新潟県知事選における野党共闘について
- 2016年 10月 19日
- 評論・紹介・意見
- 熊王信之
新潟県知事選で原発再稼働に慎重な姿勢を鮮明にされた米山隆一氏(共産、社民、自由推薦)が勝利されたこと自体は、非常に喜ばしいことと思われます。
そもそも米どころの新潟には、原発は相応しくなく、大電力を費消する東京都へでも新設されるのが宜しいであろう、と思われます。 一例として挙げれば、国会議事堂か首相官邸の地下にでも新設されては如何でしょうか。 何なら、アベ化した地方でも喜んで受け入れて頂けるでしょうし、御自身の支持が篤い地方を自ら説得されて新規立地されれば宜しいのではないでしょうか。
悪い冗談はさて置き、この度の選挙では、アベ化に反対する勢力に潜む獅子身中の虫の存在が明確になり、この存在がある限り、アベ化抵抗勢力の力を削ぎ、自公の補完勢力として後から撃たれる危険が存在する事実が明確になりました。
その第一は、連合と言う名の右翼労働組合、云わば、労働組合を名乗る企業・官庁の人事部門の存在です。 彼等は、まず反共であり、共産党憎しで凝り固まった労働貴族が寄せ集めた利権集団です。
経営層と一体化して一般労働者を支配している職業的右翼労働組合運動の労働貴族が、反共主義者であるのは当然で、彼等が共産党を含む野党共闘に反対するのは、彼等の歩む道筋からは当然の成り行きでしょう。
おまけに、新潟では、東電の利益を第一にした連合が、原発再稼動を至上命題に掲げたことからして二重の意味に於いて野党共闘に反対するのは当然の成り行きでした。
連合を支持母体にした民進党が、利権擁護の立場から新潟での野党共闘に反対するのは、これまた当然の帰結であり、この党が持つ、反国民的姿勢が鮮明になったことに注目する必要があるでしょう。
即ち、民進党が唱導する「野党共闘」とは、真の意味における「共闘」では無く、自党の利権に忠実に、他党に対しては選挙区での自党候補者の立候補を見送ることを求めるのみの自己都合優先を貫くことであり、真にアベ化に反対し、国民の権利擁護を貫くことには程遠い「共闘」姿勢にあるのです。
民進党所属議員の多くが、自然発生的に新潟に出向き、米山候補支持を訴えたのは党中央の反民主主義的姿勢に反発されたのは当然でしょうが、更に、民進党を離脱し立候補された米山候補を見捨てることが出来ない中での止むを得ない行動であり、民進党中央が自党構成員の了承さえも得て居ない不義理を犯した事実を明確にしたのではないでしょうか。
卑属な表現で言えば、恥を知れ、と言うことです。 自民党の補完勢力に甘んじるなら、大きな口を叩くな、と言わねばなりません。
民進党よ、己らが、自公に反対せず、政権を禅譲宜しく自公に譲った輩を党の幹部として建て、それで自公と戦う覚悟がある、と衆目が観る、と思うのか。 一般国民の眼がそれ程に節穴に見えるのか。 このままでは、己らが、一番の悪、と見做されるぞ。
ただし、個人の立場にせよ、新潟へ助太刀に出た民進党の政治家には、注目している処です。 右も左も無く、原発には慎重・反対を貫く政治家には、道理があるからです。
今後、民進党中央が頼りにならなければ、所属政治家夫々が個人の政治家として野党共闘で戦うのも良いのではないでしょうか。
ともあれ新潟の野党各党と民進党の個人政治家は、市民と手を携えて良く戦ったものとして賞賛に値するでしょう。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6305:161019〕
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