ヘーゲル学への好適な入門書
- 2017年 1月 8日
- 評論・紹介・意見
- 合澤清
書評:滝口清栄著『ヘーゲル哲学入門』(社会評論社2016.9.25刊)1800円+税
この著書はなぜ『入門』と名付けられているのか。それに対する著者の回答は、「ヘーゲルの伝記にかかわる紹介を、出来るだけ多く挿入し」、「市民としての、また生活者としてのヘーゲルの顔が分かる」ようにしたこと(「はじめに」)にある。
なるほど、この書物のなかでは、各所にヘーゲルに関連する逸話(anecdote)が挿入されている。それが、ともすれば難解で、堅苦しくなりがちなヘーゲル学を楽しいものにみせる役割を果たしている。
実際には、逸話(アネクドート)の役割はそれだけに尽きるものではなさそうで、この書が、ヘーゲルの少年時代、学生時代、青年時代、壮年時代、老年時代へと、年代を忠実に辿りながら、順序良く丁寧にその時代状況を説明し、それと絡ませながら主要な著書、講義を紹介し、解読していく、形成史的なやり方をとっている点にも大いに関連しているのである。
かつて大佛次郎は、大著『パリ燃ゆ』の「あとがき」で、「アネクドート以外に、一体正しい歴史があり得ようか」と書いた。この意味で、この本は「ヘーゲルの伝記」(「ヘーゲル入門」)ともとれるのである。
さて、著者の滝口清栄は、長年にわたるヘーゲル研究者として多くの翻訳書、研究論文を世に問うてきた第一級の学者である。彼の目下の関心はヘーゲルの『法哲学』研究にある【因みに彼のドクター論文は『ヘーゲル『法(権利)の哲学』形成と展開』(御茶の水書房2007刊)である】とはいえ、彼のこれまでの研究実績から鑑みて、この種のヘーゲル学の書き手としてはこれ以上にない、最適な論者であることは間違いない。
しかし、この書の「あとがき」で滝口自身が正直に述べているように、出版社の要望で、「ヘーゲル入門」ではなくて「ヘーゲル哲学入門」を書かねばならなくなったという戸惑いが、やはりその内容にも現れざるを得なかったようだ。それは、この書が入門書として網羅的にヘーゲルの哲学思想を取り上げ、鳥瞰する構えをとっているにもかかわらず、いくつかの議論が抜け落ちている点(例えば、自然哲学や美学に関するもの)に見られる。しかし、その分著者自身の問題関心が今日のヘーゲル学の最前線に絡めて、詳細に扱われているという利点にも繋がっている。
例えば『法哲学』に関して、なかでも時に問題視されることの多いヘーゲルの「立憲君主制」論について、フランスの思想家コンスタンやシャトーブリアンからの影響に触れながら、それらの思想が「現実主義者」ヘーゲルの思想形成のライトモチーフ(Leitmotiv)をなしているという著者の研究成果の表明は大いに注目されるべき個所である。
もう一つこの著書の中で止目されるべき重要な論点がある。ヘーゲルが「国家廃棄論者」であって、巷に広く流布してきたような「国家主義哲学者」ではなかったという指摘である。
この点については、あの犀利なベルトルト・ブレヒトですら「彼(ヘーゲル)は見たところ運が悪く、プロイセンに雇われてしまい、国家に身を売ってしまったのだ。…」(『亡命者の対話』)と書いているほどである。国家主義哲学者で「プロイセンの御用学者」というのが従来ヘーゲルに貼られたレッテルであった。
もちろん、滝口のこの書はあくまでも「入門書」であるため、この点に関してもさわりをさっと撫でる程度で済ませている。しかし、ヘーゲルが現存する「国家」を実在する「悟性国家」(外的・強制的な共同体)とみなし、そこからさらに「理性的な共同体」へと展開されるべきものとして描き出していることを知るとき、大いにわれわれの問題意識は刺激されるのである。
最後に、この本についての私の印象を大まかに述べる。やはり、ヘーゲルの「哲学入門」という「哲学」に重点を置くか、それともあくまで「ヘーゲルの入門」というところに比重を置くかで、著者は最後まで悩んでいたように思える。それ故、最初に述べたように、アネクドータは大変面白く、親しみやすいのであるが、肝心のヘーゲル自身から引用された章句(略述された内容)は、読みこなすのにかなり骨が折れる。あるいは、これを手がかりにして本格的にヘーゲル自身の書物にあたる以外に手がないのかもしれない。ヘーゲルはやさしくはない、しかし、大いに問題を喚起される哲学者である。そういう意味での「ヘーゲル哲学入門書」である。滝口は、それを最初から意図して書いたのかもしれない。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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