聞く相手のことを考える
- 2016年 7月 27日
- 交流の広場
- 中野@貴州
中野@貴州です。
私めが南京大学にいたころの話です。南京大学の日本語科と法学部が日本の憲法学者を呼んで講演会を開いたことがあります。
講演の内容は「日本国憲法9条」について。その先生は多分日本の大学で講義していることをそのまましゃべっているようでした。すぐ私の心の中に違和感が起きました。相手は中国の大学生ですよ。日本の大学生を相手にしているのではありません。日本での話し方をそのまま語るのはどうなのかでしょうか。「9条が日本人のみならず世界の人々にどういう意味を持っているのか」を語らなければまったく意味がないのではないでしょうか。
ましてや中国には解放軍という「人民の誇るべき軍隊」(今では腐敗が浸み込んでいますが)があるのです。そんな国に対し「日本のように軍備を廃止しろ」と勧めるつもりなのでしょうか。それは確かに筋が通っていますが、まあまともに相手にされないでしょう。それとも、「日本は平和を愛する特別な国だ」と主張したいのでしょうか。まったくその意図がつかめませんでした。どちらにせよ、この先生のお話には「誰に向かって何のために語りかけるのか」ということがまったく欠落していたわけです。
これは、日本のインテリ左翼に共通する重大な欠陥だと感じます。「平和の大切さ」を主張するにしても、聞く相手のことを全く考慮してなければ、ただの騒音になってしまいます。多くの人々はインテリ左翼のこの欠陥を直感的に感じとっているのかもしれません。今回の参院選の結果もそれが反映されていると思います。
前も話しましたが、みなさん、一度ネトウヨ、中小企業のオッサンに語りかけるつもりで語ってみてはいかがでしょうか。
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