反習近平の策謀? 尖閣海域への公船・漁船大量侵入事件の裏を覗く
- 2016年 8月 18日
- 評論・紹介・意見
- 中国田畑光永
新・管見中国(14)
8月4日、5日ごろから尖閣諸島周辺の海域に海警など中国政府の公船と大量の中国漁船(報道では2~300隻)が集結し、領海に侵入したり、その外側の接続水域を航行したり、という行動を連日繰り広げた。
領海侵入に対して日本の海上保安庁の巡視船が退去を求めても、中国側の公船は「中国の管轄海域でパトロールをしている。貴船は我が国の管轄海域に侵入した。我が国の法律を守ってください」と応じたという(『毎日』8月10日)。
ところが11日午前、ギリシア船籍の大型貨物船と中国漁船が衝突し、漁船が沈没するという海難事故が発生し、その後、中国船の数が減り始め、中旬過ぎには下火になった。
その間、12日までにのべ28隻の中国公船が領海に侵入し、その都度、日本政府は外交ルートで中国側に抗議し、9日にはそれまでの金杉アジア大洋州局長、杉山事務次官による抗議からクラスを上げて岸田外務大臣が、程永華駐日大使を外務省に呼んで、「一方的な現状変更の試みで日中関係は著しく悪化している」と直接、強く抗議した。
もっとも中国漁船が尖閣諸島周辺の接続水域で操業すること自体は日中漁業協定で認められている。問題は日本の領海内で中国漁船を中国の公船が取り締まったり、指導したりという行為を行えば、この海域の実効支配を内外に示すことになりかねない点だ。現に程大使も外務省で記者団に囲まれた際に「釣魚諸島は中国の領土であるから、その海域で我が国の公船が自国の漁船を取り締まるのは当然のことだ」と中国の立場を述べている。
勿論、これまでも中国公船による尖閣周辺の領海侵入は繰り返されてきた。とくに2012年9月、日本政府の同諸島買い上げに中国が反発して、大規模な反日運動が広がった後は、それに呼応して同海域にも中国公船が頻繁かつ多数押し寄せるようになった。2013年にもそれは尾を引いたが、2014年になると月に2回程度、2~3隻が2時間程度領海に入って出てゆくという形に定型化されていた。その定型を破ったわけだから、今回の行動には特定の意図があって仕組まれたものとなる。
では中国側の意図とはいかなるものか?
一般的には、フィリピンと中国との南シナ海における紛争について国際仲裁裁判所の判決が中国側の言い分を完全に否定したことを日本がことあるごとに持ち上げて、「法の支配の貫徹、一方的な現状変更反対」などと主張しているのに中国が反発して、尖閣諸島での緊張を高め、合わせて同諸島周辺での実効支配の実績づくりを狙ったものという解釈が多いようである。
この見方は分かりやすいし、そうではないと否定する確たる根拠もないのだが、どうも私にはことはそう単純ではないという気がしてならない。
なぜそう思うかと言えば、今、中国政府がそんなことをする必然性がないからである。
中国の外交はこのところ黒星続きである。米とは「新しい大国関係」という枠組みで太平
洋での勢力圏を分け合おうという戦略がオバマ政権の拒絶に会って、南シナ海での中国の
行動は米の「航行の自由作戦」で邪魔されている。
歴史問題で日本に対して共同戦線を張ることで蜜月関係を築いた韓国とは、7月に韓国が米の要請を容れて、「サード」高高度ミサイル防衛網の韓国設置を決めたことに中国側が激怒し、中韓関係は一挙に悪化してしまった。
仲裁裁判所の判決をアセアン外相会議が足並みをそろえて歓迎の態度をとることは、王毅外相の必死の説得と圧力でなんとか回避したものの、判決が中国の今後の対アセアン外交に重石となることは確かである。
昨秋の習近平訪英で黄金時代を謳った中英関係も、その象徴的存在である英・ヒンクリーの原発建設に中国が協力する案件がメイ新首相のもとで見直し、再検討へと向かっている、などなど・・・。
こうした四面楚歌の中で中国は9月初めに杭州でG20 首脳会議を議長国として主宰しなければならない。しかし、これは習近平にとっては大チャンスでもある。アジアでのこわもて外交の余波は極力鎮めて、経済を中心議題として会議を成功させることができれば、失点を挽回することができる。
確かにこのところの日本政府の言動には習近平のはらわたは煮えくり返っているであろう。南シナ海問題では「局外者なのだからとやかく言わないでくれ」といくら言っても、日本はやれ「法の支配」だの、やれ「現状変更をやめろ」だの、と耳障りなことを言い続けているのだから。
しかし、だからと言って、大量の漁船を動員して尖閣諸島を取り囲んだところで、事態が有利になるはずもない。むしろ日本の度重なる抗議を誘発することになり、仲裁裁判所の判決の影響を薄めたいという希望には逆効果である。
それではあの騒ぎはなんだったのか? 結論をいえば、習近平政権を困らせてやろうという中国内の勢力の仕組んだもの、というのが、私の見方である。先にも言ったように確たる証拠はない。しかし、そう推論する理由はいくつかある。それを検討してみる。
まず、この騒ぎには前例がある。今度のことでよく引き合いに出されたからご存じかもしれないが、そっくりのことが1978年4月末におこった。このときは日中平和友好条約交渉がたけなわの時期であった。
じつは私は当時、北京に駐在していた。事件が起こった時は、たまたまそれまで外国人が立ち入れなかった四川省が「開放」されることになり、その第一陣として日本人記者団を含めて北京駐在の外国人記者団の大多数が外交部新聞局のアレンジで四川省を旅行していた。
北は遼寧省船籍の船を含めて各地から三桁の数の漁船が尖閣諸島に押し掛けたのだが、北京にはほとんど外国人記者がいなかったし、旅行中のわれわれにはそれを知るすべもなかった。おかげで当時、特に日本人記者団は週刊誌などでいろいろ揶揄されたが、結局、この事件はうやむやのまま現在に至っている。
しかし、わずかの手がかりがないでもない。事件の4か月後、同年8月に当時の園田直外相が北京にやってきて、鄧小平副首相と会談した。園田はこう回想している。
「私は意を決して、尖閣諸島についての日本政府の立場を説明し、この間のような事件(漁船事件)がないようにしてもらいたいと申し入れた。それに対し、鄧小平副総理は、あの事件は偶発的なものであり、中国政府がこの問題で問題を起こすようなことはないと信じて欲しいと述べた。これで私は(条約交渉の)最後の関門をくぐり抜けた」
園田直の回想録『世界 日本 愛』(第三政経研究会・1981年)の一節(ここでの引用は『記録と考証 日中国交正常化・日中平和友好条約交渉』岩波書店・2003年・180頁からの孫引き)である。
ここでのキーワードは事件が「偶発的」であり、「中国政府がこの問題で問題を起こすようなことはない」という鄧小平の言葉である。特に後者は事件が中国政府の意図したものでない(つまり中央政府以外の誰かがやった)ことを認めている点で重要である。
中国のような独裁国家の場合、なにかことが起こるとついなんでも政府がやっているように受け取りがちだが、必ずしもそうとは限らない。むしろ日常的に反対意見が制限されているからこそ、あたかも政府がやっているように見せかけて別人が陰謀をたくらむことがある。政権にとっては許しがたいことではあるが、表向き、あれは政府以外のものの仕業だとはいえないから、とりあえずうやむやにすることになる。
そういう目で今度の事件を振り返ると、事態は4日ないし5日から始まったようだが、日本外務省の杉山外務次官が最初の抗議を行った5日には、金杉アジア太洋州局長と中国外務省の武大偉・朝鮮半島問題特別代表は北朝鮮のノドン発射問題に対する制裁について電話で協議し、安保理の制裁決議を厳格に履行することを確認している。つまり中国外務省には特に対日緊張を高めているような形跡は見られなかった。
翌6日、日本側は金杉アジア大洋州局長が中国大使館の公使に抗議したのだが、中国外務省の報道官は記者会見で「現在、関連水域の事態を管理下に置く措置をとっているところである。日本側は冷静に対応して、情勢の緊張と複雑化を招くいかなる行為も取るべきでない」と述べている。もし、中国側に日本の南シナ海についての態度に報復してやるといった意図があってのことだったら、普段の例からすれば「緊張をあおっているのは日本側だ」くらいの言葉が出そうなところなのに、この報道官の発言は処置に困っているようなニュアンスである。
さらに注目すべきは、中国のマスコミがこの件をさっぱり取り上げなかったことである。私はなるべく気を付けてインターネットのニュースを見ていたつもりだが、新華社とか『人民日報』はこの事件を取り上げなかったようである。私が目にしたのは9日の『人民日報海外版』が「望海楼」というコラムで「日本の抗議癖は何のためか」という文章くらいで、これは今度の事件に限らず最近の日本の外交を論じるものであった。
しかし、東京で見ているわけだからあまり自信はなかったが、13日の『日経』にこの件で「中国、国内報道は抑制 ネットでは政府批判も」という北京特派員電が載ったから、やはり中国のマスコミはこの件の報道には消極的であったのは確かだろう。
さて、それではこの事件を起こしたのは誰か、である。それがわかればいいのだが、正直なところ、さっぱり見当がつかない。ただ言えることは、国際仲裁裁判所の判決の影を薄めて、G20 を経済中心の議論で成功させようという習近平の意図を挫こう、習近平のメンツをつぶそう、と考えた勢力が、日本にもっと大騒ぎをさせようと意図して仕組んだものではないかということである。
ここであえて「勢力」という言葉を使ったのは、これは小人数の反抗分子がこっそりやったというようなものではなく、政府内の海洋関係部署のかなりの部分が関わり、その権限の範囲内で起こしたのではないかというのが私の見方だからである。公船の行動はおそらくきちんとした命令によるものであったろうし、数百隻の漁船は広く地方幹部を動かして、それぞれの漁船には何日か分の報酬を払って動員したはずで、そうでなければあれほどの大規模な行動は不可能だろうと私は思う。
いかにも統一が取れているかのように見える中国政府内部でそのようなことが起こるのは不思議と思われるかもしれないが、何事につけ民主的に賛成、反対が討論される習慣がないところだから、「上有政策、下有対策」(上に政策あれば、下に対策あり)という言葉のように、面従腹背で上の意図と違うことをするのは、政権内部でよくあることである。それが処分されたり、処罰されたりするかどうかは、内部の力関係による。
したがって今度のことも中央政府の方針や意向とは別に海洋関係部署が合法的に、かつ独断的に行動したというところではないだろうか。
さらにうがった見方をすれば、⒒日午前、ギリシア船籍の大型貨物船が中国漁船と衝突した事件で、漁船の乗組員を救助したのが日本の海上保安庁の巡視船であったのは、中国の公船には救助活動に出にくい何らかの事情があったのではないかとも思われる。
というのは、翌12日の人民日報系国際情報紙『環球時報』のネット版は普段は対日強硬論を売り物にしているのに、この日は海上に漂う漁船員をボートで救助する日本の巡視船員の姿を日本の複数のテレビ局のニュース画面を何枚も使って報じたからである。なんとなく、海警など海洋関係部署にあてつけるような伝え方であった。
つまり、反習近平といっても「反乱」ではなく、政府内部で習近平に一泡吹かせてやろうという人々(反腐敗運動を嫌う勢力とか、次の権力を狙う人々とか、いろいろ考えられる)が海洋関係部署を動かして、習近平が困るような活動を仕組んだものではないか、それをこれからの秋の政局に有利に使おうとしたのではないかというのが、とりあえずの私の結論である。これが正しいか否か、いずれ分かるかもしれないし、結局分からないままかもしれない。一応、仮説を立てて、気長に待つしかない。
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