上村達男氏のNHKガバナンス論の真贋~赤旗編集局への書簡(5/7)
- 2016年 10月 18日
- 時代をみる
- 醍醐聡
2016年10月18日
経営委員の人事制度と職責に関する上村氏の曲解
では、上村氏の上記のような稚拙な釈明が生まれた原因は何かを考えていくと、経営委員人事制度と経営委員の職責に関する上村氏の歪んだ認識に起因するように思えます。
上村氏は経営委員選考制度を政府人事と見るか、国会人事と見るかという点にこだわり、国家公安委員、公正取引委員会委員、中央労働委員会公益委員、人事院人事官、日銀総裁、NHK経営委員等の「国会同意人事とは、時々の政府の意向に左右されてはならない独立性の強い人事」であるのに、「安倍内閣になって以来、NHK経営委員の人事は政府任命人事と同視され、NHK予算も政府予算と同等の扱いを受けるようになった」(上村達男「NHKの再生はどうすれば可能か」(『世界』2015年6月、p.95)と述べています。
つまり、上村氏は経営委員を選任する仕組みが、政府の意向で決まる政府人事ではなく、野党も含む国会人事としての実を備えるなら、NHK経営委員は国民の代表である国会で選ばれたという意味での独立性を担保できると考えているようです。
上村氏が、「NHK予算に対して国会が審議するのは、国会が公益を代表して1年に一回、NHKに対するガバナンスの機能を果たしているのです」、 「国会が関与しない間は、そうしたガバナンスの機能は国会が同意した人物たちからなる経営委員会に委ねられているのです」((上村達男『NHKはなぜ、反知性主義に乗っ取られたのか』2015年、東洋経済新報社、p.131)と述べていることからも裏付けられます。
さらに、上村氏は、「言い換えると、NHKの放送・経営等に対するガバナンス機能という点では、国会と経営委員会はその使命を共有していると見ることができます。・・・・国会が果たす役割・機能を、日常的にNHKの経営に接することのできる経営委員会がその代替機能を果たさなければなりません。」(前掲書、p.131)とも述べています。これは経営委員が政府とではなく、国会とつながるのは経営委員会の独立性を脅かすどころか、経営委員会が職責を全うする上で当然の姿であるとみなしていることを意味します。
確かに、政府が委員を指名するという形の政府人事(審議会委員など)と比べ、国会の審議を経る国会同意人事は、政府の独断的な偏った人選をチェックする機能が伴うことは確かです。
しかし、現在の国会同意人事を上村氏の言うように、「政府の意向に左右されない独立性の強い人事」と評価するのは実態を無視した議論です。なぜなら、
①経営委員候補者名簿は内閣の一部門である総務省が作成し、野党はこれにYes, Noの意思表示をするだけで、候補者推薦権はありません。
②国会同意人事と言っても、多数与党の意思で議決されるのが通例です。また、かりに政党ごとの議席占有比で経営委員を割り振ることにしても、世論調査で無党派層が与党支持率に匹敵する現状では民意の分布に見合った人事とも言えません。
③そもそも、「国会=国民の代表」と言っても、言論・報道機関としてのNHKは多数決原理で決せられる国策を遂行する機関ではありません。むしろ、多数与党と同与党によって組織される政府の国策遂行を監視するのが言論報道機関の使命です。そのように政権を監視する使命を負った言論報道機関としてのNHKの予算、事業計画を国会の審議、議決事項にしていることが、NHKに対する政権与党の干渉の温床になってきたことは否めません。
またNHKの監督機関(経営委員会)の委員を政府が選任した候補者の中から両院の同意を経て任命する国会同意人事を政府人事とは異なる独立性の高いものと評価するのは、制度の本質を見損なった曲解です。
上村氏は多くのメディア研究者、ジャーナリスト、市民が経営委員の公募・推薦制の採用を求め、総務省に替わって放送行政を所管する独立行政機関の設置を求めてきた理由、運動の歴史をどう受け止めているのでしょうか?
ここでは、政府人事と国会人事の違いを過度に強調し、言論報道機関の人事や経営決定に多数決原理がなじまないことを理解しない上村氏に対し、放送法制定当時に川島武宣氏が述べた見解を紹介しておきます。
川島武宣氏の経営委員人事論を顧みて
「川島公述人 私は東京大学の法学部におります川島でございます。先ほど委員長から忌憚のない意見を述べろというお話でございましたから、私は忌憚のないことを申し上げます。
この法律に対して私は全体的に反対の意見を持つております。私が問題にしたい点を簡單に申しますと、まず第一にこの法律は、日本放送協会に対して国会と政府とが、非常な力でもつて統制をし、監督をするという点に、大きな眼目があるように思うのであります。はたしてこういうコントロールをする必要があるだろうか、それでよいだろうかということを、私は非常に疑問に思うのであります。・・・・
と申しますのは、たとえば一番大きな問題は、経営委員会というものは内閣総理大臣が任命いたします。そうしてその経営委員になつた人は、委員たるに適しない非行があるときにはこれは何どきでも総理大臣が首を切ることができることになつておりますが、これは一体どういう場合に委員たるに適しない非行があるのか、これは考えようによつてはたいへんなことになるのであります。・・・・
それからもつとこまかに言えば、これを国会でコントロールするという問題もあるのであります。私は国会や政府が一種の言論機関であるところの、しかもほとんど独占的な言論機関であるところの日本放送協会に対して、これほど強大な監督権を持つているということに、私は疑問を持つのであります。・・・・
もちろんこういう議論が成立つと思うのであります。つまり国会において多数を占める政党は、国民が選んだのである。従つて国民が多数を支持したのであるから、その多数の政党が言論機関を自由にするのは、結局国民が言論機関を使つておるのである。だから多数政党が言論機関を支配してもよいのだという議論をお持ちになつておる方が、あるいはあるのじやないかと思います。私はその議論に対して根本的に反対したのであります。・・・・
私は特定のある政党が、たまたまそのときに多数になつたら、言論機関及び学問というものを・・・・全部コントロールして、自分の支配下に置いて、自分の権力を使用して使つてよいというロジックは、全然成立たない。それを成立つとするならば、これは今までまさに全体主義国家がやつて来たことであり、今日日本はそれで苦労をなめておるのであります。私たちはこういう苦労はもうたくさんであります。・・・・
政府及び国会が直接に干渉し得るというような地位に置かないで、もつと直接に民衆の監督統制のもとに置くようなことを、ひとつ考えていただきたいと思うのであります。」
(1950年2月8日、衆議院電気通信委員会公聴会会議録)
つまり、川島氏は政府によるコントロールか、国会によるコントロールかをことさら区別せず、両者は多数者によるコントロールと言う点で実質に差はないとみなし、政府人事であれ、国会人事であれ、多数決原理で言論報道機関の人事を律することに強く反対したのです。こうした川島氏の見解は今日のNHK経営委員人事にも通じる卓見と思えます。
さいたま地裁のワンセグ判決の示唆
2016年8月26日にさいたま地裁が言い渡した通称ワンセグ判決は今日のNHK経営委員選任制度がNHKの性格に関して、どのような法解釈を導くかを示した判決として注視するべき箇所があります。
さいたま地裁はワンセグ機能付きの携帯電話の所有者は放送法64条1項がいうNHKの「放送を受信できる受信設備を設置した者」に該当しないから、NHKと受信契約を締結する義務はない、したがって受信料を支払う義務もないという判決を言い渡しました。
その理由として、さいたま地裁は放送法2条14号で「設置」と「携帯」が区別されている事実を顧みず、「設置」には「携帯」を含むというNHKの主張は文理解釈上、相当の無理があると判断したのです。
問題は、さいたま地裁がそう判断した際に、憲法84条が定めた課税要件明確主義と財政法3条が定めた「国が国権にもとづいて収納する課徴金等」をつなぎ合わせた解釈をした点です。
つまり、判決は、「被告〔NHK〕は、放送法16条により設立された特殊法人であって、・・・・内閣総理大臣が任命した委員により構成される経営委員会が、受信料について定める受信契約の条項(受信規約)について議決権を有しており(同法29条1項1号ヌ)、受信規約は総務大臣の認可を受ける必要があること(同法64条3項)からすれば、受信料の徴収権を有する被告は、国家機関に準じた性格を有するといえるから、放送法64条1項により課される放送受信契約締結義務及び受信料の負担については、憲法84条(租税法律主義)及び財政法3条の趣旨が及ぶ国権に基づく課徴金等ないしこれに準ずるものと解するのが相当であり、その要件が明確に定められていることを要すると解するのが相当である」という論を一気に展開したのです。
こで注視しなければならないには下線の部分です。つまり、内閣総理大臣が経営委員を任命する現行の人事制度を根拠の一つにして、NHKは国家機関に準じた性格を持つ、受信料は国権に基づく課徴金等ないしこれに準ずるものと解釈されたことです。
言い換えると、現在のNHK経営委員選任制度は、国会の同意という手続きを経るにせよ、実質は政府任命人事とみなされ、それを根拠の一つにしてNHKの政府からの自立を否定するに等しい法解釈が導かれたのです。
自民党調査会ならダメでも国会議員ならOKという浅慮
~NHKを国政調査権の対象とみなすに等しい上村氏の危険な言説~
私は、現在のNHK予算の国会承認制、国会の同意を経たNHK経営委員の政府任命制がこのような国権主義的法解釈を生む土台になっている、NHKの自主自立を求めるなら、こうした土台そのものを改革する視点と実践が求められると考え、これまで微力ながら、その方向に向けた運動を呼びかけてきました。しかし、上村氏の経営委員人事論がこうした運動の方向と相容れないことは明白です。
こうした疑念は、上村氏が、自民党調査会によるNHK、テレビ朝日からの事情聴取(2015年4月17日)について、放送の自主自立を保証した放送法3条の規定に照らして問題があると指摘しながらも、「国会が国政調査権に基づいてNHKを調査することは、その調査が放送法の基本理念との関係で許されるのかという大事な問題が残るものの」、「法律に定める権限に基づく場合と一応は言える」(前掲、『世界』掲載論文、96ページ)と記している点にも向けられる疑念と同根です。
これでは上村氏は、NHKは国政調査権の対象だとみなしているのも同然ですが、その根拠は何でしょうか?国政調査権は、放送法3条でいう「法律の定める権限」に該当すると考えているのでしょうか? 自民党調査会ならダメでも国会議員(政権与党議員)としてなら、放送法3条に抵触しないとみなすのは危険なこじつけの解釈です。
(以下、次回に続く)
初出:醍醐聡のブログから許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye3709:161018〕
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