40年で中国は進歩したか(二)
- 2017年 1月 16日
- 交流の広場
- 金剛力士
(出所)【 民主中国 】 時間: 12/17/2016
人権の日の米国大使の言葉について(二)
作者: 高智晟(弁護士)
しかし我々は偉大な米国の価値に対する敬意について動揺したことは無く、偉大で尊敬できる米国人民の信念に対して動揺したことも無い。それは我々のお手本であり信念の在りかである。米国の良識は国会にあり、それは米国文明の命運を保障する雄大な基礎であり、まさに外部の人々が米国文明の未来に対する信念を高く持ち上げているところでもある。
レーガン大統領ののち、徐々ににわか成金になっていった中国共産党を相手にする米国の政商たちは骨が柔らかくなり、人間性は緩み、二つの逆方向の変化の傾向はますます余すところなく暴露され、ついに今日の下劣な顔と奴隷の声に陥っている。これは今日の世界の衆目が認めるところである。我々が永遠に忘れることが出来ないのは、1991年、天地が恐れ驚いた天安門大虐殺後の全国的な暴虐と鎮圧が進展している中、米国の大統領特使はあたふたとやって来て下手人に向かって媚び諂いの笑みを捧げ、親族を失くして耐え難い悲痛な中で圧迫されている殉難者や身内の者たちに対してではなく彼らは下手人たちに対して慰撫を行ったのである。こののちの27年間、台湾に非常に高い価格で武器を売った間は骨があったが、米国は中国共産党のテロ組織の「いい友達」、「いいパートナー」、「建設的な戦略パートナー関係」とか、「新しい大国関係」とかとなり、すっかり悪魔と共に舞う不名誉と危険を忘れてしまっている。血の付いた利益の山分け、これはすべてこれらの目を眩ませる弁解の背後にある原因と結果である。中国共産党のテロ組織の普遍的で血生臭い人権ぁw)\虐する現実に対して、米国は永遠に天の道理、人道のために骨のある言葉を吐く力を喪失しているが、賛辞を捧げる機会は決して見逃さない。人権の日の声明文でも例外ではない。しかしあれらの賛辞は中国の実際の状況とは遥かに遠くかけ離れている事実に憚る様子は見えない。
大使の「私は自分の目で中国の劇的な経済の変化を目撃した」の言が例ではあるが、私は大使には一つの表象が見えたに過ぎないと思う。
あなた達は中国を知らない、または知りたくないと思っている。しかし道理から言って自由経済の内実、自由で公平な取引の環境、成熟した所有権の保護制度は市場経済の最も重要な命綱であり、土地の所有権及びその回転の制度は前の二つの命の活力を構成する前提であり、それを知っているとすれば、今日の中国大使の目に見えたのは何なのだろうか?
所有権は主体が異なるだけで、所有権自体は如何なる差異もなく、これは全人類にとって完全に普遍的な意義を持つ共通認識である。中国共産党は三つの異なる性格の所有制を規定した。即ち国家、集団及び私人の所有権である。実際は主体の違いによって所有権の保護が賦与されるが現状は大きな違いがある。中国共産党が政権を奪取した最初の30年間、中国は形式上或いは実質的にも国有の所有権の一種しか残さず、私有財産を略奪し、「私有制の消滅」はその当時の公開のスローガン及び行為であった。そして所謂改革開放後、名義上、中国共産党は集団及び私人の所有権の保護を開始したが、その強盗の本質は集団及び私人所有の財産保護に対して偽りの見せかけを決定づけた。
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