現実を照明する抽象を求む――T4作戦、アダム・スミス、ドイツの賠償拒否――
- 2016年 9月 25日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
9月24日 NHK Eテレ 深夜「ETV特集選」で「ナチス・障害者虐殺の真相、ナチスが利用した“優生思想”」を放映していた。心身障害者20万人がドイツ国内の病院で医師の判断でガス室において殺害されていた。T4作戦と言う。ユダヤ人ホロコースト以前だ。ヒトラーの命令とは言え、ドイツの医師達による確信犯的行為だ。ドイツ人が同じドイツ人弱者を抹殺する。
ナチス党の責任に還元できないドイツのある時代の知性・理性、つまり知識階級の責任であろう。かかる心身障害者安楽殺害を実現する優生思想が、社会の諸他分野における社会思想と全く無縁に孤立して成立したとは思われない。それはまたドイツ社会にのみ固有な思潮であったはずがない。他の近現代諸国においても大量実行されなかっただけで、部分的には姿を現していたはずだ。
張一兵氏の研究集会で「マルクスに帰れ」、「レーニンに帰れ」、「ハイデッガーに帰れ」、そして「フーコーに帰れ」が語られたが、それは思想方法に関してであって、思想の現実化の正負、善悪、表裏etcにとどいていなかった。ドイツの“優生思想”の問題を具体的に知ると、哲学者達や思想家達にカテゴリー・概念レベルの議論だけでなく、思想の現実化レベルの言葉でもっても議論して欲しいと思う。
9月24日 午後13時~17時、明大自由塔1076教室において開かれたアダム・スミス哲学に関する研究・討論についても同様の印象を持った。私が知る限り、ポーランドにおいてもセルビアにおいても今日アダム・スミスの名前で語る人々は、資本の論理や市場の論理を益々露骨に発動させる方向で語っている。ショック療法による体制転換のある唱導者は、「市場の、私有財産のマイナスと言われる諸事態をきちんと見てみると、それらは、むしろ市場作用が、私有財産制が不十分である事の結果である。」と言明して、益々競争原理と自己責任を強化する。アダム・スミス・センターやアダム・スミス・クラブに所属する知識人で常民労働者の権利の縮減や失業率の急増に心を痛める者は少ないか、いない。今日は、18世紀ではない。21世紀だ。アダム・スミスに言われなくても、勤労し、交換し、蓄積する。その結果、常民勤労者は豊かにならず、仕事を失い、貧しくなる者も多い。有産者の一部は益々巨富化する。
明らかに、『国富論』の経済学の射程外の問題である。それでは、『道徳感情論』にもどれば済むのか。アダム・スミスは言う。「肉体の安楽と精神の平和において、生活上のさまざまな身分は、すべてほぼ同じ水準にあり、そして公道の傍で日なたぼっこしている乞食は、国王たちがそれをえるために闘っている安全性を、所有しているのである。」(岩波文庫、水田洋訳下、pp.24-25) 21世紀の今日、このような「道徳感情」をもってホームレスを見るとするならば、それは「道徳感情」以前を意味しないだろうか。
『道徳感情論』に立脚した経済学が必要だ。
以上、高レベルの哲学論を拝聴しての素人的感想である。
小文の冒頭にドイツの問題で始めたので、最後にドイツの戦争賠償問題の未解決に触れておきたい。
ベオグラードの日刊紙『ポリティカ』(2016年8月24日、31日、9月11日、12日)に何回かギリシャの経済危機に関するアテネ発の記事がのっている。西欧の巨大債務返済に苦しむギリシャ、今年もまたシリア等難民流入で苦しむギリシャが報じられている。それと同時に、ツィプラス首相が国家戦略としてドイツ政府に対して第二次大戦中の損害・犠牲の賠償問題を提起することに踏み切った、とある。ツィプラス首相は語る。「ドイツ政府は賠償問題が未解決であることを認め、交渉の席につくべき時だ。」「私は、わが政府はこの未解決の歴史問題なる一章を解決する用意があるとギリシャ国民に確言する。」「ギリシャ国民は、ナチス軍による占領、虐殺、戦争犯罪の歴史を忘却しないし、かつ73年後の今日ドイツ政府がそれを認めるように要求する。」「これは、国家の名誉の問題だ。」
ツィプラス首相は、ベルリンに出した3000億ユーロ(議会委員会によれば、2690億ユーロ)の戦争賠償支払要求を撤回しないとギリシャ国民に約束した。大戦中の物的損害と戦争犯罪に対する補償、それにドイツ第三帝国の圧力の下にギリシャが大戦中にドイツに与えた(これまで全く返済されていない)借款の返済。ドイツ政府は、この問題設定自体を拒否。東西ドイツ統一プロセスの中で政治的・法律的に解決済みであると主張している。
第二次大戦の独乙賠償問題は、ギリシャに関してだけでなく、旧ユーゴスラヴィアにもかかわる。旧ユーゴスラヴィア諸国は、ギリシャ以上にドイツに対して言い分がある。それ故、かかる記事がしばしば見られる。
日本や韓国の言論界では、「第二次大戦中の侵略責任に関して流石にドイツは誠実に対応している。しかるに日本は・・・。」と言う発言がしばしばきかれる。ドイツの場合、ユダヤ人のホロコースト・ジェノサイド問題という世界史史上最大級の問題=超人悪の誠実な解決におわれて、凡人大悪の戦争加害・犠牲に対面する心の余裕がなく、問題は、ロシア人に対しても、ウクライナ人に対してもこれから表面化するのではなかろうか。
平成28年9月25日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion6274:160925〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。