2016ドイツ便り(10)
- 2016年 9月 5日
- カルチャー
- 合澤清(ちきゅう座会員)
1.ドイツにおける難民問題を考える
何度も触れたとおり、現在のドイツ国内の最大の問題の一つは大量に押し寄せる難民問題であろう。9月の地方選挙の焦点の一つがそこにあることは間違いない。また、右翼政党がこぞってこの問題を煽りたて、既成の大政党(CDU,SPD,DIE LINKE,など)の受け入れ政策を批判する一方で、国民の不安をかきたて「排外主義」へと向かわせようとしていること、この事は大いに注目されるべきであろう。管見によれば、BrexitによるEU脱退問題は、少なくとも今のところ選挙の焦点たりえていないようである。
さてそこで、一度真正面切ってこう自問してみる。「なぜドイツはこれだけ大量の難民を受け入れ続けるのか(受け入れ続けなければならないのか)」と。この問いの背後には、なぜ他の国(日本をも含む)はドイツほどには難民を受け入れようとしないのか、という別意がある。
先ず考えられるのは、今回の大量難民排出の主要因となったアフガニスタンやイラクでの戦争を引き起こし、またアラブ諸国の内戦を惹起するようなテコ入れをした責任の所在を明らかにする必要があるということである。
この問題では、どう考えても一番の責任はアメリカにある。確かにいまだに不可解さが残るニューヨークの9.11事件が先行的にあったことは事実だ。しかし、その究明すらまだ終わらぬ先に、犯人を特定し、「悪の枢軸国」としてこれらに正義の鉄槌を加えるのだといったなんとも子供向け映画のシナリオもどきの発想をして先制攻撃を仕掛けた当時のブッシュ大統領。彼に代表されたアメリカが真っ先に責任を負うべきであろう。そしてそれに全面協力したブレア政権下の英国、サルコジのフランス、またポーランドやドイツなどのNATO諸国、オーストラリア、カナダ、さらに資金援助や燃料補給という形での協力(後には海外派兵)をしたわが日本国にも責任は十分あるはずだ。なぜドイツだけが、という疑問は当然のことだ。
また、ドイツは今日に至るも大量の武器を紛争国などに輸出しているではないか、という意見がある。DIE LINKEはこの点をついている。確かにこのことは事実である。しかしこれとて、アメリカと比べれば物の数ではない(2015年度の比較では約1/5)。また、フランスなども武器輸出国としてはEUの中では抜きんでている(ほぼドイツと同じ)。
更に、欧米やロシアなどは今日に至るも中東やアフリカをさんざん食い物にしてきているのだから、という意見がある。これすら、それでは日本や最近の中国はどうなのか、と反論される。
これらのことすべてを勘案すれば、むしろ先進国(特に当該国)がこぞって難民を受け入れるべきではないかという意見の方が妥当性をもつ。
結局のところ、EUは地理的に中東やアフリカに近いから、中東やアフリカ、東欧の難民がこぞって押し寄せやすいこと。そしてEUの中にあってドイツは経済的に富んでいるのだから多少の犠牲を払っても仕方がないのではないか、という結論に落ち着いてくるかもしれない。しかしこれとても、最近クローズアップされた英国の閉鎖性、フランスがそれに追随、東欧諸国は排外的な壁を作り、トルコは難民の流入を厳しく規制するなどの現実をどう見るのかという反論にあう。また難民受け入れへの日本のガードの固さ、アメリカやカナダですら難民受け入れにかなり難色を示していることをどう見るべきか。もちろん、「受け入れ方」にも各国でいろんな固有の理由があり、一般的な意見ですべてが片付けられるものではないだろう。しかし、割り切れなさは残る。
再び借問する、なぜドイツがこんなに多くの難民を背負わなければならないのか?
この問いは、後で判るように必ずしもドイツを弁護しようと意図したものではない。難民問題から派生した排外主義的考えに対してどう対応すべきかを考えたいがためである。
ドイツの難民受け入れに際しての言い分は、かつてのナチス時代にドイツから国外に逃れた難民がかなりの数いたこと、それらを各国が受け入れてくれたことへの感謝。それともちろんキリスト教的な人道主義がある。また、かつてのナチス時代に起こしたホロコーストへの罪の意識があるともいわれる。しかし、CDU出身のメルケル首相は次の点を付け加えた。それは将来の労働力不足への対応ということである。
この最後の理由は、前の三つの「義理・人情・道義」に絡んだ理由とは異なって、かなり実利的であり、ある意味で露骨な「経済主義」の匂いが感じられる。
そして注意しなければならないのは、ここに挙げられた理由の中では、大量の難民を排出するようになった戦争責任の問題や、武器輸出による戦闘援助の問題がすっぽりと抜け落ちているということである。
さてそこで、「なぜドイツがこんなに多くの難民を背負わなければならないのか?」の問いは実際に多くのドイツ人たちの素朴な疑問であり、それ故に不満でもある。なぜ彼らのための施設を建設し、生活を補助し、子どものために学校教育を受けさせ、…等々をドイツがしなければならないのか。これらの費用はすべて自分たち一般のドイツ人の税金から出されているではないか。そのあおりで、消費税は高くなり、社会保険料は高くなっている。一部の地域では家賃までも高くなっているではないか(これは定住難民に賃貸する結果、賃貸料の高騰を招いていること)。難民救済の犠牲はわれわれ一般国民ではないか。政治家はいい顔をしたがっているし、彼らはおカネをもっているが、われわれは実際に生活に困って、日に二つも三つも掛け持ちで働かなければやっていけないのだ、と。
ここには少なくとも二つの問題が区別されると思う。第一は、「なぜドイツばかりがこんなに多くの難民を…」という庶民感情である。これはある意味正当な庶民感情であろう。国際的な責任が問われてしかるべきだと思う。しかし第二の「難民のためにわれわれの実生活が脅かされている」かの議論には少々疑問を呈さざるを得ない。以下、極めて簡単な記述にすぎないが(詳細は直接「ドイツの国家予算」などに当たってほしい)、その理由を述べたい。
国家予算の規模を比較すれば、米、日、中、独、仏、英、…と続き、独は世界で4番目になる。ところが2012年の統計ではあるが、この中で、歳入と歳出のバランスがぴったり符合しているのはドイツだけである(米は約100兆円の、日は約46兆円の赤字)。
なぜ、ドイツだけが国家予算の収支バランスが合っているのか?
それは2005年の11月に発足したCDU/CSUとSPDのいわゆる「クロ(僧服の色の黒)とアカ(社民党の赤)」の連立政権下(メルケル首相)で決議・実施された「社会保障費や補助金の削減 等の歳出抑制策に重点を置いた」いわゆる「財政健全化策」という名の国民生活への大合理化の成果と思われる。この過程で消費税もアップしている。
また、ドイツは世界第3位の武器輸出大国である。高性能な武器の開発にかける「研究・開発費」という名目の予算も年々相当な額に上っている。これは実質的な軍需産業への税金を使った援助である。
これだけを見ても、社会保障費切り下げなどの国民生活への圧迫が、難民問題が起きる以前から行われてきていたことは明らかである。もちろん、難民受け入れが国民生活にとって何の影響もないなどというつもりはない。
その上で、もう一つ考慮されるべきは、先ほど指摘したメルケル首相の言う「将来の労働力不足への対応」という点である。ここには、難民に適用されない「最低賃金制度」を避けて、安価な労働力確保、ひいては国内労働力価格の切り下げをもくろむという伏線があるように思える。
小括すれば、難民受け入れのみが直接自分たちの生活を圧迫しているがごとき素朴な考えは、実際にはこうした事情を見落としたある種の偏見からなっていること、そしてこういう素朴な偏見につけ入ろうとするのが右翼の論調であること、この点への注意が肝要である。
2.Göttingenの 難民収容施設(Friedland)を訪ねる
ここの職員をしている友人に連れられて、最初に訪れたのは、この施設の近くの旧駅舎で、今はMuseum(博物館)になっている場所であった。小さな建物ではあったが、見るべき内容は非常に濃くて、第二次大戦直後のドイツ人の窮乏生活(復員してきた人たちや焼け出された人たち、その家族の受け入れ施設として、このFriedlandが作られたため)が当時の映像などを交えながらまざまざと眼に浮かんでくる。
虱駆除のDDTを頭や衣服に振りかけられながら照れ笑いする女性の姿や、長い列を作って証明書や配給券の支給を待つ人たち、また老人や子供たちのやせ衰えた病弱そうな姿、大きな荷物を担ぎ荷車を引きずって力なく歩く大勢の人々などが生々しく映像化されている。
まさに戦争難民の姿である。私には「原発難民」の姿が二重写しに見える。
彼らのとりあえずの落ち着き先が、ここFriedlandのかまぼこ状のバラック(トタン屋根ですっぽり覆われて、床には麦藁が敷かれていたそうである)だった。狭い一棟に間仕切りなしで数世帯押し込まれていたようだ。東西分断時代の悲痛な写真なども展示されていた。
建物の二階は、ドイツへの難民流入の歴史と現状に関する展示である。ドイツにはおよそ10数カ国からの難民が集まって来ている。当然、思想信条も言葉も宗教も生活習慣も食べ物も違う。国家間の諍いがそのまま持ち込まれて、時には殴り合いの大喧嘩(メッサーをもちだす者さえいる)になるとのこと。特に印象深かったのは、アフガニスタンからの難民と旧ソ連時代のロシア難民だった。アフガニスタンやイラクからの難民には、かなりの金持ちがいるそうである。確かに難民収容所にふさわしからぬ、リュウとしたスーツを着込んで、葉巻をくわえ、博打に興じて語学研修には出ないままで、少し言葉が喋れるようになれば、一軒家を構えるといった人達が映し出されていた。また、旧ソ連からの難民は、家族全員でスーパーマーケットに入って、手当たり次第に商品をキャリーに積んでいる姿が滑稽でもあり哀れでもあった。自由市場に慣れていないのか?
職員として働いている友人の苦労の一端が偲ばれた。「大変ですね、苦労するでしょう」と聞いて見たら、「時々気が重くなる」と言葉少なに語っていた。
このMuseumの一階ロビーに、入所者が勝手に書いた意見を集約して整理した何十種類もの印刷されたカードが置かれていた。中には、このLager(収容所)はパラダイスであったといった感謝の言葉を書いている人もいるが、逆に「収容所は収容所だ」「食事がまずい」などの批判を書いている人もかなりの数いた。ここにも入所者の多様を見る。多様性を生かしながらどうすれば統一がもたらされるのだろうか?
ヘーゲルの考えでは、奴隷制が厳然として存在していたギリシャやローマの時代にあって、「人間とは何か」と問うことは、当時の法に矛盾しているという。何故なら、人間とは普遍的な概念であるのに、一方で非人間的な人間の存在を認めている社会を前提にしているからだ。そういう世界にあっては、そういう問いを発すること自体がナンセンスである。翻って、この難民の現実、貧富の格差が極限近くまで拡大している現実、技術革新によってもたらされる進歩の反面で、大量の労働者が職を失って路頭に迷う事態が起きる現実、…この中で「人間とは何か」を問うことは可能であろうか?
また、日本人の大半は難民になった時に、生き残る能力やたくましさを既に失っているのではないだろうか?こんな疑問を自分に問いかけながら、ここで数時間過ごした。
写真は、上の2枚は現在の難民収容所の建物(入り口と中庭)、下はメモリアムとして残されている旧Lager(かまぼこ型でトタン張りの旧舎)-炎天下はすごい暑さで、冬場は外の寒気がもろに入って来る(ここの冬場は-20℃位までなる)
2016.9.4記
記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔culture0327:160905]
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