意外性の言語学
- 2016年 9月 11日
- スタディルーム
- チョムスキー宇波彰
アメリカの言語学者ノーム•チョムスキー(1928〜)は、反戦運動家としても知られている。言語学者としては、すでに1950年代までに「生成文法」の理論によって言語学に革命をももたらしたといわれている。「生成文法」について、『広辞苑』(第5版)は次のように説明している。「人間は生得的に文法にかなった文を限りなく生成する能力を持っているとし、その生成の仕組みを文法と考えるもの(以下略)」。チョムスキー自身は「生成文法」についてさまざまないい方をしているが、最近では「言語を得る人類特有の能力」(W.1)とも規定している。
チョムスキーの言語理論には、通常の認識とはまったく異なるものがあり、それが少なくとも私にとっては、彼の魅力である。アルチュセールはマキャヴェリの思想に、アントニオ•ネグリはスピノザの思想に「驚き」を感じたというが、私にとってもチョムスキーの考えには「驚く」ほかはないものがある。それは彼の考えの特異性•意外性というべきものであるが、その中で私は特に次の三点に注目したい。
まず第一にチョムスキーは、「文法の優位、言語の副次性」という考えを示す。生成文法とは言語を生成する(作り出す)文法のことであり、この定義そのものから、チョムスキーにとってはこの文法が主要なものであって、言語は「副次的」とされる。彼は『生成文法の企て』においても、言語は文法に対しては「副次現象」であるとしている(SK.257)。文法に対して、言語は極度に軽視され、ついには「言語に価値はない!」(SK.256)とまでいうことになる。これでは「言語学」ではなくなるのではないかと思わせるほどである。
次にチョムスキーが、言語とコミュニケーションの関係について述べていることも、きわめて「意外」である。通常われわれは、言語の機能はコミュニケーションであると考えている。しかしチョムスキーはそうではないという。言語は「自分自身に向けて話しかけること」に使われるのであり、(GK.101)「言語の大半は内面的」である(GK.32)。「言語の最も大きな用途は内的なもの、つまり思考のためである。」(W64)言語は自分で考えるために役に立つものであり、コミュニケーションは衣装や身振りなどによってもできる。「内的言語の優位」(W.81)がチョムスキーの基本的な立場であり、コミュニケーションには副次的な位置しか与えられていない。
三番目に、チョムスキーが「言語の進化」について考えていることが、私にとってはたいへんな「驚き」である。私がチョムスキーの言語理論に接したのは1970年頃であるが、最近になって再びその後の彼の活動を知るに及び、生成文法理論が新たな方向に展開しつつあることがわかってきた。それは、人類はいつ生成文法を獲得したのかという問題への取り組みである。具体的には、チョムスキーに対して2004年、2009年に行われたインタビューの記録である『言語の科学』と、2016年に刊行されたバーウィックとの共著『Why only us, language and evolution』(『どうしてわれわれだけなのか 言語と進化』)において、その展開を見ることができる。
簡単にいえば、「言語の起源」の問題であるが、チョムスキーは「言語を得る人間特有の能力」(W.1)という言い方をしていて、「言語」の起源ではなく、「生成文法」の起源が問われる。『なぜわれわれだけなのか 言語と進化』では、リンネ、ダーウィンに反対の立場が示される。ダーウィンの『種の起源』には、natura non facit saltum(自然は飛躍をしない)という原則があったが、チョムスキーはそれを否定する。およそ6万年前のアフリカで、人類に「突然で劇的な変容」(W.57)が起こった。それが生成文法の獲得という「飛躍」(leap)である。
この「飛躍」をなしとげた人類が、アフリカを出て世界各地に広がっていく。それをチョムスキーたちは「the trek from Africa」(W.65)とか、exodus from Africa(W.54)と呼ぶが、それは現代の古生物学、人類学に共通の認識で「out of Africa」という表現は、人類史の書物のいたるところに見ることができる。チョムスキーはそれを「生成文法」の獲得と結びつけたのである。「6万年前に人類は、アフリカで言語を作り出す能力を得た」というのは、もちろん「仮説」である。しかしチョムスキーはその仮説の立証のためにあらゆる努力を払っている。私ががチョムスキーの著作に接して驚くのは、彼が若い時に考えた「生成文法」の概念を、人類の歴史のなかに位置づけしようとする彼の強固な意志である。また私はそこにパースの「アブダクション」の概念が働いているように考える。実際、チョムスキーは、批判を交えつつも、パースの思想を高く評価している。チョムスキーとパースの関係については、改めて論じたいが、今回はチョムスキーの思想の「意外性」について述べてみた。
引用した文献
チョムスキー、福井直樹訳『生成文法の企て』岩波現代文庫、2011、SKと略記
チョムスキー、成田広樹訳『言語の科学』岩波書店、2016、GKと略記
Berwick,Chomsky,Why only us,language and evolution,MIT Press,2016, Wと略記
(2016年9月10日)
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study768:160911〕
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