安倍とオバマの「真珠湾」 ― 2016年の「敗戦」に思うこと ―
- 2016年 12月 24日
- 時代をみる
- 半澤健市安倍日米関係
2016年5月の、原爆投下への謝罪なきバラク・オバマ米大統領の広島訪問。それへの答礼たる、安倍晋三首相の同年12月の真珠湾訪問。この首脳外交は、戦後の日米関係=日本の対米隷従を、見事に表現する事件である。いまから数日後に、安倍とオバマは、真珠湾に浮かぶ米戦艦の戦争記念館で「慰霊」「和解」「平和」「同盟」という美辞麗句のエールを交換するであろう。
私は、なぜ、安倍の真珠湾訪問が対米隷従を表現しているというのか。
結論からいうと、安倍の行為は、「真珠湾の騙し討ちVS犠牲者を極小化する原爆投下」という、米国が発明した「対称性」のプロパガンダを、受け入れることになるからである。
その容認はなぜいけないのか。その理由を述べる。
細かいことを言うが「大東亜戦争」は、帝国海軍の真珠湾攻撃で始まったのではない。
第一次攻撃隊が真珠湾から「トラトラトラ(我奇襲ニ成功セリ)」を打電する約1時間50分前に、帝国陸軍は英領マレー半島のコタバルへの強行上陸を開始していた。
なるほど、対米開戦の最後通告は、日本側の事情―その内容にも諸説あるが―によって米政府への手交は遅れた。しかし、当時のワシントンDCでの日米交渉の緊迫度、米国による日本側暗号の解読などを考慮すれば、日本軍の事前通告なき奇襲に100%の責任を求めるのは、軍事・外交のリアリズムからみて公平でない。米国側の防衛体制の欠落も十分な指摘に値する。現に現地防衛軍の上層部は責任をとらされた。
その上、原爆投下との対照でいえば、真珠湾での攻撃目標は軍事施設に限定されていた。原爆は多数の無辜の民を残忍な手段で死傷させた。「東京裁判」では、「真珠湾攻撃」は戦争犯罪と認定されていない。原爆投下の犯罪性については、本欄にこの夏に書いたから繰り返さない。日本政府は原爆投下に対して直後に強い抗議を米国に発している。
広島におけるオバマ演説は、原爆投下の主体を米国とせず人類とした欺瞞であった。オバマが凡庸な政治家というつもりはない。しかし、結局は米国の帝国主義的な政策を、弁護士的饒舌で正当化する政治家である。これが私の判断である。
オバマ訪広への「返礼」としての、安倍晋三の真珠湾訪問と犠牲者慰霊は、米国による「真珠湾VS原爆投下」を等価とする図式を受容するものである。相互慰霊でその等価は帳消しにされる。安倍政権は、米国のプロパガンダに乗ぜられたのである。
「戦後レジームからの脱却」によって「美しい日本」、「強い日本」をつくるという安倍晋三の目論見は、米国発明の「対称図式」を認めることで、出口なき「戦後レジームの完成」に帰結することになった。「戦後レジーム」は、何より1960年以降、日米地位協定(当時は行政協定)に指一本手がつけられない関係に端的に表れている。墜落したオスプレイに触れることもできない。日本政府は駐留米軍の発表をそのまま受け入れるだけで抗議すらできない。メディアには墜落を不時着と言わせている。大本営発表と同じである。
属国、植民地とどこが違うか。
しかし安倍の真珠湾外交は、再び政権と自民党の支持率を上昇させるかも知れない。
2012年に発足した第二次安倍内閣の政策は、失敗したアベノミクス、制御不能な福島第一原発、集団的自衛権行使容認を含む好戦法案、その実践である南スーダンでの駆け付け警護、武器輸出の解禁、原発の途上国への輸出、思考停止的なTPPへの突進、カジノ亡国法案、天皇譲位の限定的立法、大統領に手玉に取られた対露外交、防諜法の再提出意向、と続いている。政策の失敗、悪法の量産、戦争の道への急速な傾斜、が切れ目なく続いている。
これだけ悪法と戦争へのカーペットを敷いている政権を、去勢されたメディアを信用し、鬱屈した情念を仮想敵国への嫌悪に変えて、人々は安倍政権を支持している。逆さのベクトルに気がつかない、多くの優しい日本人は、お笑い芸人とズワイ蟹のテレビ番組を見ながら越年するのであろう。この国は、なかなかに難しい環境下で、年を越そうとしている。(2016/12/20)
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