セルビアの平和――兵士労組抗議集会と旅客機爆破テロ生き残りの葬儀
- 2016年 12月 28日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
2016年12月12日に予告されていたセルビア軍兵士労組とセルビア警察官労組の第2回抗議集会が、政府庁舎の前で実施された。両労組のトップが演説した。彼等は、ヴゥチチ首相の発言「親方諸君、毎日でも抗議しなさい。ない袖は振れない。」に相当刺戟されていた。2000人が集まった。一般市民も好意的で、子供連れで連帯を示しに来た者もいる、と言う。(『ポリティカ』2016.12.12)
このニュースについてネットで調べていると、偶然だが、ある「伝説的スチュワデス」ヴェスナ・ヴゥロヴィチ(67歳)の葬儀のニュースに出会った(12月27日)。何故「伝説的」かと言うと、航空機事故で1万メートル上空から落下して、奇跡的に生き残ったたった一人の女性だったからだ。現在のベオグラード市民は多分知っていないだろうが、あれは単なる事故ではなくて、テロ事件であった。
1972年1月26日、コペンハーゲンからザグレブ(クロアチア共和国の首都)へ飛ぶJat(ユーゴスラヴィア航空)機がチェコ上空で爆破された。機体の右側におかれた爆弾によってだ。ウスタシ系の組織「クロアチア民族抵抗」のトップ、スチェパン・ビランジチ等8人がテロ実行犯として逮捕され、ケルン地裁は、ユーゴスラヴィアへの引渡しを決定していた。しかしながら、1978年9月13日、西ドイツ政府は、引渡しを中止して、彼等を釈放した。彼等は、スペインへ、そして南米のパラグワイへ向った。
何故、そんなことが出来たのか。それは、アメリカが関与するGladio作戦の故である。2005年になって、スイスの歴史家 ダニイェル・ガンサー(チューリヒ安全保障研究センター)が「NATO秘密軍:Gladio作戦と西欧のテロリズム」を発表し、そこにこの一件も分析されていると言う。以上は、Rušenje aviona Jat:B.Subarić 25.1.2010のグーグル検索による。
こんな事件が冷戦的平和共存の時代に連鎖し、やがて1990年代の旧ユーゴスラヴィア多民族戦争、そして、クロアチア等の独立、ユーゴスラヴィア連邦国家の解体に至る。そして、NATOによるセルビア大空襲。
そんなことを想いうかべると、ヴェスナさんの葬儀がニュースとなり、兵士組合の抗議集会がニュースとなるセルビアのこの時間は、平和の一瞬なのかも知れない
平成28年12月27日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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