経済学の貧困と「経済学者」の劣化(1) - 政府の債務ゼロを主張するアベノヨイショの御仁たち
- 2017年 1月 17日
- スタディルーム
- 盛田常夫経済学
三文「評論家」の三百代言
テレビや雑誌にちょくちょく顔を出す「経済評論家」のなかで、最近になって、三百代言的詭弁を弄する論者が増えてきた。その代表的な詭弁が、「国民1人当たり800万円の借金を抱えているという言い方は、増税を狙う財務省のあくどい宣伝だ。国民は政府に対する債権を保有しているのであって借金を背負っているのではない。だから、国民が巨額の借金を背負っているという言い方は間違いだ」、「政府債務が国内消化されている限り、財政破綻はありえない」、「日本の財政は世界一健全」という財政赤字を積極的に擁護する議論である。その最たるものが、「日本の財政は実質借金ゼロ」(「マネーポスト」2017年新春号、森永卓郎)という三百代言だ。
政府部門の累積債務(1000兆円)から資産価額(およそ560兆円)を差し引くと、純債務が440兆円になる。他方で、日銀が保有している国債が400兆円あり、これは政府部門にたいする債権だから、それを相殺すると、政府部門の債務は40兆円程度になり、ほとんどゼロに近く、日本に政府の累積債務問題は存在しない。これが森永氏の議論である。
「国の徴税権を資産と考え、1年25兆円の徴税権を30年分資産に計上」すれば、実質債務は消滅すると主張する高橋洋一氏の議論も、これと似たり寄ったりのアベノヨイショ論である。
これが本当ならこれほど目出度いことはない。こういう手品ができるなら、もっと政府が国債を発行して、日銀に買ってもらえば、年金を減らす必要はないし、健保の自己負担ゼロも実現可能だ。毎年、財政不足分など気にせず、国債をばんばん発行して、日銀に買ってもらえば、政府債務がなくなるどころが、純資産すら生まれることになり、日本経済は万々歳だ。日銀引受けの国債はヘリコプターマネーというより、まさに打ち出の小槌だ。
こういう三文「評論家」が全国各地で、商工会やら企業やらの講演を行っている。講演料は1時間当たり100万円を下らない。こんな三百代言の評論家に、とても少額とは言えない謝礼を払うのは溝(どぶ)にお金を捨てるようなものだ。アベノミクスなどという経済政策イデオロギーが幅を効かせるようになってから、この種の三文「評論家」が多くなった。一昔前なら、恥ずかしくて言えなかった無知を、臆面もなく披露するのだから恐れ入る。それもこれも、「アベノミクス」というイカサマの経済政策イデオロギーが蔓延しているからだ。
経済評論家を自称する三文評論家を講演に呼んで、多額の講演料を支払うのは詐欺師に金を取られるようなものだ。年寄りがどうして振り込め詐欺に引っかかるのだろうと不思議に思う暇があったら、経済講談師に騙されないように気を付けた方がよい。
政府の債務は帳消しになる?
政府セクター内の一般政府と中央銀行との国債売買の貸借関係は、政府の負債を中央銀行に移したことを反映しているだけだ。この貸借関係が解消されるのは、政府が国債を完全償還した場合のみで、それができない限り、一般政府と日銀の貸借関係が相殺されることはない。もちろん、徳政令で国債の元本不払いを実行すれば、家計・企業を含めた国債保有主体との貸借関係は相殺される。
森永某氏は独立した経済主体の貸借関係と、国民経済計算上の貸借関係の区別が分かっていないようだ。政府は家計や企業から税を取得し、それを再分配する機能を果たしている。政府は所得再分配に不足する資金を短期・長期の国債で調達するが、その不足分はいずれ将来の税収で埋められなければならない。つまり、赤字支出分は将来の税収の前倒し消費である。政府セクター内で政府の赤字分がどのように記帳されようとも、政府の財政赤字が家計と企業からの税収の前借りであるという事実が消えることはない。累積赤字が大きくなれば、それだけ将来世代の各種の再分配給付が減るだけだ。だから、目先の利益だけを考えた財政赤字の垂れ流しは許されないのだ。
日銀は最終的な貸し手であるが、付加価値を生み出す事業主体ではなく、金融機能を担う経済主体である。日銀は国債を購入することで実質的に政府債務の管理を行うが、日銀が富(価値)を創造して、政府の借金を穴埋めしているわけではない。日銀が国債を購入することによって、政府の債務が日銀の債権という形で、日銀バランスに記帳されただけである。この債務-債権は帳簿管理の仕分けに過ぎず、相互に相殺される性格のものではない。本社の債務を子会社に移し、子会社の債権と本社の債務を相殺して、本社の債務をチャラにするなどできないと同じである。
国債を保有している家計(個人)は政府の債務に対する債権を保有しているが、国債償還が難しい事態に陥れば、国債は紙くずになる。もっとも、現在行われている量的金融緩和政策で、政府が発行する国債のほとんどを日銀が購入しているから、家計(個人)が巨額の政府債権を持っているわけではないが、日銀が溜め込んだ国債を市場に売却せざるを得ない事態が生じれば、国債は暴落し、日銀=政府は巨額の損失を抱えることになろう。だから、金融緩和策を止めた後の出口戦略が非常に難しくなっている。政府債務の問題が顕在化するのは、まさに金融緩和策から引き締め策に移行する後である。
政府資産をどのように膨らませても、国債という政府累積債務が家計と企業からの税収の前借りであり、それが1000兆円存在するという事実に何の変りもない。政府のバランスシートの資産側をいろいろ工夫して、資産を大きく見せかけようとしても、1000兆円という負債が消えるわけではない。消えると思うのは、森永氏や高橋氏の頭の中だけである。
政府債務問題が何時顕在化しようと、赤字国債が将来の税収の前取りである限り、誰が国債を保有していようが、最終的に納税者がその付けを払うことに変わりはない。しかも、益を受けるのは現在の納税者、負担するのは将来の納税者だから、負担の世代間不公平が存在する。累積赤字が増えれば増えるほど、その不公平が大きくなる。だから、ヘリコプターからお金をばら撒くように、日銀が政府の国債をばんばん買い取り、政府の財政赤字を埋めることは許されないのだ。
国債による財政赤字の資金繰りが難しくなれば、国債暴落とインフレ高騰によって貨幣が減価し、政府債務は事実上帳消しになる結末が待っている。政府内の帳簿上の貸借関係を相殺すれば政府債務がなくなるという森永某氏は、まさに脳天気状態にある。
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