書き残すー無自費出版へ
- 2016年 9月 8日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤 豊藤澤豊
拙稿『書き残す―ホームページへ』の続きです。
個人のホームページに掲載したなかから、これは「ちきゅう座」に投稿しても、たいして顰蹙を買うこともないだろうというものを選んで、加筆、編集して投稿してきた。顰蹙を買っているものもあると思う。
いくら頑張ったところで、顰蹙をかうことが少ないというまでで、諸先輩の論考のように理路整然としたものにはならない。製造業しか知らない技術屋くずれ、ジャーナリズムの世界など縁もなければ、これといった研究分野などあるわけでもない。還暦過ぎの手習いで、思いつくままに書くのが精いっぱい。とてもではないが諸先輩の専門分野の近隣の話題など、恐れ多くて近寄れない。
思いつくままだから、話題があっちに飛んだかと思えば、こっちに振れて、拙稿間の関連もない。脈絡がないものが積み重なっていくうちに、多少なりとも継続性のあるものを書けないかと考え始めた。取材や調査、研究の結果なら論考としてまとめられるのだろうが、取材する能力もなければ、調査や研究に至っては、どこから手をつけようかいう以前に、とてもできるとは思えない。ここはひとつ腰を据えてと思っても、能力もなければ気概もない。
つらつら考えているうちに、自分の経験とそこから培った視点でなら、どうにかなりそうだと思いついた。しゃっちこばって生きてはきたが、固い話ばかりでは、始めの一口二口はいいとしても、食傷気味になるのに時間はかからないだろうし、バカ話に終始するのもガラじゃない。ここはひとつ真面目に、それなりにおかしな話をまとめてみようとニューヨーク時代を思い出しながら『はみ出し駐在記』と題して書き始めた。
薄れた記憶をたどりながら、思い出したことから書き出すしかなかった。手を付けるまえに全体の構成を考えて、章どりの案くらいあってよさそうなものなのだが、書き始めでもしないかぎり、断片化した記憶の再構成すらできない。書いているうちに、あれもあったこれもあったと、思いだしながらの作業になってしまった。書くのと思い出すのが押す波と引く波のような感じで堆積した土砂のなかから記憶を掘り出すような感じで書き進めていった。
MS-Wordのニ三ページのファイルにして五十もあれば書ききってしまうだろうと思って始めた。出てきた記憶をもとに、あれもこれもと書いているうちにファイルが百を超えてしまった。どれだけ書いてしまったのかと文字数を数えたら、三十万語を超えていた。それでも、まだこれは書いておかなければというのが残っている。
書いていくプロセスは変わらない。思いついては書いて、書いたものをPCのハードディスクに貯め込んでおく。一週間から数週間、思い出しては、とり出して書き直しを繰り返す。これでとりあえず完成となった時点でホームページに掲載する。そこから二三週間たったところで、また書き直して「ちきゅう座」に投稿してきた。
投稿が五十本を超えたあたりから、八十本から九十本になってしまうのが見えてきた。そこまで数がまとまるのであれば、再構成して一冊の本にできるかもしれないと思いだした。本を出すというのがどんなことなのか考えることもなく、そのうち何かが見えてくるだろうと、いつもの能天気だった。
職工崩れの傭兵稼業で外資を渡り歩いてきたものの自伝擬きの駐在記など、そこにいくら実体験に基づいた社会批判の言辞があったところで、誰がどうみても出版できるような代物ではない。バブルの頃でも、日本中探したころで奇特な出版社など見つからないだろう。自費出版する余裕もない。「ちきゅう座」でご指導を頂戴してきた方々に恐る恐る相談してはみたが、雲を掴むような話が現実として落ちてくるはずもない。
何をどうしたころで、手の届きようのない成層圏の雲のような話、出版などできるわけがない。それでも、どこかに、何かあるかもしれないと思っていた。つらつら考えていたら、半年ほど前に昔の同僚からもらったメールがあったことを思い出した。メールには、同僚の大学時代の先輩が書いたアマゾンの電子書籍のことが紹介されていた。
電子書籍にしたところで、名もない一介の市井の者が自伝擬きを出版できるはずがないと思っていることもあってか、書かれていた内容が理解の域を超えていた。何なんだろうと思って、Googleで調べてみたら、アマゾンが無料で電子書籍を出版できるビジネスをしているらしい。上手いことを言って、後になってちゃんと課金されるのが落ちだろうと、信じなかった。
信じられないのだが、気にはなる。Googleであれこれ調べて行ったら、どうもウソでも詐欺擬きでもないらしい。要は書籍の体裁を整えた投稿サイトのようなもので、電子書籍を出版したい人(しばし出版社)が、表紙も内容も、……自己責任でアップロードすれば、(内容をチェックしたうえで?) 電子書籍としてアマゾンのサイトで販売してくれる。Kindle Direct Publishing、略してKDP。それでも半信半疑だった。
上手い話はないという常識というのか先入観もあるところに、電子書籍に関する知識が足りないから、サイトの説明を読んでいっても、KDPの全体像がつかめない。だめもとで、KDPのサイトの説明を読みながら、一つひとつ作業を進めていった。作業を進めながらも、出版できるかもしれないという実感が湧かない。
表紙をイラストレータに頼める訳でもなし、プロの校正者に原稿の校正をお願いできるわけでもない。自分で表紙を準備して、横書きのMS-Wordのファイルを縦書きに変更する作業をしていった。表紙を作るのもマイクロソフトのフリーソフト、Paint-Netを使ってフリーの写真サイトからこれと思うものをダウンロードして加工した。
Googleで見つけたいくつかのサイトには、アマゾンのKDPサイト上での登録作業のアドバイスが書かれていた。どれをみても、作業は簡単、なかには二時間もあれば終わるというものまで含めて、たいした作業はいらないと書いてあった。簡単と言われても、不器用で若い時から何をさせても必ずどこかでひっかかる。いつものようにあちこちのステップで何度もひっかかって、そのたびにKDPのサポート窓口にメールで問い合わせた。KDPの担当者には、無知なオヤジの訳の分からない問い合わせのメールでご迷惑をかけたと思う。うんざりしたのだろう、最後は返事もこなかった。
それでも一つ一つ作業を進めて、なんとか出版にこぎつけた。手間はかかるし、分からないことが多くてイライラしたが、一度経験してしまえば、あちこちのサイトに書いてある通り、たいした作業ではない。なにより自分の手間はかかっても、費用はゼロ。無自費出版。
数十万円かけて自費出版したところで、限られた書棚スペースに売れ筋の本をならべてが商売の書店は扱ってはくれない。狭い住まいに処分に困る本の山が落ちだろう。それがKDPならアマゾンのサイトに販売用として、電子データとしてだが、おいてくれる。
売れなくてもかかった費用はなし、手に取った重さは感じられないが、それでも自分の本を出版できたという、ささやかな自己満足は味わえる。
アマゾンが本の流通革命を起こして、本以外にも扱いを広げて通販サイトになったと思っていたら、出版の革命まで始めていた。出版したいと思っている人には、ささやかな自己満足の環境かもしれないが、その環境の向こうには、昔ながらの印刷された本を出版している方々がいらっしゃる。出版社には新しいビジネスの可能性がでてきたが、印刷や製本を生業としてきた人たちはどうするんだろう。
マリワナやジョイントにヘロイン、チャイニーズマフィアやチャイナタウンの賭場まででてくるからだろう、成人向け書籍になっていた。成人向けの本にまぎれて、場違いでなんとも落ち着かない。一週間後に、さすがにこれはないだろうと、設定を変更して成人向けを解除した。
「ちきゅう座」の諸先輩の辛口の(願わくば好意的な)コメントを頂戴できれば、この上ない光栄なのだが、目を通して頂く価値のあるものなのかの方が気になる。
書き始めたとき、まさかこんなところまでこれるとは思ってもいなかった。思ってもみなかったところまできてしまって、またこの先が始まる。目標とは絶対値ではなく、今いるところから、極端に言えば、とりあえずそこまでというものかもしれない。
[ソフトウェア Kindle]
アマゾンの電子書籍を読むには、スマホのような形をした端末「Kindle」を買わなければならないと思っていた。さすがはアマゾン、端末のKindleを犠牲にしてでも電子書籍の市場に注力しているのだろう。パソコン上やスマホ上で動くKindleのソフトウェア版を用意している。アマゾンのサイトから無料(0円で購入のかたち)でダウンロードできる。ソフトウェアをダウンロードすれば、パソコン上でもスマホ上でも電子書籍を読める。サイトには無料の電子書籍も揃っている。まだ電子書籍をご覧になったことのない方は、一度試してみてはどうだろう。はじめ印刷された本との違いに戸惑ったが、何ページか見ているうちに慣れてくる。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6244:160908〕
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