衛隊(SS)が出現すれば、両者ともども粛清される運命ですが。
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