SJJA&JWSPO【西サハラ最新情報】185 「身はたとひ砂漠に 朽ちぬとも 留め置かまし サハラ魂」 -吉田松陰辞世の句をパクリました-
- 2016年 11月 9日
- 評論・紹介・意見
- サハラモロッコ平田伊都子西サハラ
あの人たちは難民なんだ、、国際社会で宗主国モロッコと互角に闘う西サハラ政府の外交戦士たちを見ていると、ついつい<難民の身>ということを忘れてしまいます。 金も武器も家もない難民外交官たちが、国連やAUやEUを動かそうとしています。 欧米は、西サハラ難民政府RASDサハラ・アラブ民主共和国を、未だに承認していません。 日本も然りですが、COP22のように遅れを取らない前に、さっさと承認したほうがお得です。
国際機関による西サハラ難民物資援助状況、欧米政府に国家承認を迫るアミナトなどモロッコ占領地・西サハラの人々、そして、マラケシュCOP22を利用する宗主国モロッコのことなど、報告します。
(1)アルジェリアにあるUNHCR、WFP、UNICEFが西サハラ難民援助で共同発表:
2016年11月3日、アルジェリアの首都アルジェに拠点を置く、UNHCR(国連難民高等弁務官)、WFP(世界食糧計画)、UNICEF(国連児童基金)などが、アルジェリアにいる西サハラ難民への緊急物資援助を要請した。「昨年6月から我々3団体は、医と住と食という基本的な緊急人道援助の補給を国際社会に訴えてきたが、補充はなされず備蓄は数か月後に底をついてしまう」と、UNHCRアルジェリア代表ハムデイ・ブクハリは訴えた。「これから6か月間は、支援金不足で10,000,000$が削減されると聞かされている。小麦粉や食用油や米の配給を半分に減らすしかない。安い食材に切り替えても追いつかない」と、WFPは頭を抱える。「西サハラ難民の子供たちは潜在的に栄養失調だ。幼児死亡率が上がる一方だ」と、UNICEFは子供たちの命を心配した。
(2)ポルトガル大統領が西サハラ状況に緊急対応を呼びかけ:
ポルトガル大統領マルチェロ・ロブレ・デ・ソウサがモロッコッ占領当局が収監している西サハラ政治囚の釈放を訴え、西サハラ人の民族自決権を早急に行使するよう、ポルトガル政府を促した。さらに大統領は、「ポルトガル共和国憲法第135条に鑑みれば、ポルトガル外交政策は自ずと、西サハラ人の権利と人権と主張を尊重しなければならなくなる」と言及し、ポルトガル共和国大統領の名において、ポルトガル政府に、RASD(サハラ・アラブ共和国)を熟慮するよう進言した。
ポルトガル共和国大統領の書簡はAdala UK(アダラ・ユーケ)ポルトガル支部に送られてきたものである。Adala UKはイギリスに拠点を置く西サハラ人人権擁護団体だ。
(3)デンマークで訴える女闘士アミナト:
11月6日、デンマークの首都コペンハーゲンで開催された<国際人権擁護会議>に、モロッコ占領地・西サハラの女闘士アミナト・ハイダルたちが参加した。モロッコ占領地・西サハラ住民代表団は会議の合間に、デンマーク外務省高官やデンマーク国会議員などに面会した。一行は、モロッコ占領地・西サハラにおけるモロッコ占領当局の虐待や拷問や、西サハラ人政治囚の解放を訴えた。さらに、民族自決権の西サハラ住民投票実施へ支持を求めた。
アミナト・ハイダルは1966年、西サハラの首都ラユーンに生まれた。20才になった1987年12月、西サハラ.モロッコ植民地の首都ラユーンで数百人の女性達と国連住民投票を要求するデモをやった。 逮捕されたアミナト女史は獄中で暴行や拷問を受け、4年後の6月22日、74人の同志と共に釈放された。釈放後、自らの体験を礎に「西サハラ人政治犯の即時釈放とモロッコ刑務所の拷問虐待廃止」を訴え、何度も逮捕されたが、ハンガーストライキを武器に平和活動を続けている。
(4)マラケシュCOP22を利用するモロッコ:
2016年11月7日から18日にかけて行われる国連COP22の初日に、モロッコ王国は<モロッコCOP22(モロッコ側の国連COP22の呼称)>と銘打った記者会見を、モロッコのマラケシュで開いた。<モロッコCOP22>の議長・サラフッディン・メズアール外務大臣は、「モロッコ国王モハンマドⅥ世から、COPはモロッコ緑の行進記念日(11月6日)を受けた行事であると、申し渡されている。モロッコは議長国として、COP22を包括的でより明解なものに拡大解釈していく。」と、モロッコの主体性と存在感を強調した。さらに大臣は、このマラケシュ会議が南部地方(西サハラ?)の開発に役立つとも言及した。
11月7日の国連プレス・ブリーフィングで、記者の一人が、「COP22に使われている地図が国連のと違っているのでは?スリマ・バルク・全アフリカ議会議員がCOP22の参加と入国をモロッコ当局から拒否されたそうだが?」と、質問した。ステファン国連報道官は、
「地図などの詳細は、議長国モロッコのウェブサイトに聞いてくれ。その人物について私は知らないし、立ち入ったコメントはできない」と、答えた。
11月6日の緑の記念日とは、1975年に約10万人(モロッコ発表35万人)のモロッコ人が、当時のスペイン植民地西サハラに越境侵入し、「西サハラはモロッコ王の物」と主張したモロッコ国王官製デモを指します。 一方、この記念日にモロッコ国王はセネガルにお出ましになり、西サハラのモロッコ領有権を主張し、AUアフリカ連合へのモロッコ帰還を宣言されました。
何故、セネガルで? それは、セネガルがフランスの命を受けてモロッコ領有権を支持し、国連安保理の11月議長国でもあるからです。 国連を手なずけようとするモロッコの手管は、なかなかどうして卒がありません。
それに比べて、モロッコのように金儲けができない西サハラ難民政府、、人の情けと国際正義を頼りにするしかない、、辛いものがあります。
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名敏之 2016年11月8日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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