富士山インタビュー 日本の真ん中に立つ4000メートル級の観測タワー。それが富士山測候所です
- 2016年 12月 12日
- スタディルーム
- 土器屋由紀子富士山測候所
富士山測候所の現在の正式名称は富士山特別地域気象観測所。
2004年から無人で気象観測が行われています。
いつもはしんと静まり返っているこの施設に人々の声が響くのは夏の2ヵ月間。
多くの研究者がこの施設を使ってさまざまな観測や研究を行っているのです。
それを可能にし、研究をサポートしているのが認定NPO法人の富士山測候所を活用する会です。
会の歴史と活動について語る理事の土器屋由紀子さんの言葉からは、熱い思いが伝わってきました。
写真:山本さちこ/インタビュー・文:木村由理江
富士山頂で気象観測は100年以上前に始まりました
−NPO富士山測候所を活用する会設立の経緯から教えてください。
ご存知のように富士山測候所はもともと気象観測のための施設でした。富士山頂で初めて気象観測が行われたのは19世紀後半、1年を通して富士山頂で気象観測が行われるようになったのは1932年からです。当時、世界一の性能を誇った富士山レーダーが完成した1964年以降は、日本の台風予報の精度は一気に上がって、たくさんの人の命が助けられました。でも1980年代以降は台風観測の主流は人工衛星に移り、1999年に富士山レーダーは廃止され、レーダーが解体された後の2004年には富士山測候所は無人化されてしまった。いずれ富士山測候所も取り壊されるのではないか、という話まであって・・。それで以前から軒を借りて観測をしていた研究者たちが研究施設として利用できないかと考えて、2005年にNPO法人富士山測候所を活用する会を設立したんです。
−測候所では気象観測以外の研究も行われていたんですね。
1940年代から霧氷の化学成分や二酸化炭素の測定などの例がありました。継続して観測が行われるようになったのは1990年代から。降水やオキシダント、オゾンなどの大気化学の観測が行われていました。私も1990年から気象大学校の学生と酸性雨の調査を始めたんですが、この時も建物の一部を借りてサンプラーを置かせてもらっていました。そのうち夏に何日か滞在観測もさせてもらえるようになったので、学生を連れて行って、降水以外に、大気中に漂う目に見えない微粒子のエアロゾルの測定も始めたり。貴重なデータが得られるし、研究の成果も上がっていた時だったので、研究者たちはなんとかしなくては、と思ったんです。
−NPO法人立ち上げの2年後の2007年に研究が始まっています。簡単に借りることができたんですか。
いえ、大変でした(笑)。当時事務局長だった渡辺豊博さん(現専務理事)と一緒に何度も国会議員に会いに行ったり関係の省庁に話をしに行きました。2007年に国有財産の管理に関する法律の改正で、民間の団体が公共施設を借用できるようになって、それを機に、気象庁から測候所の建物の一部を借りて研究ができるようになったんです。期間は夏の2ヵ月間のみ、営利を目的としない公共性の高い研究目的に使用すること、研究活動以外の目的で宿泊してはいけないなど厳しい条件がついています。しかも最初は、建物は貸しても電源は貸さない、という条件だったんですよ。
−それでは借りても意味がないような・・。なぜだったんでしょう?
測候所では今も気象庁による無人の観測が行われていますが、電源はバッテリーでまかなっているんです。送電線は使っていないから、送電線に関する予算はない。仮に電源を貸して壊れても補修ができないから貸せない、と。電気が使えないと精密な観測はできないので、電源に関する一切の経費はこちらでもつから、とお願いしてようやく電源を借りられるようになったんです。でもこの経費が結構大変で(苦笑)。2年目に、風雪の被害で倒れた12本の電柱を復旧しなければいけなかった時には、どうなることかと思いました。他に、ネズミによる配電盤や送電線の被害もあるので、毎年頭を痛めています。
2015年夏には、延べ530人の研究者らによって22テーマの研究が行われました
−富士山頂は観測の場所としても優れているんですね。
大気化学の観測にはものすごくいいですね。大気は地上1000メートルくらいまでは地面の熱や人間の活動の影響を受けるので、地球規模の観測のサンプルを採取しようとするとさらに上空まで飛行機や気球を飛ばすしかない。お金もかかるし、天候にも左右されます。しかも1カ所にとどまっていられないから、定点での観測はできない。それを補完するために高山での観測や研究も進められているんですが、いくら高くても連山やずんぐりした山だと地面の影響が残ってしまう。でも富士山は3776メートルの独立峰で形がスマートですから、富士山頂はいつもきれいで自然な大気に包まれているわけです。山頂は4000メートルに近いので、大気に乗って遠く大陸から運ばれてきたものもつかまえることができる。富士山は日本の真ん中に立つ4000メートル級の観測タワーのようなものですね(笑)。
−夏の2ヵ月間に、どれくらいの人が山頂で研究を行っているんですか。
最初の年には延べ212人の研究者によって9テーマの研究が行なわれました。せっかくNPO が管理運営するなら今まで利用できなかった研究分野にも測候所設備を開放しようということで、2年目からは研究の一般公募もしています。科学的見地と安全性の見地から審査し、研究を決めていますが、年々、テーマも参加者も増えています。9回目となった去年2015年には、延べ530人の研究者らによって、22テーマの研究が行われました。
−どんな研究がされているのでしょう。
日本一の高さという立地条件を生かした学術的な研究や、実験、耐久試験、教育などさまざまです。具体的には、大気に含まれるPM2.5や水銀などの微量成分の観測を行ったり、雲をつかまえて微粒子の変化を調べたり、宇宙から飛んでくる放射線=宇宙線を計測したり、永久凍土について調べたり、高山病メカニズムを調べたり、雷の研究をしたり、中高生向けの科学実験教材の開発なども行われています。
−昨年、NHKの『ブラタモリ』でタモリさんが富士山測候所を訪れた時には、宇宙に雷が放電している写真が紹介されていましたね。
夏の雷は地上から4000メートル以上のところで発生しますし、富士山頂も雷雲に取り囲まれることがあるので、雷の放電を間近で観測できるんです。スプライトと呼ばれるあの現象はなかなか観測できないようで、その様子をカラー撮影したグループの学生たちは、日本大気電気学会で発表して受賞しています。他にも、雲の研究をしている学生やエアロゾルの研究をしている学生たちも、国際会議や学会などでたくさん受賞しています。学生の受賞が多いことは、私たちの活動の成果でもあるし、何より嬉しいですね。営利を目的としない研究でないといけないので、ここで行われている研究は今すぐみなさんの生活に役立つものではないかもしれませんが、いずれ何らかの形で社会に貢献できる研究ばかりです。
富士山測候所を2ヵ月管理運営するためにかかる経費は2500万円以上
−測候所の管理運営の資金はどうされているんですか。
補助金など公的な援助が一切ありませんし、研究者が中心のNPOなので、三井物産環境基金を中心に、新技術振興渡辺記念会や寄附金付年賀はがきや寄附金付年賀切手による年賀寄附金などの民間の助成金に頼っています。私たちのNPOのミッションは、測候所を利用する研究者たちに研究環境を提供し、研究に必要な荷物の運搬や補給、安全性の確保、研究を補助することで、毎年、測候所を約50日間管理運営し、さらに研究活動をサポートするには年間3000万から3500万の経費がかかります。1973年に建てられた時には“100年は大丈夫”と言われた建物も老朽化が激しく、維持修理には毎年、かなり経費がかかります。全ての維持費をこちらがもつという条件で気象庁から借りていますが、NPOだけで負担することはすでに限界かな、と。去年からクラウドファウンディングも始めたんですが、あまり宣伝が上手ではないのでなかなお金が集まらないんですよ(苦笑)。
−研究者の安全を確保するためにとくに留意されていることがあるそうですね。
山頂には山のプロが常時3人態勢でつめています。3人というのは安全を考えた時の最低の単位です。万が一誰かを下山させる時には2人で運び、1人が残れますからね。研究者のほとんどは山に関しては素人で、どうしても3人に1人の割合で高山病になってしまいます。症状はいろいろですし、寝かせたり薬を飲ませて治る軽い症状だけではなくて、命に関わる症状の時もある。それを見極めて、適切な処置をし、時には医師に指示を仰ぐ。その判断ができるのは山のプロだけ。あと、雷雲が近づいている時には落雷の被害がないように、送電線を切って自家発電に切り替えたり。おかげで、今まで事故なくやってこられているんだと思います。
−土器屋さんが初めて富士山に登ったのはいつですか。
山を歩くのは好きで、学生時代に富士山を見ようと南アルプスに登ったことがありましたけど、富士山に登ろうと思ったことはなくて。最初に富士山に登ったのは、降水の研究で登ることになった1990年でした。1度だけのつもりだったのに、結局それから17年間、学生たちを連れて富士山に登りました(笑)。山頂から見る景色は素晴らしいですけど、学生たちと一緒だとゆっくり楽しむ余裕はあまりないですね。今はもう登ることはありませんが、夏の間、基地として借りる御殿場のアパートには毎年行っています。去年も10日以上行きました。研究者たちを送り出したり迎えたり、山頂への物品の運搬、緊急時の連絡など、支援が欠かせないんです。
−今後についてはどのようにお考えですか。
今、気象庁との契約は3期目に入っていて、2018年まで毎夏、借りられることになっています。それまでの研究が無事に行われて、その後も研究を続けられたらいいなと思っています。研究グループの中には学生も多くて、彼らは富士山頂という過酷な環境の中、自分たちで機器を設置し、泊まり込み、データを取り、その中で最先端の研究をする研究者と間近で会話し、同世代の学生同士や別の分野の研究者と交流することですごく成長するし、本当にたくましくなるんです。こういう貴重な研究の場は絶対に維持し続けたいですね。3月13日(日)13時から本郷にある東京大学理学部の小柴ホールで、去年の夏の研究成果を発表する報告会を開催します。参加費は無料ですので、いらしていいただけると嬉しいです。
土器屋由紀子
どきやゆきこ
東京生まれ関西育ち 神戸女学院高等学部卒業後、東京大学へ。1962年に東京大学農学部農芸化学科卒業、76年に農学博士号を取得。78年、米国商務省標準局客員研究員になり渡米。79年に帰国し、気象庁気象研究所地球化学研究部主任研究官に。86年からは気象庁気象大学校教授、1997年から東京農工大学農学部教授、定年後の02年から江戸川大学社会学部教授を務めた。NPO法人富士山測候所を活用する会の設立に奔走し、現在、理事として広報を担当。
認定NPO法人富士山測候所を活用する会公式サイト http://npo.fuji3776.net
初出:「土器屋由紀子ブログ」より許可を得て転載
https://www.mtfuji.or.jp/thought/interview/vol16
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study801:161212〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。