言葉の詐術に要注意! 安倍首相の真珠湾訪問
- 2016年 12月 7日
- 時代をみる
- アメリカ安倍戦争田畑光永
暴論珍説メモ(152)
一昨5日、安倍首相は年末の26,27の両日、ハワイを訪れ、任期残りわずかとなったアメリカのオバマ大統領とともに真珠湾のアリゾナ記念館に赴いて、戦没者を慰霊すると発表した。
この人はまあよくもこう次から次へと耳目を引くイベントを考え付くものだと感心したが、真珠湾行き自体については結果を見なければ、なんとも言いようがない。というのも、昨年8月15日の敗戦70年にあたっての首相談話に見られるように、この人は官僚やら側近やらを動員して、見栄えのいい言葉、当たり障りのない表現を連ねさせ、大事な原則的問題をぼかしてしまい、それでいてなにかを言ったように取り繕う技術というか、詐術というか、に長けているからでる。
むし返すようで悪いが、思い出していただきたい。去年の首相談話にこういう一節があった。
「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならない。・・・先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました」
談話に「侵略」という言葉を明記するかどうかが注目されていたが、それに対する答えがこれであった。確かに言葉は入ったが、文脈的には日本が侵略したとは書かれていない。
こういう一節もある。
「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきました。・・・こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」
おわびの気持ちを表明したのは歴代内閣である。そして今後もそれは揺るがないというが、安倍内閣、安倍本人はどうなのか、そこは抜け落ちている。これは揚げ足取りではない。注意深くそういう論理にしているのである。そのことは、その後に出てくる以下の文章を見ればはっきりする。
「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」
この最後の一句は、そういう宿命を背負わせるのは「よくない」という価値判断を明確に打ち出している。「なりません」という断定が目立つ。談話ではこの後も「過去の歴史に真正面から向き合う」とか、「謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任」といった、フレーズが出てくるのだが、それらは「子どもらには謝罪させない。謝罪は終わり」をカムフラージュする煙幕としか見えない。
そういう安倍首相だからオバマ大統領と並んでアリゾナ記念館に立った時、その口から出てくる言葉は想像がつく。おそらく「75年前、太平洋戦争の発端となったこの戦場に、今、日米両国の首脳が並んで立っていることの歴史的意義」を精一杯大げさな表現で強調し、その和解をもたらした「自分をふくむ歴代両国首脳の指導力と努力」を天まで持ち上げることに終始するだろう。
そしてそれは同時に「真珠湾の奇襲」という日本が抱えてきた歴史の負債をこれにて一件落着としようとする安倍首相の心情にマッチするものであるにちがいない。しかし、「真珠湾」は歴史の中に薄まればいいというものではない。むしろ、日本人が自らを考える上で真剣に向き合わなければならない重大な材料である。
満州事変にしろ、盧溝橋事件にしろ、日本の戦争の始まりは、開戦への国家意思がきちんとした手続きに基づいて決定されたわけではない。この2つの場合は現地で始まった戦闘を東京の政府が追認するという形で、戦争になっていった。
太平洋戦争の場合、日本の中国での軍事行動に米国が反対して、日本軍の中国からの撤兵を求め、両国間の緊張が高まって、日米交渉が行われるまでの経過は省略するが、交渉が難航して、1941(昭和16)年9月6日の御前会議で「10月中旬を目途に対米英蘭(オランダ)戦の準備を完了する」という「帝国国策遂行要領」を決定したのちも、政府部内の意思は統一されていなかった。簡単に言えば陸軍と海軍が対立していた。「ここで米の要求に屈服して、中國から撤兵すれば、開戦以来、大陸に血を流して犠牲となった将兵に申し訳が立たない」と強硬論を主張する東條英機陸相と「日本海軍は米と戦うようにはできていない」と対米開戦に反対する及川古志郎海相の間で、近衛文麿首相は内心では海軍の立場に傾きつつも、それを口に出せず、内閣を投げ出してしまう(10月16日)。
後任首相を選ぶ重臣会議では、陸軍を抑えられるのは主戦論者の東條陸相しかいないといった、いわば無責任な理由から東條に組閣の大命が降下され(10月18日)、重臣たちの思惑とは逆に日本は開戦への道を進んでしまった。
そこで考え出されたのが、現地時間12月7日にワシントンで米政府に開戦を通告してから1時間後にハワイの真珠湾を攻撃するという奇襲作戦であった。しかも、在米大使館の不手際により開戦通告が攻撃開始より遅れる結果となり、「通告もなしの不意打ち」という不名誉を日本は背負うことになった。
この真珠湾に至る3か月ほどの経過をたどるとき、そこには陸・海軍の対立、要職にある人間たちの責任逃れ、怯懦といった、当時の日本の国家としての屋台骨のあやうさがくっきりと浮かび上がる。
今、日本の首相が真珠湾を訪れるなら、現在にいたる両国間の和解の歴史を持ち上げる前に、不意打ちに至った日本という国家の危うさに思いをいたし、その上で米にきちんと謝罪すべきである。謝罪なしで真珠湾に行けることを、なんだか得をしたように計算し、一件落着とすればそれを功績とするような姑息な態度は見せて欲しくない。
と言っても、安倍首相には通じないだろう。この人にとって歴史とは、自分が主役になって拍手喝さいの大団円を迎える安っぽい紙芝居の台本として利用するだけのものようであるのだから。
それよりも、アリゾナ記念館でのオバマ・安倍の2ショットを目にしたアメリカ人たちがどういう反応を示すかが興味ぶかい。75年前の真珠湾奇襲は米国民を団結させ、戦争勝利へ結束させたといわれる。今、大統領選におけるトランプ勝利に見られるようにアメリカ国民は深い亀裂を抱えている。オバマ・安倍の2ショットが再びアメリカ人をもし「Remember Pearl Harbor」で団結させるようなことになったなら、生半可な謝罪より日本は感謝されることになるかもしれない。閑話休題。(161206)
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