2.26板垣雄三講演会覚書(傍聴記)―ナイルの市民決起から始まった「新市民革命」
- 2011年 3月 2日
- 評論・紹介・意見
- 山川哲
2月26日に現代史研究会とちきゅう座の共催で板垣雄三・東京大学名誉教授の講演会「中東は、そして世界は、どこへ行く?―ナイルの市民決起」があり、参加した。明治大学のリバティタワー1階のホールで行われたのであるが、広いホール内はおよそ200人の聴衆の熱気にあふれていた。関係者の話では、この日は特に大学の関係者(教員)やジャーナリトの方々の参加が多かったようである。
ナイルの市民決起は、アメリカでは「1月25日革命」と命名されているようであるが、今やそれは中東全体を包み込む大きなうねり(板垣さんはそれを「新市民革命」と呼んでいる)となってなお一層燃え広がっていることは連日の新聞やテレビ、ラジオなどで報道されている通りである。
しかし、一歩踏み込んで、板垣さんの専門家の識見を借りながらこの革命の意味を考える時、改めて自分の無知と間違った先入見で安易な判断をしていたことに気づかされ、自分の視野の狭窄さにただただ恥じ入るばかりであった。以下、私の理解できた範囲内ではあるが、この中身の濃い講演会で考えたこと、イン・プットしえたこと、などを報告する。(詳細な報告は関係者から改めてされるであろう。)
1.中東の問題は日本の問題である
板垣さんのお話の要点は三点に絞られていたように思う。第一点。日本では中東の問題が他人事として考えられ、それに距離を置き、まるで「批評家」のように語ることで済まされているように思えるが、果たしてそれでよいのだろうか?例えば、「遅れた、貧しく、野蛮なアラブ世界の出来事」とか、「向こうでは独裁者が絶えず現れている」とかの、したり顔でのお話や、「この紛争がサウジアラビアに飛び火したら、石油の供給が止まって我々の生活も困るだろう」といった類の傍観者的発言が相変わらずまかり通っているように思われる。 しかし、少し反省してみればわかることだが、同じ問題は日本にも現にあるのではないだろうか?大量の就職難民の出現、しかも若い人たちがその影響をもろに受けて、将来への展望を失くしていること。年金制度の破たんによって、せっかく払い続けた掛け金すら戻ってこない可能性が指摘され、また生活必需品物価の高騰、消費税増税、医療費の高騰…等々が今後の国民生活を直撃するであろうこと。これらのことは、日本にも、今後同様なことが起こっても不思議ではない状況があるということを意味していないのだろうか?「独裁者は、さすがに日本にはいないではないか?」という反論があるかもしれない。しかし、戦後半世紀以上にわたる「自民党の長期政権」は、諸外国から見ても異常なことであり、これまでも利権の集中、汚職の温床、権力の腐敗などと批判されてきたことは周知の事実である。これはまさに「独裁」以外の何物でもないのではないのか?
この様な反省を加味して考えてみると、中東の問題はまさに我々=私自身の問題として突き付けられてくる。つまり、我々は今、中東に我々の未来像を見ているのではないのだろうか?また、後で触れられることだが、中東に今日問題になっている「国分けシステム」を戦勝国の一員として導入した当事者は、他ならぬ日本であるということも決して忘れてはならないことであろう。
2.「エジプトの2011年革命」の意味
第二点。「今回の中東紛争はチュニジアから、いわばドミノ式に波及したものである」との、一部「専門家」の発言やマスコミの報道があるが、果たしてそうであろうか?板垣さんはこういう考え方を明確に否定する。むしろこの革命は起こるべくして起こったのである。そして、この革命の背景にはイスラエルの建国への批判がある、と。また中東の国々を国単位で考えるべきではなく、どういう関連をもっているのかということを考える必要がある、という。更に、「世界のパレスチナ化」ということを指摘する。
今回のエジプトの「2011年革命」の歴史的経過を板垣さんのお話と資料によって簡単にたどってみたい。
エジプトには外国の支配から自立するための長い戦いの歴史があった。そして、その戦いの歴史、伝統の記憶と感性が「タハリール(解放)広場」に象徴されている。古くは、あのナポレオン・ボナパルトによるエジプトの占領支配に対する抵抗運動。また、1879-82年にかけてのオラービー革命と呼ばれる「自由民権・国権回復」の運動。これはエジプトを軍事占領し、植民地化してモノカルチャー社会にしようとする英仏両国の管理に反対して、アフマド・オラービー大佐が率いた「エジプト人のためのエジプト」を回復しようとした運動である。敗北してセイロン島に流刑されたオラービーを日本人の新島襄(同志社大学の創立者)が訪ねて教えを乞うたこともあり、当時の日本への影響もかなりあったように思える。
更に、1919年3月のエジプト全土を覆う反英民衆蜂起。そしてついに、1956年のスエズ紛争。二度にわたる対英戦争により、英・仏・イスラエル三国の侵略を排除し、スエズ運河の国有化に成功する。その際注目されるべきは、爆撃で破壊されたカイロ放送局が、にもかかわらずダマスクス、シリア、イラク、アルジェリア、イエメンで「カイロ放送局」を名乗る人々によって継承されていたという事実である。これが国を超えたアラブのつながり(ネットワーク)である。
今回の2011年革命の始まりは、決してチュニジアの「ジャスミン革命」に刺激されて突如1月25日に起きたものではない。過去の長い戦いの歴史を受けながら、それにまた新たな要因が加わった結果として起こらざるを得なかったものなのである。
運動を時系列的に整理すれば次のようになる。
先ず、2004年の夏から05年にかけて起こった、「ムバラク・ケファーヤ(もう結構だ)!」という「変革」を求める運動がある。これは5月の憲法国民投票、9月の大統領選挙(この選挙では、エジプトの総投票者数の僅か10%だけの投票が行われ、そのうちの約90% の支持を得たとしてムバラク大統領が再任された。不正選挙である)、また年末の議会選挙を通じて、対イスラエル貿易における「思いやり価格」での輸出問題(イスラエルへの特恵的待遇問題)や、ムバラクの次男ガマールの世襲問題などが明らかになり、「ケファーヤ」と「タグイール(変革)」を求める運動になったのである。
それに続く2008年の4月6日運動、これはエジプト市民運動の柱ともなっているのであるが、それは食糧暴動とマハッラ・クブラーのストライキ支援に発する運動である。また2010年6月にアレクサンドリアで起きたハーリド・サイードの虐殺に抗議する運動と11月の議会選挙をめぐる同様の「ケファーヤ」「タグイール」運動のネットワーク化があげられる。
3.状況的イデオロギーとしての「ムスリム同胞団」
そしてこれらの運動を通じて大衆の民族精神に根差した「ムスリム同胞団」が、状況的イデオロギーとして形成されて きたことが重要である。この状況的イデオロギーとして形成された大衆の精神が、「国際的に支えられるズルム(圧政)」としての「イスラエル=エジプト」接合を問い直し、ムバラクの統治の正統性・合法性を問題にし、社会契約論の歴史における預言者ムハンマドの位置を再確認するなど、これまで強権的に上からお仕着せられてきた「対イスラエル関係の正常化」(在カイロイスラエル大使館警護から、ガザ封鎖加担まで)への批判を喚起するとともに、「米国・イスラエルがエジプト国内に張り巡らす諜報活動網とカオス挑発への警戒心」(宗教紛争へと操縦しようとすることへの批判)を醸成することにつながっていった。
「2011年革命」運動は、当初5000人規模の「ムバラクやめろ!」の運動として始まったようであるが、それがたちまちのうちにタハリール広場100万人集会に膨れ上がる。またアラブ社会に独自のネットワークを通じて、その運動は一気に全国化した結果、ムバラク政権は崩壊を余儀なくされたのである。
板垣さんは、このエジプトの「2011年革命」の持つ意味は非常に大きなものだと言われる。それは、従来米国の対外援助資金の半分がエジプトとイスラエルに投入されていたこと(比率ではイスラエル3:エジプト2)、そのエジプトで革命が起きてムバラク政権が倒壊したことは、中東における米国の力の衰えとイスラエル国家存立の危機が現実化してきたことを如実に示しているからである。この莫大な対外援助資金を巡る政治責任の問題が、次回の米国大統領選挙の焦点の一つになるのは間違いないだろうと指摘する。
またこのエジプトの革命が中東全域にわたって及ぼす影響には、計り知れないものがあるようだ。それは中東諸国の、従ってイスラエルの、国家成立の根幹にかかわる問題だからである。中東諸国体制とは、第一次大戦後の1920年に、イタリアのサンレモで開かれた戦勝国の「サンレモ会議」において、「オスマン帝国・カージャール朝ペルシアの跡地に英・仏・伊・日などが設えた人工的な『国分け』システム」に他ならず、アラブ民族主義は従来から、この「国分け」の克服、国家「統合」、「諸国体制」の編成替え、解体を追求してきたのである。それゆえ、米国の衰退とイスラエル国家の孤立・危機とは、「中東の全ての国家が直面する現在の変革局面の最も注目すべき環境条件であり、かつこの変革が加速してやまぬ事態」であると言える。だからこそ、「この変革は、その普遍的性質から、革命的展開の『場』を(中東全域のみならず、世界的規模で)グローバルに展開する」ことにならざるをえないのである。
もちろん、日本もこのことに無関係・無関心であるわけにはいかない。日本は「サンレモ会議」で中東に人工的な「国分け」を設えた当事者たちの一員である。また米軍基地としての沖縄を抱えていること自体、米欧中心の既成の世界体制の「場」に従属的に組み込まれていることの証であるといえるからだ。
4.「新市民革命」の構想
第三は「新しい市民革命」という点である。既に見てきたように、従来の世界秩序、世界体制が根底から揺らいでいる。新たな「市民革命」が構想されなければならない。それはどのような中身のものとなりうるのであろうか。ここでは板垣さんのレジュメの中からその要点を摘録するだけにとどめたいと思う。
(1)「市民力」という指標
非暴力と市民的不服従。現状への異議申し立て。政治指導者の交代を要求する明確な意思表示。「パン・自由・人間の尊厳」の要求。差異性・等位性・共同性の感覚。ネットワーク・パートナーシップという組織原理(「一即多」)。植民地主義・人種主義・軍国主義・オトコ中心主義への克服的抵抗。など…
(2)新しい「市民革命」の基軸
新しい結集軸としての「市民」は、解放されるべき身分・民族・人種・大衆・マルチテュード・ジェンダーなどの課題を受け継ぎ、引き上げるものとして、その理論は現在我々が目撃している現実から引き出すことができるであろう。
(3)真実の把握
ここでは先駆的なガンディー主義の新たな読みこみ、として市民的不服従、非暴力抵抗の直接行動が強調される。
以上きわめて不完全(不正確)ながら、私なりに板垣さんを通して学んだことをメモ書きにしてみた。単なる知識的な興味や、冷ややかな傍観者的態度ではなく、自分に突きつけられた問題として、これからもこの課題に向き合っていきたいと思う。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0359:110302〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。