経済学の貧困と経済学者の劣化(3) - 労働力人口は成長の決定要因ではないのか―吉川洋著『人口と日本経済』を質す
- 2017年 1月 24日
- スタディルーム
- 吉川洋盛田常夫経済学
アベノヨイショの「エコノミスト」に共通するのは、政府の累積債務問題と将来の労働力人口減少問題を徹底的に軽視する姿勢である。なぜなら、アベノミクスは、「高い経済成長を復活させることによって、日本経済は再び黄金時代を迎えることができ、そこでは経済成長による税収増によって政府債務問題が解決され、生産性の向上によって労働力人口減少が解決される」という根拠のない楽観論を前提にしているからである。この楽観的希望がアベノミクス・イデオロギーを形成している。逆に言えば、高度成長が達成されず、労働力人口の減少を埋め合わせるほどの生産性の向上が得られなければ、アベノミクスは日本の経済社会に負のレガシーをもたらすだけのものになる。
労働力人口は成長の決定要因ではない?
最近、アベノミクス・イデオロギーに汚染された三文「経済評論家」は、盛んに「将来の労働力人口の減少は成長の阻害要因にならない」という主張を展開している。これも成長神話にとらわれた考えだが、これらの「評論家」が典拠にしているのが、昨年発刊された吉川洋著『人口と日本経済』(中公新書、2016年)である。
吉川氏の著書は必ずしも題名通りのテーマを扱っているわけではなく、多くの紙幅は人口問題が経済学でどのように扱われてきたかを俯瞰することに割かれており、戦後の日本の高度成長の要因を扱った箇所は高々10頁程度でしかない。三文「評論家」が利用しているのは、そこに掲示された実質GDPの成長率と労働力人口の増加率の比較表である。
高度成長期(1955-1970年)では実質GDPが年平均で9.6%伸びたのにたいし、労働力人口のそれは1.3%だったこと、またオイルショックから「バブル」崩壊(1975-1990年)では実質GDPの年成長率が4.6%だったのにたいし、労働力人口のそれは1.2%だったことが示されている。吉川氏はGDPと労働力人口の増加率の差を労働生産性の上昇として捉え、「労働生産性の増加率は労働力人口の増加率をはるかに超えるから、労働人口は経済成長の決定要因ではない。経済成長を決める労働生産性は資本蓄積(技術進歩)によって説明できる」という。ここから、「経済成長を決めるのは人口ではなく、技術進歩と資本蓄積である」という結論が導かれている。
三文「経済評論家」はこの結論を金科玉条の命題と考え、「将来の日本の人口減、労働人口減は経済成長を妨げない。企業の皆さんはもっと設備投資して生産性を上げれば問題は解決します」、とアジテートしている。
吉川氏は、「労働生産性は労働力人口の増減とは無関係で、したがって労働力人口は経済成長の決定要因ではない」と断定しながら、他方で「経済成長は労働力の伸びで一義的に決まるものではない」と述べている。経済成長に与える労働力人口の役割について、吉川氏の議論は非常に歯切れが悪い。吉川氏が「労働力人口は成長に関係ない」と言い切れないのは、「労働生産性は労働力と切り離された資本設備やイノヴェーションがもたらすもの」と割り切ることに確信を持っていないからである。もし労働生産性が労働力と切り離されて考えられるなら、それは労働生産性ではなく、資本生産性とか技術生産性という概念で捕捉しなければならならい。しかし、そのような概念で測定できる尺度は存在しない。吉川氏は労働生産性を労働力から切り離して考えてしまうから、労働力人口の増加が経済成長に与える影響を明快に分析できず、労働力人口の役割を過少評価してしまうのである。
労働生産性は労働の量ではなく、労働の質に関係する概念である。労働の質は教育・研究の発展、それ結果として生じる研究開発・技術革新、新たな技術を操作可能にする労働の質の向上によって決まる。技術を開発し、設備を製造し、新技術の操作を習得して使いこなすのはロボットではない。労働力人口を形成している勤労者の労働の質の向上があって初めて、労働生産性が高まる。だから、労働力と労働生産性を切り離し、労働生産性を「労働人口とは無関係な設備技術の進歩」と考えるのは間違っている。たとえて言えば、長期の時系列でみたスポーツ選手の運動能力の向上を、選手自身の能力の向上からではなく、トレーニング設備の進歩から説明するようなものだ。つまり、人としての選手の基礎的能力は一定で、能力の上昇分をトレーニング設備の革新で説明できるというのと同じである。
労働の質の向上が労働生産性を上げる
吉川氏は労働力人口を構成するのは単純労働で、資本蓄積による技術革新によって、単純労働の生産性が向上すると考えているようだ。しかし、労働力人口を単純労働の塊として考えることそれ自体が間違っている。高度成長期における労働力の量的な伸びは、質的な伸びを伴っており、それは戦後の教育と企業の研究開発による成果である。教育や研究開発は労働力人口に含まれないロボットが行うものではなく、労働力人口に含まれる質の高い労働が遂行するものである。高度成長時代に創出された新規労働力の質は教育によって年々向上し、大量の大学院卒業生が企業研究機関に入り、不断の研究・技術開発に従事するようになった。それが労働生産性の急速な上昇をもたらした。
このように考えれば、労働力人口をたんに単純労働の量的増加と考えるのは間違いで、教育と研究・技術開発による労働力の質の向上こそが、成長を決定する要因であると考えなければならない。広い分野で種々様々な開発に研究労働や技術開発労働が振り向けられるためには、質の高い労働力が、市場の広がりをカバーするほどに十分に多く必要になる。たとえば、欧州の小国のように、労働人口が少なければ、技術革新できる産業分野は極めて限られたものになってしまう。多くの分野で研究開発や技術開発が可能になるためには、労働力が質量ともに十分に多く存在することが必要条件である。高い教育水準に裏打ちされた労働力が新規に大量に生まれ、高い経済成長を生み出したのが戦後の日本経済である。
労働力人口の量的増加で説明できない労働生産性の上昇は、労働と無関係の技術進歩から説明されるのではなく、労働力の質の上昇から説明しなければならない。もし労働とは切り離された技術進歩で説明したいなら「資本(技術)生産性」という概念で説明しなければならないはずである。先のスポーツ選手の事例で言えば、各種のトレーニング設備の改良(技術革新)や指導法(研究開発)の改善を通して、選手の能力自体が質的に向上するのであって、選手の能力の質から切り離されたトレーニング設備生産性や指導法生産性が、平均的な選手の能力に付加されるのではない。
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