幸せ日本、鈍感日本―安倍内閣万歳!と叫ぼうか
- 2016年 8月 4日
- 時代をみる
- 安倍田畑光永
暴論珍説メモ(147)
参院選、都知事選、新経済対策発表、内閣改造と続いた一連の政治イベントというか騒動というかが昨日(8月3日)で決着し、安倍改造内閣がスタートした。おそらく今日の新聞には「ベテラン中心の実務型内閣」とか、「政策通をそろえた安定重視内閣」とか、の見出しがならんでいることだろう。それはそれで間違いではない。
しかし、最近の世界規模の激動の中にこの内閣改造を置いてみると、なんとこの国は幸せなのか、という気もするし、なんとこの国は鈍感なのか、とも思えてくる。そしてその感覚は一にも二にも、安倍晋三という人物がなんとも幸せで鈍感なことに由来するのだと気付く。
首相を除いて閣僚の総数は19人。そのうち9人が留任、ないし横滑りで前内閣から残留し、新任は10人である。その新任の多くはこれまでに副大臣などを経験して大臣就任を待っていた待機組である。
残留組9人の内訳は公明党からの1人(石井国交)を除けば、麻生(副首相・財務)、岸田(外務)、石原(経済再生)の3人と菅(官房)、塩崎(厚労)、高市(総務)、加藤(1億・働き方)、丸川(五輪)の5人に分かれる。前の3人は一応、党内の派閥の代表でありながら、内閣に取りこまれて当面、派閥活動を封じられた人たちで、後の5人は安倍個人好みの「お仲間たち」である。この「お仲間」には新任組から稲田(防衛)と世耕(経産)の2人が加わるから、総計7人となる。
こう見てくると、この内閣にはマスコミの好きな「清新」、「異色」といった顔はないが、「お仲間」は着実に数を増し、党内にたまっていた待機組の顔も立て、派閥の領袖も取り込んで、安倍晋三個人にとってはまことに快適な環境であろう。
そんな中で無理に話題を探せば、前回の組閣で幹事長職を召し上げられて地方創成担当などという実体のない閣僚に取り込まれていた石破茂の名前がなくなったことくらいである。石破は安倍から農水相のポストを提示されて閣内にとどまるよう求められたが、それを断って、自由の身を求めたとされている。本人も記者会見で「政策を磨きたい」と発言していたから、2年後の総裁選出馬意欲を半ば公然化させたと見ていいだろう。
それでは石破が安倍政治のアキレス腱となるか、といえば、世の中そう面白くはないだろう。というのは、内閣だけでなく、党役員を見ると幹事長が転がり込んだ二階派の二階俊博(新任)も、副総裁に留任した高村派の高村正彦も安倍に刃向かう気配はないし、政調会長には首相の出身派閥の細田博之がついたから、あと顔が見えないのは額賀派と思わぬ事故で舞台から降りた谷垣前幹事長くらいのものである。これでは石破が2年後を目指して「鞭声粛々夜河を渡」っても、ほかに加勢する軍勢がいなければ、政界の薬味といった役回りで終わってしまう可能性が高い。「遺恨十年一剣を磨くも、流星光底長蛇を逸す」ではないだろうか。
ついでに言えば、二階幹事長は就任早々、憲法改正を問われて「慎重の上にも慎重に」などと言っているが、この人物には気を付けなければならない。機を見るにすこぶる敏で、権力者のしたいことを先回りして風を起こし、舞台を整えるのを身上としている人間だ。最近では消費税増税延期の旗を振ったばかりだし、もうすでに2年後の総裁選に向かって安倍総裁の任期延長論を口にしている。もしそんな風に物事が進んだとすれば、安倍は幸せ絶頂、総理大臣が幸せなら、国民も幸せということになるのかな。
しかし、冒頭に書いたようにこの日本の政治は世界の中でなんとも異様である。ヨーロッパからアジアまでの広い地域でテロが頻発し、アメリカでは人種対立による発砲事件が相次ぐ。そしてこうした暴力が噴き出す背景には格差に対する反感がいつの間にか洪水のように社会の隅々まで広がっている。反感と憎悪が渦巻いている。
その反感のありようは国によって、地域によってさまざまである。移民に向かう場合もあれば、既成の支配集団、利益集団に向かう場合もある。人種に凝縮するときもあれば、地域差別が人を動かすところもある。
それが世界の多くの国で政治の枠組みを壊している。アメリカの大統領選挙がまさにそうだが、イギリスでは保守・労働両党がEU離脱をめぐってそれぞれ党としての合意がないまま国民投票に臨んだのであったし、フランスでは左翼の大統領が労働法改正で労働者の激しい攻勢にさらされている。
こうした混乱の中から反感のより普遍的な根源が輪郭を表してきたのが最近の状況だとわたしは考えている。それは目新しい議論ではないが、前世紀の第二次大戦以来、世界各国の発展、繁栄の共通原理とされてきた自由貿易体制、つまり人、モノ、カネの自由な動きが今では一転して格差、対立を生む源になっているということである。
これまで数多く開かれてきた「なになにラウンド」と称する大規模な関税引き下げ交渉が行われるときに、激しい自由貿易反対運動やデモがおこるようになったのはもう数十年も昔からである。しかし、これまではそれは多数の国家によって時代錯誤と片付けられてきた。自由貿易体制が国家によって正面から否定されたことはなかったのではないか。
時代は変わった。アメリカ共和党の大統領候補が「TPP断固反対」を唱え、これまで交渉を進めてきた民主党の候補も「支持」とは言えず、あいまいな態度をとらざるを得なくなった。あのトランプ候補の口から「コミュニティ(共同体)を守れ」という言葉がとびだす時代なのである。
なぜ自由貿易が激しい対立を生むのか、ここで論ずることはしないが、今やこれこそどこの国の政治も取り組まなければならない課題なのである。
安倍内閣は内閣改造の前日(8月2日)、「未来への投資を実現する経済対策」を決めた。事業規模は28兆1000億円に上る。参院選では「この道しかない」アベノミクスとやらが順調に成果を上げていると言いながら、終わったとたんに大慌てで大金をばらまかなければならないとは何事?・・・と腹立たしい限りだが、それはともかく中身を見ると、まるで世界を見ていない代物である。
内閣に新しく「働き方改革」担当という大臣を設けることにしたのに呼応するように、子育てについては「保育士の給与2%引き上げ」、「育休の時間延長を支援」、労働者には「残業時間の上限設定を再検討」、「年金の受給資格期間の短縮」、学生には「給付型奨学金」など、いろいろ国民の気を引く項目を並べている。それはそれでいいが、あとは旧態依然の発想である。曰く「農水産物の輸出施設の整備」、「リニア中央新幹線全線開業の最大8年前倒し」、「港湾、空港の整備」など公共事業が並んでいる。
日銀が世の中にお金をばらまけば、人はインフレが来ると思って物を買うはずだから物価が上がり始めて、景気は良くなる、というのが、アベノミクス(の専売特許ではないが)のばかばかしい「理論」だが、そんなことで「デフレからの脱却」などができるはずもなく、結局、予算を使っての経済対策頼りへ逆戻りというわけである。
しかし、日本がデフレから脱却できないのは、市中にお金が足りないからではなく、人々の懐、特に若い人の懐にお金がないからである。企業が正規社員を減らして「非正規」で働く人を増やして、今や全勤労者の4割にも達していることが最大の原因である。政府が企業にそれをやめさせて、正規社員を雇えと言えないのは、「そんなことを言えば、企業が海外へ逃げる」とびくびくしているからである。そこでおそるおそる「同一労働同一賃金」の法制化を検討などと言っている。世界の激しい動きをまるで無関係なことと考えているとしか思えない。
「そんな生ぬるいことで、いつまで国民が黙っていると思っているのだ!」と一喝したいところなのだが、つい最近の選挙を見ても、そして選挙年齢を18歳に引き下げても、国民はいつまでも黙っている。政府が幸福で鈍感なら、国民も幸福で鈍感、ということなのか。
幸せだなあ、僕は君といる時が一番幸せなんだ、という歌があったっけ。
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