仁斎という問題・3 近世日本の思想革命
- 2016年 9月 22日
- スタディルーム
- 子安宣邦
1 仁斎の思想革命
仁斎が「最上至極宇宙第一」という『論語』に冠せた八文字によって思想革命をいうものは私以外にはいない。多くはその八文字に仁斎の『論語』尊重の心を見るにすぎない。ただ吉川幸次郎だけは比較的に立ち入った理解をしている。吉川は「仁斎東涯学案」でこういっている。「それは「最上至極宇宙第一の書」である。世界第一の書物である。何ゆえにそうか。偉大な「卑近」の書だからである。内容はすべて日常を離れない。平凡無奇である。もっとも平凡無奇なるがゆえに、もっとも偉大な書である。」[1]こう書き写してくると仁斎の緊張感をもったポレミックな文章は、仁斎の理解者を誇る吉川の「卑近」な理解によって、「卑近」を装おう誤った文章に翻訳されていってしまうように思われる。
『論語』の至上性と「道」の卑近性とは、仁斎の思想革命的言語を逆説的な緊張関係をもって構成する二つの思想的契機だと私は前にいった。この二つの契機が、「世界第一の書物である。何ゆえにそうか。偉大な「卑近」の書だからである。内容はすべて日常を離れない。平凡無奇である」と翻訳されると、これは仁斎言語の思想性も革命性も失って吉川的言語の中で凡庸な緊張感をもたないものになってしまっている。ところで吉川が読んでいるのは刊本『論語古義』であって、その「綱領」も東涯や門弟の校正を経たものである。そこには「最上至極宇宙第一」の八文字をめぐる仁斎の文章はない。削られているのは、仁斎が決然として書く、「愚、故に断じて論語を以て最上至極宇宙第一の書として、而して此の八字を以て諸(こ)れを毎巻題目の上に冠す。意以(おもえ)らく、此くの如くせざれば、則ち人よく論語の理、此くの如く大なることを知ること能わず」という文章である。『論語』の何が至上なのか。仁斎が「論語の理」という『論語』の思想である。だが『論語』の思想の至上性を学者たちは分かろうとはしない。「最上至極宇宙第一」の八文字を冠せていわなければならないのはその故だと仁斎はいっているのである。「此くの如くせざれば、則ち人よく論語の理、此くの如く大なることを知ること能わず」と。『論語』の思想の至上性を認識することは、学者たちをとらえる既成の思想体系、儒家たちの継承する既成の教説体系をゆるがすこと、その革新なくしてはないと仁斎はいっているのである。「最上至極宇宙第一」という『論語』に冠せられた八文字はたしかに過剰である。だがその過剰は、儒家における既成の教説体系の強固な存立に対応する。あの八文字とは思想革命の提示だと私がいうのはそれゆえである。そしてあたかも思想革命を煽動するかのような仁斎の過剰な八文字の提示に危惧を感じ、その激越する表現の鎮静化に努めたのが東涯ら刊本の校定者たちであった。
では仁斎のあの八文字は何に向けて提示されたのか。いかなる儒家思想の体制的事態の革新が必要なのか。「而して漢唐以来、人皆六経の尊しとすることを知って、論語の最も尊くして、高く六経の上に出ずるとすることを知らず。或いは学庸を以て先とし、論孟を後とす。蓋し論孟の二書、徹上徹下、復(また)余蘊(ようん)無きことを知らず」と仁斎はいう。この仁斎の言葉をめぐる私のすでに上に記したコメントをもう一度ここに引こう。「漢唐以来ということは、孔子の学が儒学となり、皇帝的国家の正統の学となって以来ということである。『書経』を中心とした六経的世界こそ国家の正統的な古典的世界とされたということであろう。朱子はこの国家的な古典(経書)を四書五経として再構成した。すなわち孔子以前の経書(五経)と孔子以後の経書(四書)として。『論語』はその四書の中に置かれた。しかしその四書も『大学』『中庸』『論語』『孟子』というように国家の政治哲学というべき『大学』を第一にして構成されている。これが国家の士大夫の学としての儒学の学間体系でもある。」これが『論語』の至上性によってゆるがせられ、革新されなければならない儒家既成の教説体系であり、思想体系である。
「四書五経」という儒家の教説体系とは、「国家の士大夫の学としての儒学の学間体系」でもある。この体系は儒家における国家の政治哲学というべき『大学』を経書の第一として構成されている。これは皇帝的国家中国だけの教説体系であるのではない。近世の幕藩制国家日本の江戸政府もまた国家の政治道徳哲学としての儒学・儒教の存立を体制的に容認したのである。この幕藩制国家が成立して半世紀が経過しようとする十七世紀日本の京都の市井の儒者仁斎は、『論語』こそが第一であると主張し始めたのである。しかも「最上至極宇宙第一」という過剰ともみなされる八文字をもって『論語』の至上性をいい始めたのである。儒教がその本を孔子の教えにもつかぎり、『論語』が第一の経書であることは自明だと思われようが、それは違う。『論語』とは至上性を具えて常にそこにあるのではない。それは再発見されねばならないのである。仁斎の『論語』の至上性をいう言葉は、『論語』の再発見の言葉である。すでに仁斎はすべてを、しかも正しく語っている。われわれはもう一度それを読めばよい。
「夫れ高きを窮むるときは、則ち卑きに返り、遠きを極むるときは、則ち必ず近きに還る。卑近に返りて後、其の見始めて実なり。何ぞなれば則ち卑近の恒に居るべくして、高遠の其の所に非ざるを知ればなり。所謂卑近とは本卑近に非ず、即ち平常の謂いなり。実に天下古今の共に由る所にして、人倫日用の当に然るべき所。豈此れより高遠なるもの有らんや。もし夫れ卑近を厭いて、高遠を喜ぶものは、豈天下万世に達して、須臾も離るべからざるの道を与に語るに足らんや。学者必ず此れを知りて、然る後に以て論語を読むべきなり。」
『論語』が至上の聖典であるのは、日常卑近な人の道こそが「天下古今の共に由る所」の道であることをわれわれに教えているところにあると仁斎はいっているのである。『論語』はただ日常卑近な人の道を教えるというのではない。この卑近な人の道こそもっとも人間的な道であり、「天下古今の共に由る所」の普遍的な道であることをわれわれに教えるのである。それゆえ『論語』は至上の聖典だと仁斎はいっているのである。この『論語』を絶対的に選択するということは、この人間世界を日常卑近な人の道を根底としてとらえ返すことをいうのである。既成儒家の「四書五経」的思想世界が、あるいは『大学』を第一とする儒家の国家哲学的教説体系は、『論語』の至上性によって、すなわち日常卑近な人の道の普遍性によって読み直され、とらえ直されねばならないのである。それゆえ私は、仁斎における『論語』の絶対的な選択をいうあの八文字とは「思想革命」の提示だというのである。
「最上至極宇宙第一」という八文字に仁斎の「思想革命」の志向を見ることができたのは、仁斎の経典の古義学的読みの革新をともにしてきた東涯ら近しい門弟たちであろう。彼らは仁斎の危険なラジカリズムをテキスト表面から削り去ることによって、仁斎の古義学的達成の徳川幕藩体制下における認知と普及に務めたのである。
もとより仁斎は『論語』の絶対的な選択からなる「思想革命」が抗争的言説によってなされるものではないことを知っている。仁斎自身が抗争の人ではない。林本『論語古義』の「最上至極宇宙第一」という八文字の上に記されている圏点は、仁斎がこの八文字の削除に同意したことをいうのかもしれない。だがたとえこの八文字を削ろうとも、仁斎の『論語』の絶対的選択という「思想革命」の志向は『論語古義』十巻として実現されている。
[1] 吉川幸次郎『仁斎・徂徠・宣長』「仁斎東涯学案」岩波書店、1975。
初出:「子安宣邦のブログ・思想史の仕事場からのメッセージ」2016.09.21より許可を得て転載
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