国家のエゴと民衆の反乱
- 2016年 7月 29日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
国民投票でイギリスのユーロ離脱が僅差で決まった。投票日直前に、それまで形勢の悪かった残留派が優勢になったと聞いていた。イギリス経済だけ考えても、ユーロ全体から世界の経済を考えても、留まるべきという残留派の主張には十分な説得力があるように思えた。何にもましてプラクティカルなイギリス人のこと、庶民感情から離脱へなどある訳がないと想像していた。離脱派の勝利を伝えるニュースに驚いた。受け入れ能力を超えた移民と難民に庶民がノーを突きつけた結果なのだろう。
離脱派の主張を聞いているうちに、EUが理念や理想で言われているように純粋なものでもなければ、民主的なものでもないことが見えてきた。何時の時代にもよくある話で、社会の支配者層が唱える(ユーロの)正当性は、誰がどう聞いてももっともらしく聞こえるのだが、ちょっと気を付けてみれば、正当性を裏付ける理念や理想の裏に支配層の利益を拡大する俗な、しばし醜悪な目的が垣間見える。
支配層の思いを、ちょっと乱暴だが、要約すれば次のようになるだろう。
1)三億人を超える国内単一市場を持つアメリカに対抗するためには、ヨーロッパ各国の独立国家としての経済主権を妥協してで
もヨーロッパを単一市場にしたい。
2) 定常的な移民労働者の流入で労働賃金の高騰を抑えることのできるアメリカに対抗するためには、賃金の低い後進ヨーロッパ
の国々もEUに組み込んで、市場を拡大するとともに安い労働力を活用したい。
歴史をちょっと遡ってみれば、中央集権的な国家が誕生するまで、ヨーロッパは都市国家と都市国家が合従連衡を繰り返しながらも、人と物との往来はEU誕生前のように国境によって制限されることなどなかった。かつてのもっと自由な汎ヨーロッパという聞こえのいい理念と理想を掲げてはいるが、舞台裏を見れば、汎ヨーロッパで大きな経済的利益を得るのは汎ヨーロッパで経済活動をし得る大企業に行政と民間企業でテクノクラートとしての地位につける社会の中間層以上に限られる。
日々の生活に追われる庶民には、理念や理想では食ってゆけないという気持ちがある。そこからEUを見れば、EUは社会の支配層と中間層が経済的利益を得るために、もっともらしい理念や理想を掲げたものに見えるだろう。
先進ヨーロッパ諸国の庶民は、統一市場による経済効果から生まれる利益にあずかるどころか、後進ヨーロッパからの移住労働者によって、労働賃金を抑えられ、職の安定を脅かされ、福祉の限界を心配させられた挙句に、異文化に晒されるだけになる。
理念や理想を理解しない民衆に事の是非を問うなど、民主主義を衆愚政治に堕すだけだという人たちがいる。民主主義の宿痾の問題と批判するのはいいが、それでは、この先この宿痾の問題を軽減するにはどうしたらいいのかという話にはならない。
食うのに困らない人たちが理念と理想を唱え、理屈をならべるのはいいが、その日その日の生活に追われる人々にすれば、だからどうした、それで俺たち、私たちの生活がどれほどよくなるのかという素朴な疑問というより疑念が生まれる。実の生活で納得がゆかなければ、最終的には、どのような選挙でも民衆の支持は得られない。
ましてや大企業や恵まれた社会層の経済的利益が増加しているように見えるなかで、自分たちの取り分が少ないと感じれば、いつまでも騙されちゃいないという気持ちになる。離脱すれば経済的に大きなマイナスになると言われても、影響を受けるのは大企業と社会的に恵まれた人たちであって、俺たち庶民にはなんの関係もないと思うだろう。
イギリスのEU離脱が大きなニュースになってはいるが、かたちは違えど、分離独立は世界の潮流の感がある。EUは国家の枠を外して域内統合を目指してきたが、統合とは反対の分離独立運動があちこちで続いている。独立自尊を求めるのは国家だけではない。民族も部族も地域も、自分たちの考えと判断で社会を形成し運営してゆきたいと思っている。誰も、どこかの誰かから、誰かの都合で、自分たちのありようを一方的に規定されることを望まない。何かの特殊事情が、どこかの誰かに支援を仰ぐことを要請したとしても、本質的には社会や経済がどうであれ、独立自尊を求める気持ちに変わりはない。
人びとは生活水準の向上をもたらす経済発展を望む一方で、自分たちの手の届く政治を求めている。イギリスのEU離脱とスコットランドの分離独立運動やスペインのバスクとカタロニアの分離独立運動を、国家を中心においてみると国家の二面性とでもいうのか国家官僚とその後ろにいる産業資本の都合のいい主張が見えてくる。
EUに対しては、単一市場から得られる経済的利益を確保した上で、独立国家としての政治経済をはじめとする国家運営に関する主権を主張する一方で、国内の少数民族の分離独立、あるいは自治権の要求を抑え込んできた。EU内では、どの国家も国内の少数民族と似たような立場に置かれる。国内では少数民族の自立を抑え込み、EUに対しては主権国家(少数民族)として自立を主張する。二律背反する二つの立場にいる国家が統一経済圏を維持拡大してゆくのか、それとも自治体に分離独立してゆくのか。
主権国家としての体制を保たねばという支配層の利益と思考と、自分たちに手の届く社会をと思う民衆の主張がせめぎ合う。
何がその方向を決めるのか?統一市場の経済的利益を後ろ盾にして理念や理想を謳ったところで、民衆がその利益の分配に納得しないかぎり、民衆の主権者として手の届く政治体制-分離独立に進む力が強くなる。誰もどこかの誰かに自分(たち)のことを決められるのを善しとはしない。
ただ、ちょっと後ろに引いてみれば、自分たちのことを自分たちでも、ある意味理念や理想の類じゃないのか?そうすると、理念や理想が何であれ、最終的には、民衆の日常生活の「背に腹は代えられない」が勝って、ユーロ離脱を反故もありかも知れない。国民投票の結果から、どうするかという一つの実験が始まっていることだけは確かで、目を離させない。
オルテガ・イ・ガセットが生きていたら、なんと言うだろう。また、貴族を持ち出して。。。?貴族の時代でもあるまし、時代が違うし、違わなきゃいけない。とは思うのだが、EU諸国、なんだかんだお題目を掲げてはいるが、未だに貴族社会の延長線の階層社会じゃないのか?
ローマ帝国も神聖ローマ帝国も、貴族連中の思惑でつくられた諸民族の寄合所帯、分裂すべくして分裂した。二つの帝国とEU、階層社会という意味でも、民族の視点でも似たようなもの。分裂せずにいつまでも続くとも思えない。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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