80年代の大阪近郊電車内で
- 2016年 10月 21日
- 評論・紹介・意見
- 熊王信之
最近の阪神タイガースの成績は、あまり振るわないので私の周囲でも話題になることが少なく寂しいです。 でも、まさかバブル景気の影響では無かったのでしょうが、80年代の一時期には甲子園でのバックスクリーン三連発に代表されるように、強力な打撃陣を中心に優勝街道まっしぐらの景気の良い時期もありました。
当然、街中ではバブルと相まって夜ともなれば宴たけなわであり、大阪近郊の電車は、終電ともなれば満員でした。
有る日、或る労働問題の研究会の帰り道で遅い夕食をとり終電近くの電車で帰宅途上のこと、ドア近くに立った私は、何気なく周囲の乗客とは違った服装の老人が周辺に座る乗客たちと小さな騒ぎを起こしていることに気づきました。
当の老人は、結婚式の帰途にあったのでしょうか、一杯聞し召しておられての帰りか、しきりに独り言ち、それが周囲の乗客には煩くて仕方が無かったのでしょう。 隣に座った初老の男性が、煩いので止めろ、と大声を出されたのでした。
何しろ、当の老人の独り言は、「昔に帰すべし」と結ばれる一節で、正しく老いの繰り言そのものであったので、辺りの若い乗客の内の女性等は、笑いを堪えるのに大変そうであり、私と眼が会うと堪らず大声で笑われる始末でした。 そして隣席の初老の男性が煩い、と言われた折を機に席を立たれ隣の車両に移られました。
電車内迷惑行為現行犯の老人は、それでも延々とご自分の御不満を言い募り、時代が悪い、世間が悪い、等と言い、お決まりの「昔に帰すべし」と結ばれるのでした。
この宴席の最終が如何になったのかを見届ける前に、私の降車駅が来ましたので結末は分かりませんが、多分、当の老人は、「昔に帰すべし」と言い募り鬼籍に入られたのでしょう。
それとも、電車の乗換駅、又は降車駅を間違えて、とんでもない遠方の駅にまで行かれたのかも。 当時も今も大阪近郊の電車は、乗換駅を過ぎると他府県へ行く路線になり、終電近くの時間帯では、大阪へ帰ることは不可能です。 私自身も、何度か、その憂き目を見ました。
因みに私の大失敗の経験ですが、一度、酔いが回ったのか、起きると奈良でした。 これには困りました。 タクシーに乗れば料金が嵩みます。 幸い翌日が休日でしたので、歩くことにして頭の中で経路を調べ最短距離で歩くことにしました。 ただし深夜でしたので交通事故に注意し、また、靴等が登山用の装備で無いことにも注意して、山道は迂回路を行くことにしました。 時間は、装備が平常の服装でしたのでかなりかかると計算し、自宅には、早朝に着くと見積し、そのとおりに到着しました。 但し、これは未だに他言無用の大失敗の経験ですが。
さて、以上の80年代の大阪近郊電車内の出来事ですが、最近、良く思い出します。 夢にも見ました。 因縁話のようです。 それこそ時代のせいでしょうか。
私が見た夢とは。 当時の車内迷惑行為犯・老人は、アベ御一党様。 但し、車内の雰囲気が当時とは相違し、老いの繰り言に同調される方々が増え、抗議される方や無視される方々が少なくなり、車内が緊張し、降車駅を過ぎる乗客も出る始末です。 これでは、皆さん方が奈良まで行かれるのか、と心配にもなります。
あの時、私が奈良で降りた時。 流石に、終電車で奈良まで行かれた人はごく少数でした。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6308:161021〕
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