予断を許さない「トランプVS中国」の対立 ―2つの大陸文明の衝突か
- 2016年 12月 15日
- 時代をみる
- トランプ中国田畑光永
新・管見中国(20)
今月2日に台湾の蔡英文総統がかけた当選祝いの電話をアメリカのトランプ次期大統領が受けたばかりか、蔡氏を「台湾総統」と呼んだことに中国が反発した一件は、直後にトランプ側が次期駐中国大使に習近平の「古い友人」、アイオア州のテリー・ブランスタッド知事を指名したことで、とりあえず収まるかと見えたのもつかの間、トランプ氏が今度は11日放送の米FOXテレビのインタビューで「一つの中国」という対中国政策の基本に疑念を呈したことで、再び緊張が高まっている。
実際に大統領に就任して、具体的な政策課題で中国との駆け引きが必要になったのならともかく、就任前から特定の外国との関係をことさらに緊張させるというのは常識では考えられない行動であり、それをトランプという人物の無知、浅慮のなせるわざと嗤うのは簡単だが、私にはそれだけですむ問題とは思えなくなってきた。その背後には両国の国家統治というものに対する基本的な考え方の相違が存在するのではないか、とすれば、問題の根は深いという以上に、かつての東西冷戦の再来のような事態も予想されるのではないか、との不安を感じている。
まずFOXテレビでのトランプ発言を聞いてみようー
「私は完全に『一つの中国』政策を理解している」
「貿易関係などで(中国と)合意を得られなければ、なぜ『一つの中国』政策に縛られないといけないのか」
そして「一つの中国」政策を維持するかどうかを見極める具体的な政策として「中国の通貨政策」や、「南シナ海での海洋進出」、「北朝鮮の問題での対処」を挙げ、また2日の蔡氏との電話については―
「聞かされたのは1、2時間前だ。会話は短時間で、お祝いを受けた。電話を取らないのは失礼だ」
ここでのトランプ発言で分かることは、彼は「一つの中国」を知らないのではないと言うが、それを中国の「政策」として理解しているということである。政策ならばほかの問題でこちらの言い分を相手が聞けば、こちらも相手の政策を尊重することができる。だから彼は「中国の通貨政策」や「南シナ海」、「北朝鮮」をその代価として挙げ、それで中国が譲るなら、米も台湾との付き合いでは「総統とは呼ばない」、「電話に出ない」といった不自由に耐えよう、と言う。米国の原則ではその通りであろう。
ところが中国にとっては、台湾は「政策」ではない。台湾をどう扱うかは、政権にとっての死活にかかわる問題なのである。中国は台湾を「核心的利益」であるとする。ここで言う「核心的利益」とは、相手との交渉でやり取りできる「政策」ではない。「政策」を越えた大原則である。
そんなことは中国の勝手な言い分だというなら、その通りである。しかし、台湾を中国とは別物と認めることは、中国にとって政権の基礎を揺るがすほどの大事なのである。中國の「核心的利益」は台湾だけではない。新疆ウイグル自治区もチベット自治区も南シナ海もそうである。一目で分かることは北京や上海ではなくて、いずれも辺境である。
それはユーラシア大陸のヒマラヤ山脈から北に広がる広大な大地における政権というものの在り方にかかわる。その大地の東端の朝鮮半島と東南端のインドシナ半島を別にすると、現在、そこには中華人民共和国、モンゴル国、ロシア連邦が存在する。つまり3つの政権が存在する。
しかし、この形ができてからまだ100年も経っていない。それ以前の長い歴史においてはこの大地には幾多の政権が生まれ、興亡を繰り返してきた。そしてそれぞれの版図は政権の権力の伸縮にともなって伸縮した。現在、中国と呼ばれる大地では殷、周から始まって現政権まで、史書の見出しに登場する政権だけでも10は下らない政権が覇を争ってきた。「中国」という単語は現在、たまたま国名の略称として使われているが、ちょっと長い目で見れば、数々の政権が入れ替わり立ち替わり興亡のドラマを演じてきた舞台の名前と理解したほうが実際と合致する。
第二次大戦に引き続いて約3年に及ぶ内戦を戦い抜いて、中國共産党が中華人民共和国を大陸に打ち立てた時には、当時、広まっていた唯物史観の影響もあって、「中国」の長い興亡の歴史もついに大団円を迎えたか、と思われたものであった。これで中国は現代国家として、それも歴史の最終段階、共産主義社会を目指す社会主義国家として、生まれ変わったと。
それから70年弱、政権は「中国の特色を持つ社会主義」と自らを規定して、本来の社会主義と決別し、歴史上の幾多の政権と同じく強権によって統治を維持すること自体を最大の目標とする権力に変質した。とくに2010年代に入ってから、それは皮肉にも中国がGDP総額で世界第2位の地位についたのと平行するが、それまでの外形的な発展モデルが行き詰まり、政権の威信が大きく揺らぎ始め、今や政権維持に危機感をいだくようになった。
問題の台湾も国民党が政権を握っていた時代には「一つの中国」の建前に実質がともないそうなところにまで近づいたが、本年、民進党の蔡英文政権が誕生してからは逆に分離傾向が強まって、北京政権を焦らせている。さらに足元の香港にまで「本土派」と称する分離傾向の強い政治勢力が生まれるなど、歴史の比喩を借りれば、「桐一葉落ちて天下の秋を知る」といった昨今の雰囲気である。
外部から見れば、中國の政権も国内の民主化を進めると同時に、台湾、香港はもとより、ウイグルにしろ、チベットにしろ、もっとそれぞれの自主性を尊重し、自主権を認めて、束縛の手を緩めれば、分離傾向も弱まり、中央政権の威信も高まって、却って統一に有利ではないか、とも思える。
しかし、私見によれば、それはユーラシア大陸には通用しない。そこの大地はあまりにも広く、いくら一政権が人為的な国境で区切っても、それで区域内の合意を得ることは不可能と思われるからである。ウイグル族やチベット族を「中国」という壁の中に閉じ込めて、その中の多数決で決めた指導者に服従せよと迫っても、ウイグルやチベットにすれば自分たちが多数派になるはずのない境界線の中にとどまる理由はない。締め付ける力が弱まれば、それを突き破って自分たちの権力を打ち立てようとするのは、それこそ歴史の法則である。そしてそれを阻止できなければ、それが中央政権衰亡の一歩となるのも歴史の法則である。だから「核心的利益」なのである。
一方の米国はどうか。私は門外漢であるが、先住民はべつとして、ヨーロッパの各地から集まった移民たちが相互の矛盾を解決しながら共存してゆくためには、数による民主主義が一番好都合であったろう。そして豊かさ、利潤を第一の価値基準とする資本主義が誰にとっても住み心地のよい制度であったろう(もっとも最近は少し様子が変わったかもしれないが)。
そこから眺めればユーラシア大陸は不合理な強権の巣窟である。それを米国流の価値基準に従わせようとするには無理がある。長くCIAで中国を観察していたマイケル・ピルズベリーは彼らが抱いていた「中国は、私たちと同じような考え方の指導者が導いている。脆弱な中国を助けてやれば、中国はやがて民主的で平和的な大国となる」という仮説は、「すべて危険なまでに間違っていた」と言い、それは「中国のタカ派の影響力を過小評価していた」からだと言う。(同『CHINA 2049』野中香方子訳・日経BP社・2015年・13頁)
私に言わせれば、タカ派・ハト派の問題ではなく、中國という舞台で繰り広げられる政権興亡のドラマにはルールに基づく平和的政権交代という筋書きは成立しないのである。衰亡に向かう政権はあらゆる手段で自らを延命しようとし、反対勢力は力づくで現政権を倒そうとする。習近平政権が誰はばかることなく進めている、いささかでも反政府的要素を含む言論や社会活動に対する苛酷な弾圧はそれを裏付ける。毛沢東が言った「政権は銃口から生まれる」はあの大地の一般法則なのである。
それがいよいよあらわになったところへ素人大統領がいわば「米国原理主義」で中国に取り組もうとしているのが現状である。次期国務長官に内定したレックス・ティラーソン氏はロシアのプーチンとの親交をかわれたという話だが、石油メジャーのエクソン・モービルのCEOだというし、財務長官と国家経済委の委員長はともに投資銀行のゴールドマン・サックスの出身である。一方では国防長官以外にも軍出身者が多い。果たしてどうなるのか。
中国外交部の耿爽副報道局長の12日の記者会見によれば、中国外交の実務最高責任者である楊潔篪国務委員が近く渡米して、政権移行チームのメンバーで安全保障担当補佐官に内定しているフリン元国家情報局長らと中米関係その他の重要問題で意見交換するとのことだから、これが中国政権とトランプ体制との最初の出会いとなる。(161213)
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