アベノミクスと属国民族主義
- 2017年 2月 9日
- 時代をみる
- アベノミクス盛田常夫
世界の先進諸国で、ポピュリズム(大衆迎合主義)と民族主義が幅を利かせるようになっている。西欧のポピュリズムやトランプ政権を批判する前に、日本のポピュリズムと民族主義を問題にすべきだろう。なぜなら、日本の安倍政権こそ、典型的なポピュリズムと偏頗な民族主義を二本柱にする政権だからだ。
アベノミクスは典型的なポピュリズム
「灯台下暗し」で、日本国民は安倍政権がポピュリズムと民族主義を二本柱にしていることを意識できない。まさに、無意識のうちに嵌ることこそが、大衆迎合のポピュリズムと民族主義の社会現象である。トランプ政権の民族主義的政策を心配する前に、日本の行く末を心配したほうが良い。
アベノミクスとは、「高度成長をもう一度」という根拠のない経済スローガン=経済イデオロギーにすぎない。景気が悪いより景気が良いほうがいいに決まっているから、右も左も、景気刺激政策に正面切って反対できない。「大胆な金融緩和政策で景気が良くなります」と言われ、株式相場が上昇し、円安が進行して一部の輸出産業が大儲けすると、なんとなく、アベノミクスは正しいと思ってしまう。
日銀が資金を垂れ流して円安を誘導し、株や債券購入を行って相場を支え、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)も国民資産を株式に投資して相場を上げる官製相場は、いずれ将来、日本社会に大きな災禍をもたらす。しかし、少し遠い将来のことに政治家も国民も無関心だ。国民は一時的な株式相場の上昇に一喜一憂して、将来のことなど考えない。まさに、国民大衆の短期的な損得を考える思考に迎合した政策が、アベノミクスなのだ。政治家も国民も、目先の短期的な利益だけに目が奪われている。大衆迎合主義が蔓延(はびこ)る温床だ。
官製相場が崩れた時の責任追及など、後の祭りだ。誰も責任を取らないし、取れない。一時的な「目くらまし」にあって、政治家にだまされた国民が馬鹿だったということにしかならない。政治家の詐欺に引っかかったようなものだが、それがポピュリズム政策の結末だ。
日本は属国民族主義
安倍政権が巧妙なのは、アノベミクスの成果が見えなくなると、今度は中国や韓国にたいする偏狭な民族主義を鼓舞して、国民の目を隣国との対立に向けさせ、自らの政権基盤を崩さないようにしていることだ。国民はそういう政策にも、すぐに引っかかってしまう。
尖閣・竹島にしても慰安婦問題にしても、昨日今日の問題ではなく、関係諸国との長い歴史のなかの問題だ。しかし、政治家は歴史認識の問題を隠して、隣国の不寛容さや偏屈さを批判すれば国民の支持が得られる。近代の歴史において、日本は朝鮮や中国を侵略した歴史はあっても、中国や朝鮮が日本を侵略した歴史はない。多くの国民は100年以上にわたる問題の歴史的経緯に関心などなく、たんに日本の国益が隣国によって阻害されているという単純な感情でこの問題を受け止める。政治家にとって、これほど安上がりな政権安定化の政策はない。隣国に対して強い態度で対処しておけば、政権基盤が崩れることはないのだから。
興味深いのは、ここ最近の日本における民族主義は、きわめて偏頗(へんぱ)で片端(かたわ)な民族主義であることだ。隣国の中国や朝鮮にたいして強い態度をとるのに、アメリカにたいしてはそれができない。戦前から日本社会の底流に流れている中国や朝鮮への蔑視が今も根強く残っていて、それが時として、隣国への高圧的な態度や反発となって現れている。ところが、政治家も国民も、アメリカにたいしては日本の軍事的外交的な自立と独立を主張することができない。なぜなら、政治家も国民も、日本が軍事的外交的にアメリカに従属している属国的な立場にあることすら意識できないほど、アメリカの支配の術中に嵌っているからだ。それこそ、軍事占領から始まった70年にわたるアメリカの長期的軍事支配によってもたらされた換骨奪胎の結末である。
70年も軍事的な支配が続いていると「支配されている」という意識すらなくなり、防衛庁長官を経験した石破茂でさえ、「沖縄で騒いでいる奴らの後ろに誰かがいる」というバカな言動しかできなくなる。戦後一貫して、アメリカは日本の軍事基地をアジアおよび中東世界の軍事戦略基地として機能させてきた。日本を守るというのは付随的な役割に過ぎない。日本防衛という口実で軍事占領が続く沖縄の現状を固定化し、あまつさえ新しい基地を作ってアメリカの軍事政策に奉仕することが、民族主義にも劣ることだということが分からない。軍事占領の延長を容認する民族主義などありえない。偽の民族主義だ。
白井聡氏は日本を「属国民主主義」(白井聡・内田樹『属国民主主義論』東洋経済新報社、2016年)と性格付けしているが、属国民主主義というより「属国民族主義」と性格付けした方がより適切だ。旧植民地国への侮蔑を込めた偏狭な民族主義と大国アメリカへの卑屈な従属的民族主義という二つの矛盾した民族主義が併存しているところに、今日の日本の偏頗な民族主義がある。それが属国民族主義だ。だから、「虎の威」を借りて、アメリカに「尖閣の安全保障を担保してもらえば、他の件では譲歩します」という朝貢外交が生まれる。そのために、国民の年金資産をアメリカのインフラ投資に利用する案すら用意されている。アメリカの原発関連企業に騙され、倒産寸前になっている東芝を見るが良い。トランプにとって、安倍ほど利用しやすい政治家はいない。日本から搾り取れるだけ絞り取る。そんな魂胆も分からず、一緒にゴルフできることに喜喜としている馬鹿な宰相をいただくと、国が滅びてしまう。世界の笑いものだ。これこそ典型的な売国政治家ではないか。
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