上村達男氏のNHKガバナンス論の真贋~赤旗編集局への書簡(4/7)
- 2016年 10月 17日
- 時代をみる
- 醍醐聡
2016年10月17日
籾井会長の任免経緯をめぐって迷走した上村氏の釈明
上村達男氏はNHK経営委員長職務代行者の職を退任して以降、なぜ在任中に籾井会長罷免を発議しなかったのかについて釈明していますが、その内容は迷走と言ってよく、見苦しいものです。
たとえば、退任まもない2015年3月3日『朝日新聞』に掲載されたインタビューの中で上村氏は次のように語っています。
――― 籾井会長を満場一致で選んだのは、上村代行を含む12人の経営委員です。
「確かに経営委に責任があります。ただ、籾井氏の経歴を見ると、一流商社で副会長まで務め、海外経験も豊富な人物。数人の候補者がおり、籾井氏に異論は出なかった。」
―――市民団体などには「経営委は籾井氏を罷免すべきだ」という声もあります。
「私はずーと罷免すべきだと思っていた。ただ、罷免の動議をかけて、否決されると、籾井会長は『信任された』と思うでしょう。それでは逆効果になると考えました。」
ところが、『毎日新聞』のインタビュー記事(2015年5月26日、夕刊)では、上村氏はこんな発言をしています。
―――〔籾井氏への〕批判はさりとて、上村さん自身、籾井氏を会長に選んだ経営委員の一人だった。『内心忸怩たる思いです』と打ち明ける。
「三井物産の副社長を務めるなど経営手腕があり、海外勤務経験も長いというのが推薦理由でした。経済界のトップクラスという点は“品質保証”になると思いました。ご本人も選任後のヒアリングで『放送法は順守する』と語っていましたから・・・・』と悔いる。」
これでは、罷免動議が否決されたら逆効果云々以前に、自分の不明をさらけ出すような罷免動議を出すのを躊躇ったというのが真相ではないかと思えます。
確かに、経営委員会内に設置された指名委員会がまとめた、籾井勝人氏をNHK会長に推薦する理由の一つに、「ITに関する見識も深く、日本ユニシスの社長に就任して以降、3,000億円以上年間総売上を達成するなどの実績を持つ」という記載がありました。
しかし、ITに関する見識があること、三井物産の副社長、日本ユニシスの社長を歴任したこと、日本ユニシス社長として年間3,000億円以上の総売上を達成したこと・・・・それがNHK会長の資質とどう関係するのでしょうか? そうした経歴がどういう理由で公共放送のトップとしての「品質保証」になるのでしょうか?
メディアであり、放送文化の担い手であるNHKのトップというなら、ジャーナリズムに関する造詣、教養文化の深さと広さをなぜ真っ先に問わなかったのでしょう? 放送法の字面を復誦できるということで、公共放送を理解しているとでも受け取ったのでしょうか?
あにはからんや、籾井氏の会長としての第一声は、「私の主たる任務は(NHKの)ボルトとナットを締め直すことになるんではなかろうかと思っている」という発言でした。会長就任早々、このような発言が口をついて出る人物を「経済界のトップクラスという点は“品質保証”になる」と思い込んだ上村氏の見識に唖然とするばかりです。
ところが、上村氏は前掲『赤旗日曜版』記事の中では、こんな釈明をしています。
「経営委員会が会長を選びますが、書類とその場でのやりとりだけでは本当に最適任かはわかりません。推薦者の推薦を信頼するしかありません。」
この発言が真意なら、上村氏は籾井氏の資質について何も「品質保証」をもたないまま信任したことになり、自らの軽挙を恥じなければなりません。
極めつけは次のような釈明です。
「会長に問題があると思っていても、政権与党から承認を受けて委員になった以上、〔会長〕罷免までは踏み込めないと考えてもおかしくないでしょう」 (前記『毎日新聞』インタビュー)
ここまでくると、上村氏は、経営委員会を含むNHKの政治からの自立の意味を理解できているのかという根源的な疑問に行き着きます。
これでは、上村氏は「NHKの反知性主義」を問う前に、自らの知性はいかばかりかを内省する必要があるでしょう。と同時に、籾井氏を放送法無理解で批判するのなら、放送法の基本精神に関する自分の理解の至らなさを認識しなければなりません。
なお、今年の3月4日に開かれた「NHK包囲行動実行委員会」主催の院内集会の準備の過程で、実行委員会のメンバーであった湯山哲守氏は、実行委員宛てに次のような意見を発信しています。湯山氏の了承を得ましたのでご紹介します。
「私は上村達男氏の招聘は反対です。これまで経営委員(経営委員長代理)時代に市民運動側が再三にわたり『籾井氏の罷免』を要求してきたのにそれを実行してこなかったことに対する『弁明』が数々なされていますが、まったく説得力がありません。」
上村氏はまっとうな籾井会長批判者といえるか
上村達男氏は経営委員退任後、急先鋒の籾井NHK会長批判者として、たびたびマスコミや論壇に登場しました。では、上村氏の籾井会長批判の要旨は何かというと、籾井氏は放送法に反する自分の発言を個人的見解と断ってかわそうとするが、その個人的見解を撤回しないままNHK会長職にとどまろうとするのは許されないというものです。
しかし、上村氏が放送法に反すると指摘する籾井氏の一連の発言—――「政府が右というとき、左と言うわけにはいかないい」等々―――が公共放送のトップに求められる資質と真逆のものであるということは、いまや衆目の一致するところです。それどころか、私たちが受け取った視聴者からメッセージの中には、上村氏よりも、はるかに深く鋭く籾井氏の発言の問題性を射抜いた指摘が数多くあります。メディア研究者やジャーナリストの中にそのような見識を持った人物が数多くいることは言うまでもありません。
また、上村氏のこれまでの言説を見る限り、株式会社の統治になぞらえたNHKガバナンス論はあっても、現行の会長選考制度や番組審議会委員の選考制度、NHKの経営や番組編成に視聴者の声をどのように反映するかといった公共放送に固有の制度論は見当たりません。放送番組に関する批評となると、さらに見当たりません。
なお、後述しますが、受信料制度に関する見識となると、同期の他の経営委員の見識と比べても上村氏の見識は稚拙なものです。
にもかかわらず、上村氏がしばしば論壇に登場してきたのはなぜかというと、結局は、籾井会長時代の「経営委員長職務代行者」という職歴が重宝がられたからではないかと思われます。
しかし、この職歴をいうなら、「三井物産の副社長を務めるなど経営手腕があり、海外勤務経験も長いというのが推薦理由でした。経済界のトップクラスという点は“品質保証”になると思いました」と語って、籾井氏をNHK会長に任命することに賛同した上村氏の稚拙な履歴も問われなければならないはずです。
さらに、会長就任後、籾井会長が数々の妄言を繰り返したにもかかわらず、「会長に問題があると思っていても、政権与党から承認を受けて委員になった以上、罷免までは踏み込めないと考えてもおかしくないでしょう」などという、あまりに愚かな物言いで籾井会長を免罪してきた上村氏の資質、見識の信を問うべきは当然です。
上村氏のこのような言動は、経営委員会を含むNHKの政治からの自立を求める私たち視聴者運動の目標とも根本的に相容れません。
今や周知となった籾井氏の愚かな資質、言動に対する批判者というだけで、上村氏の言動の全体像、根本的な問題性に目をつむって、同氏を高く評価する側の見識も問われなければなりません。
(以下、次回に続く)
初出:醍醐聡のブログから許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye3708:161017〕
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